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■イビサ物語~ロスモリーノスの夕陽カフェにて
 

第158回:イビサ再訪 【最終回】

更新日2021/03/11

 

ハットリとヨットを購入し、俺も一緒に乗ると加わった朋友ぺぺと3人で大西洋を渡った顛末は以前書いた。大西洋の向こう側、プエルトリコに居を構えてから、これもハットリの発案でヨットのブローカー、ヨーロッパ、アメリカなど海外にあるヨットを日本人に売る仕事を始め、何度かプエルトリコからヨーロッパに飛ぶ機会を持った。

おかしな感覚だが、一応仕事、日本人の買い手にヨットを何隻か見せるのだが、あれだけ好きだった旅行の喜びがなくなり、目的地の飛行場、そしてヨットが係留してあるいくつかのマリーナ、そしてホテルだけしか行かず、他のことには見向きもしないで、帰って来てしまうのだ。

結果、ニュージーランド、ニューカレドニア、オーストラリア、アメリカ、オランダ、フランス、イタリア、イギリスなど、数多くの国を訪れたのに、知っているのは飛行場とマリーナだけという奇妙なことになってしまった。たった一回の例外は、マジョルカ島での仕事の帰りにイビサに立ち寄ったことだ。

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イビサ港にもファーストフード『マクドナルド』

オフシーズンのイビサは、私があれ程望郷の念を抱いていたところではなかった。飛行場は以前の何倍もの大きさになり、そこから、たった10キロあるかないないかの距離なのだが、なんと高速道路ができていたのだ。そして、およそイビサに似合わないあの赤と黄色の大きなネオンサインを高々と掲げた『マクドナルド』が新市街のフィゲレータスと旧市街の入口に2軒もオープンしていたのだった。目抜き通りのヴァラ・デ・レイには『ピッザ・ハット』があり、『ケンタッキー・フライドチキン』があり、『バーガー・キング』も3軒あった。

私は冗談でよく「イビサにマクドナルドが侵入したら、俺が島を出る時だ…」と言っていたのが、私が島を去ってから数年で、アメリカの大手ファーストフードが大挙して攻め込んできたのだった。

ぺぺは「お前がここにがんばって居座らなかったから、やつらは侵入してきたんだ」と、私を責めるのだった。ぺぺとカルメンが引き継いだ『カサ・デ・バンブー』は経営が行き詰まり、二人の住居として使っていた。

変わりようのない港と旧市街、城砦の中のダル・ヴィラ(Dalt Vila)だけは同じ様相を保っていた。

レストラン『サン・テルモ』に顔を出したところ、オーナーのイヴォンヌは私をチラッと見て、挨拶するでもなく、台所の仕事を続けたのだ。イヴォンヌが私のことを全く覚えていない様子なのだ。いつものように、盛大に、むしろ大げさなほどに歓待されることを期待していたから、出鼻をくじかれた態になり、『サン・テルモ』で夕食を摂るのを止めたのだ。

後でイヴォンヌがボケ始め、アルツハイマーに罹っていることを知った。その時なぜ、私から歩み寄り、彼の大きな手を握り、握手し合い、昔のことを(と言ってもホンノ数年前のコトなのだ…)明るく懐かしく話しかけ、彼の記憶を呼び起こさなかったのだろうか、悔いが残った。

イビサも変わったが、イビサ島の住人もそれぞれに歳をとり、変わってしまったのだ。

そしてあれ程の賑わいを見せていた港の旧市街、カジェ・マジョール、カジェ・デラ・ヴィルヘンの変貌はどうなってしまったのだろう。港近くの旧市街はヒターノ(gitano;ジプシー)部落といえば、聞こえは良いが、全体がスラム化していたのだ。

