第130回:ハッケヨイ ノコッタ~私の贔屓の力士たち(1)
更新日2008/10/23
大相撲界がかなり厳しいことになっている。八百長問題も泥沼にはまり込んでしまい、抜け出す方法がなかなか見つからないようだ。私個人としては、大相撲をスポーツと考え、厳密なフェアプレーを要求することに無理があるのだと考えている。
まず「興業」であり、部屋、一門という範疇で運営されているという側面がある。その上、本場所が一場所15日、年六場所、さらに巡業もあって、力士たちが体力を維持していくのは相当な難業だと思えるのだ。あの立ち合いの当たりの激しさは、それだけで彼らのほとんどの体力を奪ってしまうほどのもの。一つの取り組みだけで、とんでもないエネルギーを消耗している。
ある種の星のやり取りも含めて大相撲が成り立っているということは、この世界に関心を持つ人々であれば、たいがいはよく知っているのである。事実を暴く側も、相撲協会の側も、議論をこれ以上加熱させずに、お互いがソフトランディングできる条件を模索していって欲しいと願っている。
もちろん、今回の一連の出来事のなかで浮かび上がってきた「命の危険を孕む度を超えたシゴキ」や「力士間の薬物使用問題」などについては、きっちりと対応しなくてはならないと思う。
さて話を変えるが、私たち1950年代生まれまでの人間には、本当に相撲好きが多い。簡単に言えば、プロ野球と大相撲(あとはプロレス)くらいしか、その頃の娯楽として熱狂できるものがなかったのだと思う。
私もご多分に漏れず小さな頃から相撲が好きだった。うろ覚えながら、ラジオから流れてくる栃錦・若乃花戦の恐ろしいほどの盛り上がりは、忘れることなく耳の奥に残っている。今、店のラジオを聴きながら、取り組みの状況が何となく理解できるのも、この頃ラジオしかなく、それを懸命にずっと聴き続けてきた成果だろう。
最初は三代目朝潮太郎のファンだった。少年マガジンの創刊号の表紙を飾った、あの揉み上げ、胸毛が特徴の大男横綱である。ある時、私の両親に聞いた話だと、「でも、お前はすぐに大鵬ファンに鞍替えした」とのことだった、
両親が、その転向の理由を私に聞いたところ、「だって朝潮弱いんだもん、嫌いだい」と、まさに昭和30年代映画の子役のようなステレオタイプの答えが返ってきたらしい。
ラジオで朝潮の活躍は聴いていたものの、私の家にテレビが入った昭和34年からは、彼は休場が続くなど不振が長引き、なかなか勝てなかった。それに引き替え、角界のプリンスとして、驚異的に力をつけ台頭してきた大鵬。少年の贔屓心というのは実に残酷なものである。
恥ずかしながらと言おうか、それから長い間私は典型的な『巨人、大鵬、卵焼き』好きの少年時代を過ごした。王選手のホームランに狂喜乱舞し、大鵬の豪快な掬い投げに拍手喝采を送り、砂糖入りのフワッとした卵焼きに舌鼓を打った(ここまで紋切り型の表現をするとは・・・)。
けれども、やはりそのような牧歌的な時代は永遠には続かない。少年にも自我というものが生まれ、あんまりにも強すぎる大鵬がだんだんと疎ましくなってきたのである。弱いと離れるくせに、強すぎてもよしとしない、天の邪鬼なファン心理というものか。また、他の力士の姿もようやく見えてきたと言うことかも知れない。
そのうちに、いつの間にか私は清國のファンになっていた。立ち合いのきれいなお相撲さんだった。また、その容貌、立ち姿も実にきれいなお相撲さんだったのだ。今回資料を調べたところ、昭和31年の秋場所初土俵は、大鵬と同期。けれども、大関になったのは大鵬から8年以上遅れた昭和44年の夏場所後だった。
決して強い力士ではなく、優勝もただ1回だけ(但し、それは新大関になった場所で、新大関初優勝は快挙である)だったが、私は一生懸命応援した。場内アナウンスの「東方、大関清國、秋田県雄勝郡雄勝町出身、伊勢ヶ濱部屋」の声を聞くだけでワクワクしたものだ。オガチグンオガチマチという出身地は、いかにも東北の田舎町というイメージで、朴訥な彼の姿によく合っていた(現在では湯沢市に合併されたそうだが…)。
昭和47年の名古屋場所、私は生まれて初めて相撲観戦に行ったその日は高見山に負けてしまったが、本物の清國を見ることができて、とてもとても嬉しかったのを憶えている。
その清國が引退を表明したのは昭和49年の1月12日。奇しくも私の18歳の誕生日の日だった。高校3年生、1ヵ月後に大学受験を控えた時だったが、その時の喪失感はかなり大きなものだった。しばらくは何に対してもやる気をなくしていた。
親方・楯山を継ぎ、伊勢ヶ濱を襲名してから指導者として活躍していたが、昭和60年の日航機の御巣鷹山への墜落事故が、彼の人生の暗転の時となってしまった。妻子を一度に失い、生きていく方向性を失ってしまったようだ。親方としての情熱も失せていた。
その後も、新しい奥さんとの確執があったり、詐欺師に遭い部屋の建物、土地を巻き上げられてしまうなどの事件に巻き込まれたりと、徹底して辛酸をなめた。気がつけば、相撲界では完全に信用を失墜し、最悪の状態になっていた。
この人の後半生は、今のところ悲運に浸ってしまっているようだ。あれだけきれいな立ち合いをしていた人だ。きっちりと仕切り直しをしてもう一度落ち着いた日々を取り戻していただきたい。40年来のファンとしては、何よりもそれを願っている。
-…つづく
第131回:ハッケヨイ ノコッタ~私の贔屓の力士たち(2)