幹線から分岐し、他の路線と接続しない終点に着く鉄道路線を盲腸線という。ローカル線の盲腸線は本数が少ないので、終着駅についたら乗ってきた列車で折り返すことになる。停車時間が短いので、終着駅周辺の見物ができない。次の列車を待つと1時間以上も待たされる。これは効率が悪い。そこで、山形鉄道フラワー長井線に乗るときは、バスに乗り継いで山形に出るつもりだ。田舎の道路の景色も良いものだ。
山形鉄道フラワー長井線の列車はたった1両のレールバスだ。豪華な赤湯駅舎とアンバランスだと思ったら、車体の向こう側にログハウス風の建物があって、ホームとは跨線橋で結ばれていた。こちらからは建物の正面が見えないけれど、どうやらあちらが山形鉄道の駅舎のようだ。向こうの駅前広場から見たら、この車両はきっと良く似合うことだろう。
赤湯駅。
車体そのものはどこにでもありそうなレールバス。白い車体にオレンジ、ピンク、グリーンのラインを描いている。ピンクは春の花、グリーンは夏の作物、オレンジは実りの秋を象徴しているそうだ。ちなみにフラワー長井線という路線名は沿線の自治体が花を名物としてあげたことに因むという。南陽市は菊祭り、川西町はダリア園、長井市はあやめ公園、白つつじ公園、久保桜、白鷹町はこぶしと古典桜。各車体の側面には沿線自治体のシンボルとなる花のマークが描かれている。
レールバスはディーゼルエンジンを唸らせて走り出す。乗客はボックスシートにひとりかふたり。オジサンと女子高生たちだ。奥羽本線が右に分かれたのち、線路の周囲は雪をかぶった畑である。その向こうに住宅が群を作っている。すぐに南陽市役所前に着いた。この路線が国鉄から地元の第三セクターに生まれ変わってから作られた駅だ。
フラワー長井線のレールバス。
山形鉄道フラワー長井線は、旧国鉄長井線を継承した第三セクター方式の路線だ。国鉄時代の長井線は利用客の少ない赤字ローカル線だった。1986(昭和61)年に国鉄再建法で第三次特定地方交通線に指定され、廃止の方針が決まった。そこで沿線自治体の存続要望を実現させるために第三セクターの山形鉄道が発足した。1988(昭和63)年のことだ。来年、創業20周年を迎えることになる。
山形鉄道はもともと利用客が少なく利益の出ない路線を継承した。だからもっとも重要な課題は乗客増だった。そこでまず路線名を親しみやすいキャッチフレーズをつけて"フラワー長井線"とし、車両も一新。そして南陽市役所の近くに駅を作った。住民の利便性を高め、乗客を増やすために駅を作る。国鉄はそんなことさえ怠っていた。
レールバスは宮内駅を過ぎると左へ90度針路を変える。しばらく住宅街を走った。次のおりはた駅付近も住宅地だが、水田も多い。低木をビニールテントで覆った施設は果樹園だろう。おりはた駅の由来は織機川。布の原料の産地を連想させる駅名だ。次の駅は梨郷。梨の生産地のような駅名である。しかしこちらは果樹園は見当たらない。むしろ水田が広がっている。そしてがっしりとした鉄橋で最上川を渡ると西大塚駅に着く。
水田が広がる。
レールバスは北へ針路を変える。左から米坂線の線路が寄り添ってくる。その線路が並んだところが今泉駅だ。すれ違い可能な駅で、上りホームには赤湯行きのレールバスが居た。こちらと同じ形の車両だが、ラッパを吹く女性のシルエットが描かれている。映画『スウィングガールズ』のロケ地に因んだ特別仕様だ。その映画の中でフラワー長井線はいくつか重要な場面に登場する。
冒頭では主人公のガールズが線路を歩いており、列車に警笛を鳴らされる。終盤はコンクールに向かう列車が雪で立往生し、車内で演奏会を開く。思い出深い場面に鉄道が出てくる。彼女たちの生活に密着した道具として。
