■ダンス・ウィズ・キッズ~親として育つために私が考えたこと

井上 香
(いのうえ・かおり)


神戸生まれ。大阪のベッドタウン育ち。シンガポール、ニューヨーク、サンフランシスコ郊外シリコンバレーと流れて、湘南の地にやっと落ち着く。人間2女、犬1雄の母。モットーは「充実した楽しい人生をのうのうと生きよう」!


第23回:ニューヨークの惨事について私たちができること
第24回:相手の立場に…

第25回:「罪」から子供を守る

第26回:子供に伝える愛の言葉
第27回:子供の自立。親の工夫

第28回:ふりかかる危険と自らの責任

第29回:子供はいつ大人になるのか? ~その1

第30回:子供はいつ大人になるのか? ~その2

第31回:子供はいつ大人になるのか? ~その3

第32回:Point of No Return
第33回:かみさまは見えない
第34回:ああ、反抗期!
第35回:日本のおじさんは子供に優しい??
第36回:子供にわいろを贈る
第37回:面罵された時の対処法
第38回:子供を叱るのは難しい!
第39回:トイレへの長き道のり
第40回:私はアメリカの病院が好きだ! ~その1
第41回:私はアメリカの病院が好きだ! ~その2
第42回:私はアメリカの病院が好きだ! ~その3
第43回:私はアメリカの病院が好きだ
! ~その4
第44回:駐車することさえ考えるな!
第45回:しつけとけんかの微妙なちがい
第46回:本当のアメリカの個人主義
第47回:人の目を気にしよう
第48回:自分の子供をどんな大人に育てたいか、ということ

 
第49回:国際人という人種はいない

更新日2002/12/12


シンガポールを振り出しに、アメリカと合わせて結局トータルで7年と少し外国に暮らしたことになる。その間の海外暮しで実感したことは「自分は日本人なんだ」ということだ。当たり前のように聞こえるかもしれない。けれども、日本でずっと暮らしていた時には、そういった明確な自覚は持っていなかったように思う。

私が大学生だったころは世の中はバブルの真っ盛りで、バブルの盛り上がりと同調するかのように「国際化」とか「国際人になるために」という言葉が世の中に氾濫していた。でも、「国際化」って、何だったのだろう。国際人って、どんな人なんだろう。当時は漠然と「国際人」と言えば英語を使いこなして外国に頻繁に出かけるといったようなきわめて表層的で浅狭なイメージを持っていた。そして、「国際人」と呼ばれるような人になりたい、などと思っていた。

けれども、実際に外国に出てみると、「英語が使えて」という部分は当たっていたけれどもその内実は自分はしっかりとした日本人であるべきなんだ、と自覚した。その理由は外国では日本人ということは日本に関することは何でも知っているだろう、と思われるからだ。

シンガポールにいた時に皇太子が雅子妃とご結婚なさった。そうすると、研究所の仲間は皇室の成り立ちから、歴史、儀式の意味などはもちろんのこと、世論や服装の意味、果ては茶道や華道など果てしなく、幅広いことを私に聞いてくるのだ。ロイヤルファミリーを持たない国の人にとっては未知の世界の話で、かつきわめてエキゾティックな興味をそそられる話題であったらしい。

そこで、私はおぼつかない日本史の記憶を引っくり返し、日本にいる家族や友人から伝え聞いたことを英語に翻訳して説明するはめになったのだ。そこで、はた、と気が付いた。自分の関心は国外にのみ向けられて実は驚くほど、自分の国について知らないのだ、ということに。それまでは、シンガポールにいて日本の新聞や雑誌を読む必要などない、日本のことなんて知らなくてもいい、くらいに思っていたのに、それは全く間違っていたのだ。そこで、いそいで日本の新聞などを読んで、そしてTimeやNewsweekの記事と比較したりして、友人たちにその違いを話したりできるようになった。

その後アメリカにいるときも同じだった。カリフォルニアに行ってすぐ入ったプレイグループには5人のメンバーのうち3人がアメリカ人、ベルギー人が1人、そして日本人の私だった。公園で子供を遊ばせながら井戸端会議をしていても、どんな話題でも「それで、日本では/ベルギーではどうなの?」となる。健康保険制度から、教育、嫁姑関係、住宅事情、食品などの物価。それこそ、話題は限りなく幅広いのだ。そうやって、「ああ、日本の方がいいわね」とか「どこも変わらないのね」とか言い合いながら仲良くなっていったように思う。最初は日本人としての私、という所から始まってアメリカ人の友人にとってカオリという個人と認識されていったように思う。

日本に帰国が決まってから、トーリーと話している時に「カオリは日本に帰っても日本社会に適応できないんじゃないの? あなたってほんとに私と変わらないんだもの。アメリカ人になっちゃったんじゃないの」と言われた。それを聞いた時、ちょっと嬉しかった。「大丈夫よ。だって、私日本人だもん」と言うと、トーリーは「ああ、そうだったわね。今思い出したわ」と言って笑った。

人間は全てを相対的な存在にはなれない。どこかに自分の居場所を定めて、そこにしっかりと根付いた上で、土の上の部分が雨にうたれ風に吹かれながらでも揺らぐことなく適応していくしかない。外国にいると時には人種差別などいわれのない暴風が吹くときもある。それでも、しっかりと日本という場所に根付いていれば、どれだけ打ちのめされても立ち上がることができるのだ。

私の夫がアメリカにいる間よくふざけて、「自分は左翼の国粋主義者だな」と言っていた。悪いところは批判もするけれども、日本という自分の国を限りなく愛しているという意味で。私もその通りだと思う。個人としても自分を愛することができない人は他人を愛することはできない。それと同じように自分の国を愛することができない人は他人の愛国心を理解することはできない。

学校で日本の国旗を掲揚し、国歌を詠唱することが問題になるのはなぜなのだろう。オリンピックで日本の選手が金メダルととった時に日本の国旗が一番高いところに掲揚され、「君が代」が会場中に鳴り響くとき、誇らしい気分にならない人はいないのではないだろうか。そういう誇らしい気持ちをいつでも感じていいのではないか。ただ、それが間違った方法で使われることには、厳しい目を常に光らせていなければならないことは言うまでもないことだ。

国際人とは、自分の国を愛するのと同じだけ他人の国を大事にする人だ、と今は思う。それは、言うのは容易いが行うのはきわめて難しいことだ。けれども、これからの時代にはいつも心に留めておく必要がある。

 

→ 最終回:大きな心を持って、強くなろう!