第4回: 話し言葉を追放せよ
更新日2002/04/08
日本語には“話し言葉”と“書き言葉”があります。口で使う言葉と、手で使う言葉のルールは違います。かつては、“書き言葉”には“文語体”という、かしこまったルールが用いられました。文を書くという行為が厳粛な行為だと考えられていたからでしょう。現在は“話し言葉”と“書き言葉”の違いは小さくなっています。その結果として“話し言葉”が文章にどんどん入り込むようになりました。文章で生計を立てている人でも、無意識に“話し言葉”を使っているようです。しかし、言葉のプロはこの二つのルールをきちんと使い分けるべきです。なぜなら“話し言葉”に“文章に適さない要素”があるからです。
“話し言葉”が文章に適さない。その理由は“省略語の多用”です。たとえば“の”という助詞を使った表現を考えてみましょう。
ミドリガメはボクのだ。
という言葉は、“の” と “だ”の間が省略されています。日常会話で使う場合、言葉は風景や話者の表情などの情報によって補完されます。“ボク”
がミドリガメを持っていれば、
ミドリガメはボクの(もの)だ。
という意味でしょう。ところが、“ボク”の名札にミドリガメの絵が書かれている場合は、
ミドリガメはボクの(トレードマーク)だ。
という意味になるかもしれません。話し言葉は情景に応じて意味が変化します。これをそのまま文章に使ってしまうと、文章の意味が不安定になります。誤解される原因になるかもしれません。なるべく言葉を省略しないで、しっかり書く心がけが必要です。
ミドリガメはボクのものだ。
ミドリガメはボクのペットだ。
ミドリガメはボクの友達だ。
ミドリガメはボクの憧れだ。
ミドリガメはボクの理想だ。
ミドリガメはボクの天敵だ。
前後の文脈によって、省略された言葉が変わります。前後の文章できちんと説明できていればよいのではないか、と思うかもしれません。しかし、ライターの書く文章は、言葉の意味を明確にする必要があります。読み手に誤解するスキを与えてはいけません。なぜなら、書き手は読み手の読解力に対してはなにもできないからです。書く技術をコントロールするしかありません。
“の”で省略する弊害は、女性の話し言葉のように読めることです。
私が東京に来た“の”は、
これはたいへん複雑な“の”です。
努力するそうな“の”だ。
これらは、“東京に来たの。複雑なの。そうなの。” という女性の言葉づかいに、無理やり助詞を付けた文章です。こう感じる私は神経質すぎるでしょうか。下書きでこのような文が出たとき、私は次のように書き変えます。
私が東京に来た“理由”は、
これはたいへん複雑な“問題”です。
努力するそうだ。
上のふたつは“の”の省略をきちんと言葉に置き換えました。下は“の”を取りました。“取り払っても意味が通じる言葉”は取ってしまいましょう。
省略して誤解されやすい言葉は、このほかにも“こと”、“もの”があります。
なるべく言葉を省略しないで、しっかり書く“こと”です。
杉山産業の新型コンピュータは、旧型を大幅に改良した“もの”だ。
なんとなく意味は伝わります。しかし、“こと” や “もの” が指している対象を明示して書くと意思が伝わりやすくなります。
なるべく言葉を省略しないで、しっかり書く “心がけが必要” です。
杉山産業の新型コンピュータは、旧型を大幅に改良した “意欲作” だ。
話し言葉なら、“こと” や “もの” で省略しても違和感はありません。しかし、文章を書く時は、省略形は避けて、なるべく意思を伝える言葉を使いましょう。書き手の気持ちが入り、読み手に強い印象を与えます。ここでどんな言葉を選択するか、それが文章の個性であり、書き手の技が試されるところです。
→ 第5回:読点の戦略