今泉駅を出ると、米坂線とフラワー長井線の線路は合流し1本の線路になる。別々の会社がひとつの線路を共有するとは珍しいけれど、かつてはどちらも国鉄の路線だった名残である。やがて分岐点に到達し米坂線とフラワー長井線がそれぞれの道を進んでいく。
フラワー長井線がまっすぐ荒砥を目指さずに、わざわざ今泉に立ち寄る理由は何だろう。今泉という町は最上川の水運があり、物流の拠点として栄えていたから見逃せなかった。あるいは、荒砥地域で出荷される青苧を米坂線経由で越後へ運ぶために、今泉という接点を持つ必要があったと思われる。
最上川。
米坂線は西へ、フラワー長井線は北東へと分かれた。車窓左手は農村地帯だが、遠くの山は雪化粧をしていた。次の駅は時庭。ときにわと読む。なにか物語がありそうな名だが、由来はわからない。かなりお客さんが乗ってきて、座席が埋まっていく。国鉄や国に見捨てられかけた路線だというのに、健闘しているではないか。嬉しい。南長井で数人降りたが、また3人乗ってきた。沿線に住宅が多いから、それなりにお客さんがいるということだ。カーブ。山が近づいてくる。
長井でも10人ほど降りたが10人ほど乗ってきた。大きな町だ。住宅が立ち並ぶ向こうに大きな建物も見える。次のあやめ公園駅を出ると右側に広い庭園が見えた。列車が高いところを走るので俯瞰できる。その高さを維持して川を渡った。かなり大きいがこれは最上川ではない。野川という支流である。
川を渡ると車窓右側に団地と住宅が並び、左側は水田が広がる。まるで線路が町の境界になっているようだ。どこかに踏切を作れば、そこから砂時計の砂のように人が流れ出し、左側も市街地になるのではないか、と想像する。眠くなってきたせいか、空想が飛躍的である。
スウィングガールズ号。
そんな私の目を覚ます風景が遠くにあった。雪解けの山。日なたの雪があるところが白くなり、そこに接する日陰は青い水晶の色をしている。その色の対比が山肌の造形を浮き上がらせている。緑の濃い季節の山は輪郭しかわからないけれど、雪が薄く積もる山は立体的だ。そんな山々の奥に、頂上付近だけが四角く白くなっている山がある。
その周囲に雪はなく、どうしたらあんなにふうに四角く雪が残るのかと、その山が見えるたびにチェックする。しかし、どうやら人口雪のスキー場である。本来は積雪の足りない部分を補うための降雪機だが、人口雪だけで整備したために妙な姿になった。今年の雪の少なさを象徴した姿だ。
山肌の造形。
人口雪のスキー場。
終着駅の荒砥は町外れの荒野のような場所にあった。かつては貨物の積み出しに賑わったはずだが、現在は数本のヤードがあり、山形鉄道の車両基地が置かれている。一両だけのレールバスが到着したのち、隣の線路に留置されたもう一台のレールバスが赤湯方面に走り出し、ポイントを渡って戻ってきた。私が乗ってきたレールバスに連結して、帰りは2利用編成で行くようだ。そろそろ帰宅学生のラッシュだろうか。
荒砥駅の駅舎には小さな郷土博物館があって、古い蕎麦屋の道具や調度品などが並んでいた。最上川橋梁の資料など、鉄道の歴史に触れられる展示もある。圧巻は100体を超える数の雛人形だ。貴族階級の舞踏会のように、様々な雛人形が様々な方向を向いて座っている。それらをじっくり眺めているうちに、私が乗ってきたレールバスが折り返していった。私は予定通り、ここからバスで山形駅へ向かう。とんぼ返りの日程にしなくてほんとうによかった。私はしばらく"駅の博物館"に佇んだ。
荒砥駅の雛飾り。
-…つづく
第182回からの行程図
(GIFファイル)