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■新・汽車旅日記〜平成ニッポン、いい日々旅立ち
 

第601回:来世ですれ違う − 伊予鉄道郡中線 −

更新日2016/09/15


5時起床。10分ほどで身支度を調えて、さあと気合いを入れたとたん、尻が反応する。トイレで2分。小便よりも短時間で快便だ。身軽になった。フーテンの寅さんに「早飯早ぐそ芸の内ってね。見せたいくらいだな。座ったと思ったらペロッとケツ拭いちゃう」という名台詞がある。私の場合は「座ったと思ったらシュッと洗っちゃう」だ。宿は洗浄機付きトイレにこだわる。時代は変わった。


夜明け前の宇和島駅

ホテルの向かいが宇和島駅。外は暗い。街路灯がキラキラと瞬いている。路面が濡れているせいだ。傘はいらない。私は小走りで駅舎に移った。時計は5時20分。改札口は開いている。始発列車は05時33分発の特急宇和海2号松山行き。私が乗る列車である。きっぷを窓口に示してグリーン券を発行してもらう。この時間は普通車も空いていると思うけれど、四国グリーン紀行の効力をありがたく使わせていただく。


改札前に予土線100周年記念の床

宇和海2号は2000系気動車の4両編成だ。グリーン車は私を含めて3人の客がいた。4両全体で15人。こんなに朝早くからどんな用事だろう。終点の松山着は06時58分だから通勤通学には早い。もっと先へ乗り継ぐ人か、松山空港行きリムジンバスに乗る人か。グリーン車のひとりは大きな旅行鞄を持っている。グリーン車は3列でゆったりしているけれど、シートの色は掠れた紺とグレーで、やや寒々しい。この車両は1990年製だ。世界初の振り子式気動車である。もう24年経っている。


宇和海2号で伊予市へ

車窓は暗く、雨粒が斜めに流れていく。私は缶コーヒーを開け、昨日のうちに買ったまま潰れたドーナツを食べた。2個。400キロカロリー。食べ終えて文庫本を読む。東野圭吾。ナミヤ雑貨店の奇跡。旅立つ前に発売されたばかりである。序盤から没入し、ふと見上げると空が蒼い。山の稜線がわかるようになってきた。ビニールハウスの白さが淡い。時刻は06時40分。案内放送が伊予市駅到着を告げた。ここで降りる。


伊予市駅

伊予市駅の近くに伊予鉄道郡中線の終点、郡中港駅がある。今日はここから伊予鉄道を乗りつぶす。伊予市駅と郡中港駅は50mほど離れている。伊予市駅前広場から国道を渡った向こう側だ。しかし本降りの雨であった。午後から曇りという天気予報に期待しよう。しかし今はこの雨である。短い距離だけど折りたたみ傘を出そうか。いや待て、私は土産物袋を取り出した。伊予灘ものがたりのマークが入った野球帽があった。自分用の土産だ。犬の散歩で小雨の時に使おうと思っていた。もう役に立った。


伊予市駅から徒歩数分の郡中港駅

郡中港駅に、ひとり、またひとりと集まっている。傘をたたみ、少し振って、無人の改札口を通っていく。定期券を持っている人たちであろう。私はフリーきっぷを買おうと窓口へ向かった。閉まっていた。駅係員出務時間は7時14分〜21時24分と書いてあった。あと約25分である。待てない。私は松山駅までのきっぷを自販機で買った。ここから一日乗車券を使いたかった。残念だ。北近畿タンゴ鉄道でも経験したけれど、無人駅から乗車した一日乗車券利用者は、差額精算してもらえないか。あるいは自販機で販売してほしい。

日の出の時刻を過ぎたはずだ。しかし雨天だから薄暗い。ホームで折り返し電車を待っていると、ギラギラしたヘッドライトが近づいてきた。まぶしさに慣れると3両編成の電車とわかった。懐かしい形。元は京王電鉄井の頭線で活躍した3000系であった。井の頭線では前面のプラスチックマスクの色が7種類あった。到着した電車はアイボリーだ。側面はオレンジ色の帯。これは伊予鉄道のコーポレートカラーだろう。


京王3000系が来た

到着した電車から50人ほどの客が降りた。スーツ、白い作務衣、学生服。それぞれの朝が始まる。昨日までは三連休。今日から平日であった。折り返しの06時58分。電車は20人ほどのお客を乗せて発車した。懐かしいロングシート。しかし雨と暗さだ。景色を見づらい。

私は先頭車の定位置、運転室の後ろに立った。側面のガラス窓は雨で滲んでも、運転台の窓はワイパーを使う。それに、早起きしたから座っていると居眠りしそうでもあった。運転士は私に気づいているだろう。しかし、車掌が乗っているから運転業務に集中している。3000系は前面に大きな2枚窓。残念ながら、ワイパーは運転台側だけ動いている。それで支障はないようだ。私がいる右側は作動していない。景色がすべて滲んでいる。残念だけど、なかなか風情があるとも言える。