あの汚さ、ゴミだらけの狭い通りはどうなってしまたんだろう。アメリカでも、ある住居地区に黒人(アフリカ系米国人と言わなければならないのだろうか)が棲み始めると不動産の価格が暴落し、スラム化すると1960~70年代に言われたが、同じ現象がイビサの港、旧市街、城壁の内側のダル・ヴィラに起こったのだった。私がイビサに住んでいた頃から、すでにそのような兆候はあったが、まだ、市の清掃係が毎晩ゴミを集め、路地を掃き、水を蒔いていた。

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新しいたまり場、Plaça del Parc(パルク広場)

レストラン、カフェテラス、バールの中心は、旧市街からロスモリーノスの坂を降りたところにある、パルク広場(Plaça del Parc)に移ったのだった。そこは元イエルバス・イビセンコ『マリマヤン』(Mari Mayan;イビサ名産のハーブ酒)の酒造庫に面した静かな広場で、ヴァラ・デ・レイ通りから一本城壁寄りの小路に面している夾竹桃に囲まれた落ち着ける広場だ。そこからはマクドナルドやバーガー・キング、ピザ・ハットの看板やネオンサインも見えない。

私の郷愁の中に凍りついたまま残っていたイビサは変貌を遂げ、新しいファッショナブルな地区、地域を次々に見つけ、発展しているのだ。ノスタルジアだけでイビサを再訪し、昔の目でしかイビサを見ていない自分に気がつくのだった。それは死期の迫った老人が、昔は良かったと愚にもつかない愚痴をたれるのと同じようなものだ。

イビサは変わって当然で、それを観光客の質の低下、大衆化であり、コマーシャリズムへの堕落だと決め付けるのは易しい。だが、それがイビサが生き延びるために必要なら、すでに部外者になった私のような人間が、外からどうこう口を挟む問題ではないのだ。イビセンコとイビサに定住した人たちが良かれと思う方向に、イビサは変わっていくのが当たり前なのだ。

そこに、一抹の寂しさを覚えるにしろ、イビサは私の個人的感傷などに関わりなく存在しているのだ。

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最近のイビサの街並み(参考イメージ)

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フィゲレータスの海岸


今回で3年に渡る『イビサ物語~ロスモリーノスの夕陽カフェにて』を終わる。

イビサ人物伝といえば聞こえは良いが、イビサ・ゴシップに終始したような気がする。イビサに住み始める以前、私は小中高の同級生、そして大学時代の朋友、ヒッチハイクで旅した時にユースホステルで出会った人たち、マドリッドで得た生涯の友人は掛け替えのないものだったにしろ、非常に狭い範囲で知り合った人たちだった。ところが、イビサのカフェテリア業で突然別種の多くの人たちと親しくなった。これは、一種ショッキングな体験だった。ここに書き連ねたのは、私が直接関わった人たちだけだ。その意味では、一面的であるにしろ、人伝てに耳から入ったウワサではなく、第一次源ゴシップではある。

元々ゴッシプは、人を楽しく読ませるために色付けした人物伝だと思う。優れたゴシップは事実とはかけ離れているにしろ、その人物の輪郭を浮き出させるものだ。ゴシップは創作なのだ。私がここに書き連ねたゴシップ的人物伝は、事実にとらわれ過ぎて、楽しく読ませるための創作性に欠けていたかな…と思う。そして、イビサ人物伝的ゴシップは、自分を語るためにそれらの人たちを利用したに過ぎないことに気づくのだ。

十数年間イビサで過ごしたことは、本当に幸運なことだったと思う。ヘミングウェイ(Ernest Hemingway)が青年時代(1920年代)に、「パリに住んだ者は生涯パリが付いて回る、それは移動祝祭日だからだ」と言っているのが、自分のイビサにピッタリと当てはまるのだ。

私にとって、イビサの日々はいつまでも続く“フィエスタ(fiesta;スペインのお祭り)”だった。


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La isla de IBIZA


 

 

 

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佐野 草介
(さの そうすけ)
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海から陸(おか)にあがり、コロラドロッキーも山間の田舎町に移り棲み、中西部をキャンプしながら山に登り、歩き回る生活をしています。

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