第8回: 文末に変化を
更新日2002/06/13
A
日本語論文の書きかたは、大きく分けてふたつです。ひとつは丁寧調です。これは "です" 、
"ます" で終わる文体です。もうひとつは断定調です。これは"だ" 、
"である" で終わる文体です。通常はどちらかひとつの文体を使うきまりです。論文を書くときは、文体が混ざらないように気を付けるべきです。そうすれば、整った文章になるはずです。
……そうでしょうか?
もう一度、Aの文章を読み返してみてください。なんだか単調で、訴えたいことが伝わってこない感じがしませんか? 私にはひどく退屈な文章に思えます。平板でつまらない。いえ、ハッキリ言うと
"頭の悪そうな人が書いた文章" です。では、書きなおしてみましょう。
B
日本語論文は、大きく分けてふたつの書き方があります。ひとつは丁寧調です。これは "です"
、 "ます" で終わる文体です。もうひとつは断定調で、 "だ" 、
"である" で終わる文体になります。通常はどちらかひとつの文体を使い続けます。論文を書くときは、文体が混ざらないように気を付けましょう。そうすれば、整った文章になるはず。
どうですか? Bのほうに親しみがわきませんか? 読み続けても疲れにくいと思いませんか?
AとBの文章は、どちらも間違いではありません。しかし、Aの文章は、文の末尾がすべて
"です" でおわっています。これに対して、Bの文章は末尾に変化があります。その結果、Aは単調で読み手が飽きやすい文章になってしまいました。
Bは文のひとつひとつを見ると散漫です。しかし、末尾を変化させたことで読み手のリズムをわざと崩し、 "~ましょう"
という "誘いのメッセージ" を加えて、読者の関心を引き寄せています。例文はどちらも、丁寧調で統一されています。しかし、そのルールの中でさまざまな語尾を使い分けると、読者を飽きさせません。
詩の世界には、文頭や文末の音をそろえるというテクニックがあります。これを "韻を踏む" といいます。これは世界共通のテクニックのようで、日本語だけではなく、漢文、英文、仏文にも使われます。そもそも詩という分野が
"韻文" です。
ところが、文章は "散文" と呼ばれるように、 "型" を与えないルールで作られます。Aの文は
"です" という、丁寧調の弱い言葉を使ったため、気にならないかもしれません。しかしこれを断定調で書くと……。
C
日本語論文の書きかたは、大きく分けてふたつである。ひとつは丁寧調である。これは "です" 、
"ます" で終わる文体である。もうひとつは断定調である。これは "だ"
、 "である" で終わる文体である。通常はどちらかひとつの文体を使うきまりである。論文を書くときは、文体が混ざらないように気を付けるべきである。そうすれば、整った文章になるはずである。
なんといいますか、押しが強すぎますね。こんなに力強く主張する必要があるでしょうか。長大な論文は、その文字の羅列だけで読者を遠ざけます。しかも、読み始めから語尾がすべて同じとなると、すぐに飽きてしまいます。
「きっとこの人は語彙が少ないだろうな」「賢そうな文章ではないようだ」「読んでいくうちに苦痛になるに違いない」。そんな印象をもたれてしまうと、どんなに優れた論文も評価されません。
読者を引きつけ、飽きさせないために、語尾を変化させて "リズムを崩す" というテクニックを使ってください。ときどき
"ですね" と同意を求め、 "ですか?" と問いかけ、 "しましょう"
と誘うなど、読者の心情に訴える言葉を散らしてみましょう。あなたの言葉は読者の目からハートへ、するりと流れていくはずです。
→ 第9回: "冗長表現"が文章を殺す