餘部鉄橋を渡り、いくつかのトンネルを通って鎧駅。入り江を見下ろすこの駅も、餘部鉄橋に匹敵する名勝の地である。鎧を出てさらにトンネルが続く。車窓の邪魔だからトンネルなどないほうがいいけれど、山陰本線のトンネルは景色の幕間のような効果を持っている。古い路線だがトンネルが多い、これはつまり、この地の鉄道建設が難事業だったことを意味する。難所と呼ばれる場所ほど人里を離れ、景色がよいことになる。しかし難所なだけにトンネルが多用される。車窓を楽しむ者にとって、これほど悩ましい矛盾はない。
鎧駅も絶景が見渡せる。
13時43分、香住着。私たちはここで各駅停車を降り、後から来る特急はまかぜ4号を待つ。各駅停車で豊岡まで行っても乗り継げるけれど、はまかぜ4号自体が今回の旅の目的なので、少しでも長く乗ろうという考えだ。本当は餘部から香住ではなく、逆方向の各駅停車に乗って浜坂へ行き、はまかぜ4号の始発駅から乗りたかったけれど、その場合は乗り換え時間が1分しかないのであきらめた。香住乗り換えのほうが余裕があるし、香住駅付近を散策する楽しみもある。
そう思って香住駅を出てみたが、町役場の最寄り駅にしては閑散としていた。町のシンボルは蟹であるらしく、ゆであがった蟹の爪を模したオブジェがある。郵便ポストの上にも銀色の蟹が飾られている。駅前に唯一開いている店は水産物専門店だ。蟹好きにはたまらない場所だと思うが、私はニンニクを突きつけられたドラキュラのような心境になった。私たちはホームに戻り、餘部方向を見つめた。風の音しかしない静けさ。平行するレールが1点を結ぶ辺りに光の点がふたつ現れ、古めかしい顔つきの気動車特急がやってきた。私たちが餘部鉄橋で撮影したはまかぜ1号が浜坂で折り返してきた車両である。
香住駅はカニづくし。
「長いな」と私がつぶやく。撮影したときは気に止めなかったが、"はまかぜ4号"は時刻表に4両編成と書かれている。しかし、目の前にいる列車は7両編成。ほぼ倍の長さになっていた。お客さんの多い時期だから増結しているのだろう。ホームを歩いて車体を検分してみたくなったけれど、停車時間が短いので諦める。列車に乗り込み、予約していた1号車1番A、B席に落ち着く。1号車1番は縁起がいいけれど、運転台の真後ろの壁に向かった席では窮屈だ。しかし乗ってみると運転台と逆の端の席で車内が見渡せる。私たちは幸運だ。
座席に落ち着いて車内を眺めると、外観と同じくレトロな雰囲気だ。なにしろ30年以上も前に作られたディーゼルカーである。日本のディーゼル特急列車の中で、もっとも古い車両ではなかろうか。山陰地方にはステンレス車体を使った新型車両も多く、見慣れぬ私には異国情緒すら感じていたけれど、私たちは古い車両ばかり乗り継いでいる。『去りゆく国鉄型車両の旅』と名付けたいくらいだ。その締めくくりがこの車両、キハ181系である。
キハ181系は非電化区間の幹線用に開発されたディーゼルカーだ。1960年代後半、SLの廃止を進めた国鉄は、非電化区間にも電車と同じレベルの特急用車両としてキハ80系を新造した。キハ80系は日本全国に特急網を整備すべく量産され、改良も続けられた。しかし、普通列車と同じ量産型のエンジンを載せていたため、速度とパワーの点で電車特急より一段低い性能に留まった。そこで、当時の最新技術を投入して作られた次世代の花形としてキハ181系が作られた。
エンジンは新開発の水平対向12気筒水冷4ストローク、ターボチャージャー付きで500馬力。鉄道好きよりもクルマ好きのほうが喜びそうな性能である。このパワーを存分に発揮して、キハ181系は山岳路線や電車特急が走る区間へ乗り入れるローカル特急として活躍した。
キハ181系"はまかぜ4号"
キハ181系のデザインは野暮ったい。先頭車は流線型ではなく、前面に貫通路がつき、2方向の列車の併結運行に対応させている。運転台の直後に客席がなく、大出力エンジンを冷却するためのラジエーターが設置されている。中間車の場合はラジエーターが屋根上にあり、排気で汚れているのか煤だらけ。質実剛健のお手本のようである。しかし、この野暮ったさがキハ181系の魅力だ。すべてはパワーのため、という明快なコンセプトで作られたキハ181系は、山岳路線に強く、電車特急が闊歩する大都市の幹線にも堂々と乗り入れた。かつては奥羽本線や中央本線のエースで、やがて全国に活躍の場を広げた。
速く、強く、そのための最新技術を投入した車両。無骨な表情で媚びた装飾を持たなくても、乗り物好きがあこがれる要素をちゃんと持っている。"車両派"のM氏が乗ってみたいと熱望する気持ちもわかる。彼はレーシングカーのファンでもあり、日産がアメリカの何かのレースで初優勝したときに、会社でスポーツ新聞を読みつつ涙していた。表彰台の写真から、速くて強いものを作る人々の苦難の歴史を想像できる。そんな男子ならではの感受性の持主だ。そのM氏がこだわるキハ181系は、蒸気機関車と同じく通の好みを刺激する車両である。
室内は簡素。昔の特急車両の雰囲気が残る。
2列ぶんの大きな窓で景色がいい。
そんなキハ181系だが、電化工事の進捗とJR化後の新しいデザインを纏った新型気動車の登場により、次々に廃車されていった。強力なエンジンはジェット機のような大音響を出す。これはファンには喜ばれても沿線の人々からは不評だった。巨大な上に屋根上という手の届きにくい位置にあったラジエーターの保守にも手間がかかる。強力すぎる性能の副産物が嫌われて、晩年は四国や山陰の山岳地帯に運用が限定され、そこでも新車の投入により淘汰されていく。いまやこの"はまかぜ"だけが、キハ181系を使った最後の定期列車になっている。
特急はまかぜは山陰から峠を乗り越えて山陽へ出る。そして快速電車が頻繁に走る山陽本線を大阪都心へと疾走する。キハ181系の最後の舞台は、その製造目的を最大限に生かすルートとなっている。もちろん、今ではキハ181系を上回る性能で形の良いディーゼル特急もたくさん走っている。
製造から30年以上が経過したキハ181系も、いずれ後進に任務を譲る日が来るだろう。キハ181系は、国鉄初の新設計特急気動車として、成功と改良すべきデータを後進に残し、日本の非電化幹線高速化の礎となったのである。
山陰の海岸を望む。
M氏の強い要望で乗った"はまかぜ4号"がゆっくりと動き出した。増結されている割りには乗客が少ない。しかし、車内アナウンスによると指定席は満席とのことである。おそらくこの先のどこかから、たくさんのお客さんが乗ってくることだろう。そして、キハ181系のパワーが発揮される場所は、播但線の峠越えになるはずだ。窓際に座っているM氏が、念願かなって感無量、という顔をしている。
「峠越えが楽しみですね」と話しかけると
「パワーが勝ちすぎて車輪が空転しないことを祈ろう」と言った。それは、キハ181系のパワーに対する敬意と期待の現れである。
-…つづく
第133回からの行程
(GIFファイル)