伊予鉄道は松山市を中心に鉄道路線と軌道路線とバスを展開する私鉄である。郡中線は松山市を起点とし、南西方向へ向かう郊外路線。私は終点の郡中港駅側から乗っている。郡中港は江戸時代に開かれた港で、当時は年間1000艘以上も出入りするほど賑わったという。しかし元々砂浜海岸で堆積に悩まされ、大型船の入港が適わなかった。それでも鰹節など水産加工の商業や流通の拠点となって、民間の鉄道路線が敷設された。

濡れた窓ガラスから朝の町を眺めている。線路沿いはずっと民家やアパートが並んでいる。伊予市や松山市中心部で働く人のベッドタウンになっているようだ。伊予市沿岸部には工場があり、郡中線はそれらへ向かう人の通勤路線でもあるだろう。松山市は人口51万人。伊予市は人口3万人である。並行する道路もクルマが多い。予讃線は内陸側を走っていて、郡中線とは並行していない。都市間を移動する人は予讃線、生活する人々は郡中線となるだろうけれど、予讃線の日中の普通列車は1時間に1本。郡中線は4本。生活には郡中線の方が便利だ。

単線の郡中線で1時間に4本は頑張っている。地蔵町駅にすれ違い設備がある。朝の景色は青いフィルターを通したようで赤信号が映える。しかし対向列車はなかった。赤信号が青に変わる。景色は青のモノトーンになった。次の松前駅もすれ違い設備があって、しばらく待っていると対向列車がやってきた。元京王電鉄の5000系の2両編成だ。伊予鉄道では700系と呼んでいる。多数の乗客があり、椅子も吊り手もふさがった。通勤通学時間帯の始まりだ。


京王5000系とすれ違う

いま、京王電鉄の5000系と3000系が並んでいる。これは面白い光景だ。5000系は京王電鉄京王線を走っていた。3000系は井の頭線を走っていた。それぞれの路線は軌間が違うから、京王線の現役時代は同じ路線を走っていない。京王線は馬車軌道に由来の特殊な軌間だ。しかし5000系は中古車として人気があり、台車を改造して地方私鉄に譲渡された。

井の頭線は国鉄在来線と同じ軌間で、3000系はやはり人気の中古車だ。伊予鉄道は元5000系と元3000系を入手して走らせている。両者のすれ違いはここだけしか観られない風景かもしれない。まるで京王線と井の頭線が出会ったように見える。来世で再開を誓った恋人同士のようでもある。

建物ばかりだった景色に水田が混じり、電車は築堤を上って川を渡った。重信川。人名のようだと思ったら人名で、この川を改修した足立重信に由来する。足立重信は初代伊予藩主加藤嘉明に仕え、暴れ川だった伊予川を改修し、領内の水害を激減させたという。川の名前に人の名が付く例は少ないそうだ。その重信川を渡ると伊予市である。

余戸駅。ようごと読む。ここでまた元5000系とすれ違う。あちらは2両、こちらは3両。どちらも込んでいる。松山行きの需要が多いから3両にしたはずだ。私はもっとも混む列車を選んでしまったようである。雨の日だから、ふだんはオートバイや自転車に乗る人も電車に乗っているのだろう。車掌が混雑を詫びている。こちらも恐縮する。旅行者の身分で生活路線の混雑を増やしているからだ。荷物も大きい。


車庫に突入

次の土居田駅でもすれ違いがあった。今度はこちらと同じ3000系の松前行き。通勤時間帯は区間列車も設定されている。あちらもこちらも大混雑だ。もう景色を眺める余裕もない。片側ホームの土橋駅を過ぎると、辺りの建物の高さが増す。風景は明るくなって、青から灰色へ。正面にひときわ大きな建物があって、1階が電車の車庫になっている。電車はその腹に吸い込まれる。


伊予市駅に到着

建物から抜け出すと松山市駅だ。ホームの照明がまぶしい。高浜線の線路に近づいて、こちらの電車はもっとも右寄りのホームに侵入した。隣の高浜線と横河原線も松山市駅が起点だけど、あちらは直通運転している。郡中線は独立路線だ。私が乗った電車は行き止まり式のホームに着いた。07時33分。私は大勢の乗客の流れに身を任せ、ひょいと流れを抜けて振り返る。元3000系はもう郡中港行きの表示を出していた。


ラッシュアワーだった

-…つづく


杉山 淳一
(すぎやま・じゅんいち)
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1967年生まれ。東京出身。京浜急行沿線在住。1996年よりフリーライターとしてIT、PCゲーム、Eスポーツ方面で活動する。「新汽車旅日記」をきっかけに鉄道方面にも進出した。「鉄旅オブザイヤー」最終選考委員

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