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■イビサ物語~ロスモリーノスの夕陽カフェにて
 

第114回:ロビンソー・クルソーの冒険 その1

更新日2020/04/23

 

イビサにも日本の駅前学校のような英語学校があった。多少でも英語が話せるなら、ウェイター、ウェイトレス、ホテルのレセプションや果てはドアボーイ、メイドの仕事に入りやすい、実入りも多くなるという幻想をそんな英会話教室はくすぐって結構盛況だった。その中でも、『ザ・イングリッシュ・センター』は新市街にピソ(アパート、マンション)の1フロアを貸切り、老舗としてならしていた。

日本の多くの英会話教室同様に、教師に外国人に言葉を教えるための資格を持っている人はほとんどおらず、タダ偶然に生まれたのが英語圏の国で、英語を話せるというだけで、英語を教えることができると信じている英語使いのイビサ崩れが大半だった。 

シーズンオフの冬には、アンダルシアやスペイン本土からの出稼ぎ組で英会話教室は繁盛していた。『カサ・デ・バンブー』でピンチヒッター・ウェイトレスとして働いてもらっていたジプシー娘、アントニアもそこへ通っていた。当時のスペインでは、義務教育などあってないようなもので、文盲はたくさんいたし、一応文字は読めるが一生の間に一冊の本どころか新聞、雑誌に目を通したことがない半文盲も多かった。教える方のレベルも酷かったが、アルファベットも満足に書けない習う方も相当なものだった。

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イビサ旧市街のバール(本文とは無関係)

冬場、英語教師たちは、バール『タベルナ』や『フィエスタ』にたむろしていた。彼らは一応に自分の言語生活、言語能力のお粗末さを棚に上げ、スペイン人生徒のお話にならないレベルの低さを冗談の種にしていた。彼らは“Teaching English as a Second Language (TESL;第二外国語として英語の教授法) ”など耳にしたことすらない教師たちがほとんどだった。ドイツ人、スカンジナビア人、オランダ人らは、『ザ・イングリッシュ・センター』のことを、「アリャ、英語使いの貧民救済所だ」と呼んでいたものだ。

そんな英語教師の中で、イヴは違った。乱暴な下町弁コッキニー(cockney;マイフェアレディーのイライザが話していたロンドンの下層階級の方言)もマンチェスター訛り、果てはアイルランド弁まで、巧みに真似できたし、BBCのアナウンサーようにも話すことができた。話す言葉の端々に時折教養の高さがのぞくのだった。

イヴは薄い麻色の髪を無造作に束ねた細面で、もし歯並びさえ良ければ美形の部類に入っただろう。私がバール『タベルナ』でイヴに会った時、彼女はすでに中年の体型になっていたが、15、16年前なら、かなり魅力的で、男を引き寄せたであろう…と思わせた。小さな灰色の目は、話し相手の注意を逸らすことがなく、またどんな話題にでも即応できた。

『タベルナ』で何度かイヴと顔を会わせるうち、親しくなったのはキャシーがいたからだろう。その時、キャシーは可愛い盛りの3~5ヵ月の赤ん坊で、真金髪に真っ青の目、まるでべビーフードかオムツのコマーシャルから抜け出てきかのような子だった。私は昔から、今もそうだが、赤ん坊と年寄りにモテル傾向がある。友人たちからは、「お前には、肝心な中間層が抜け落ちていて、本物のオンナにモテナイな~」と言われたものだ。

初めてキャッシーに会った時も、自然に私の顔がほころんでいたのか、キャシーが満面で笑い、手足をバタバタさせ全身で喜びを表わしたのだ。そして、私が両手を差し出すと、キャシーも私の胸元に飛び込むように身を倒してきたのだった。

今思えば、あんなタバコの煙が漂う穴倉バールに赤ん坊を連れてくること自体普通でないと気づくのだが、その時、スペインでバール、カフェテリアなどに子供たちが出入りするのを見慣れていたせいだろう、不自然には感じなかった。

