■感性工学的テキスト商品学~書き言葉のマーケティング

杉山淳一
(すぎやま・じゅんいち)


1967年生まれ。信州大学経済学部卒業。株式会社アスキーにて7年間に渡りコンピュータ雑誌の広告営業を担当した後、'96年よりフリーライターとなる。PCゲーム、オンラインソフトの評価、大手PCメーカーのカタログ等で活躍中。


第1回:感性工学とテキスト
第2回:英語教育が壊した日本語
第3回:聞くリズム、読むリズム
第4回:話し言葉を追放せよ
第5回:読点の戦略
第6回:漢字とカタカナの落とし穴
第7回: カッコわるい
第8回: 文末に変化を
第9回: "冗長表現"が文章を殺す
第10回:さらば、冗長表現
第11回:個性なんかイラナイ!

第2回:英語教育が壊した日本語

更新日2002/03/11 


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この「~することができる」を連発する方法は、私にとっては最も気にいらない表現です。もし手元に雑誌があれば、パラパラとめくってみてください。「~することができる」という言葉がいかにたくさんあるかがおわかりになるでしょう。言葉の使い方として、間違いではありません。言葉は意味を伝える道具ですから、読み手に「できるんだなぁ」と理解してもらえれば不都合はありません。しかし私は、言葉のプロが使う言葉としてふさわしくないと思っています。なぜなら「~することができる」は、とてもまわりくどい、冗長な表現だからです。

「閲覧することができます」は
「閲覧できます」     でよい。
「保存することができます」は
「保存できます」     でよい。
「改ざんすることができる」 は
「改ざんできる」     でよい。

どちらでも同じ意味なら、短い言葉で済ませる。これが売るための文章です。なぜなら、雑誌の記事や広告のコピーは文字量が限られているからです。短い文章にしたほうがたくさんの情報を伝えられます。限られた場所にたくさんの情報を詰め込む、これがプロの仕事です。

「~することができる」は文法的に解釈してもヘンです。「勉強することができる」という文を例にすると、

 勉強(名詞)
 勉強する
   (サ行変格動詞化)
 勉強すること
   (体言止めによる名詞化)
 勉強することが
   (主格の助詞による主語化)
 勉強することができる
   (可能助動詞による動詞化)

という構造になっています。名詞をいったん動詞に変えて、それをまた名詞に戻して、さらに動詞として使います。さらに、「私は勉強することができる」のように、たいていの場合はひとつの文に主語がふたつ存在するカタチになります。そんなにメンドウなことをしなくても、この意味を伝えるなら「勉強できる」で足ります。

このくどい言葉が生まれた理由として、私は中学の英語の授業に思い当たりました。

"You can study here."
英語の授業では、これを日本語に訳すときに、「あなたはここで勉強することができる」という答を正解としています。can は可能を表す動詞です。だから、そこをしっかり認識した答を用意しなくてはいけません。ここから、「can = することができる」になってしまいました。何ができるかを強調しているわけです。でも、実際の英会話で、can をそこまで強調することはありません。海外旅行で「Can I take it ?」と訊ねる場面は、「わたしは取ることができますか?」ではなく、「取ってもいいかな?」程度の軽い意味ですね。むしろ、「できる」ことを強調するには「be able to」を使うでしょう。これなら直訳で「することができる」になります。

英語教育は、英語を理解させようと苦心するあまり、日本語をゆがめてしまう可能性があります。正しい日本語で訳す、あるいは平行して正しい日本語を学んでほしいと思います。すくなくともプロの書き手ならば、正しい日本語を心がけるべきです。

どうして「~することができる」が多用されてしまうのか。もうひとつ理由があります。それは「ら抜き言葉」の流行です。口語体では、たとえば「食べられた」を「食べれた」と言う人が増えています。そんな人が文を書くと「られた」を回避して「食べることができた」と表記してしまうのです。これは「食べられた」が正解です。これでは可能の表現と尊敬の表現との区別が解りづらいから「食べることができる」のほうがハッキリする、と思われるかもしれません。しかし、「食べられた」という尊敬語は存在しません。「召しあがった」が正解です。尊敬語をきちんと理解していれば、迷うことはありません。

ただし、「~することができる」を、基本的に使ってはいけないと認識した上で、あえて使うテクニックがあります。それは、ことさら「できる」を強調したいときです。「谷底に落ちた。手が動かない。足も動かない。しかし、頭をすこし傾けることはできた」と書けば、「頭を傾けること」がいかに大変なことかを強調する効果があります。プロのライターなら、そこまで計算してからオキテを破りたいものですね。

 

→ 第3回:聞くリズム、読むリズム