それにしても、バール『タベルナ』の中でイヴが平然と垂れ下がった大きな乳房を出し、キャシーに含ませている光景にはギョッとさせられた。眼下のビーチにも、『カサ・デ・バンブー』に来る客の中にも、真っ裸はたくさんいたから、見慣れているはずだったが、夜の穴倉バールでオッパイは異様に見えた。

イヴはバール『タベルナ』の奥の片隅、人目につかない席で授乳するという配慮は全くなく、カウンターの前に陣取ったままでそれを行っていたのだ。他の客は平然と今までどおりの会話を続け、イヴのそんな光景に慣れているのか、誰も無関心を装っていた。だが、それは西欧人独特の一ひねりした社交性で、イヴが一歩『タベルナ』を踏み出すなり、その場からいなくなった途端にゴシップに花を咲かせるのだった。

「あの醜いオッパイにしゃぶりつくのはキャシーだけだ。他の赤ん坊なら目をそむけるぞ…」「しかし、ビールを飲みながらオッパイをやるのは、どうかと思うぞ。イヴの母乳はビール入りだ」などと始めるのだった。

イヴには16歳の息子ドミニークと13歳になる娘マーシャがいた。イヴが『ザ・イングリッシュ・センター』で教えている間、キャシーのベビーシッティングはマーシャの役になっていた。ドミニークの方は新市街のバール・カフェテリアで、ボーイ兼雑用係のような仕事をして一応の収入を得ていたと思う。ドミニークもマーシャも日本的な意味での義務教育さえ受けていないかっただろうし、イビサでも学校に通っていた気配は全くない。

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Club Náutico marina(ヨットクラブ)のある桟橋

『タベルナ』でイヴと頻繁に顔を合わせ、挨拶以上の話を交わすようになって、彼女がヨット、カタマラン(双胴船)に住んでいることを知った。私の夢はヨットで世界の隅々をクルーズすることだと語った時、イヴは、「そんなことすぐにでもやったらいいじゃない。何もためらうことなんてない。私のヨットを見に来るかい?」と誘ってくれたのだった。

翌朝、約束した通り“クルブ・ナウティコ・マリーナ(ヨット・クラブ)”のある桟橋に行ったが、それらしいヨットは見当たらないのだ。しばらくポンツーン(pontoon;はしけ、舟橋)をうろついていたところ、半分空気の抜けたゴムディンギー(小舟)を漕いて、マーシャが私を迎えにやってきたのだ。

マーシャはとても13歳とは思えないほど大人びた立ち振る舞い、物言いをしていたが、ソバカスだらけのまん丸な顔、日焼けしたホッペタに成長しきれていない子供の面影を残していた。背は低い方で、おまけに丸々と固太りした体型だったから、余計にチビに見えたのかもしれない。

私がゴムディンギーに足を踏み入れ、体重を掛けるとディンギーの底がグニャリと沈み込んだ。マーシャは私にディンギーの後ろのチューブの上に座るように、ほとんど命令口調で言い、マーシャ自身、バウ(ボートの先端)から身を乗り出すように一枚のオールでカヌーのように漕ぎ出したのだ。イヴのヨット、カタマランは桟橋から150Mほど離れたところにアンカーを降ろしていた。

これほど、ヨットというイメージからかけ離れた浮遊物も珍しい。マストがなければゴミを運ぶ小さなハシケに見えたことだろう。カタマランの二つの船体を繋いでいる部分に、これまた素人が殴り書きしたかのように“ロビンソン・クルーソー”と船名があった。

 

 

第115回:ロビンソー・クルソーの冒険 その2

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佐野 草介
(さの そうすけ)
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海から陸(おか)にあがり、コロラドロッキーも山間の田舎町に移り棲み、中西部をキャンプしながら山に登り、歩き回る生活をしています。

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