第19回:カンボジア、身請けした日本人ツーリストたち
更新日2002/07/25
カンボジアの首都プノンペンはもちろんのこと、どこの地方に行っても"置屋"といったものが存在する。そして置屋に身を委ねる女性の半数以上は、ベトナムから200~300ドルで売られてきた女性たちだ。
プノンペンの中心から車で30分ぐらいのところにある"スワイパー"は、置屋が数多く集まり一種の村を形成。ベトナム人を好まないカンボジア人によって何度か焼かれたものの、今では台湾人が大挙して観光バスで乗りつけるほど有名になっている。
そもそも置屋というものはカンボジアには存在しなかった。その始まりは国連軍平和駐留部隊の性処理施設で、プノンペン中心の70番街に置屋街が設置された……。
自国民を娼婦にするのを嫌がったカンボジア政府によって、ベトナムから女性が非合法に連れてこられたという背景もある。
バックパッカーが集まることで知られる"キャピトル・レストラン"には、長期滞在している日本人の中高年グループが毎日のようにやってくる。大きな声で3ドル、5ドルといった置屋料金の話をしては、周囲から冷たい目で見られている。
中には500ドル程度で身請けができるために、何人もの女性と一緒に生活している日本人も珍しくない。ただ台湾人に比べればましな部類。彼らの場合は、何十人も女性を身請けしては、新たな置屋を作ってしまうのだから…。
一方、たまたまカンボジアにやってきた日本人パッカーの中には、ベトナム女性の境遇に同情して、身請けしてしまう若者の例も多い。
「実は身請けしたことがあるんです。でも、無駄でした。せっかくベトナムの故郷に帰してあげようと、カンボジア人に頼んで非合法国境から脱出させたのですが、すぐに戻ってきてしまいます。家に帰っても収入源はないし、結局居づらくなってカンボジアに戻ってきてしまうんですよ。置屋にいた方が、精神的にも経済的にも楽なんでしょう。寂しい話ですが、ベトナム人は本質的にお金に執着する場合も多くて、これが現実ですよ」。
ベトナムで日本語ガイドをする女性は、かつてカンボジアの置屋にいた。
「私も両親に300ドルで売られて、置屋に3年間いました。ベトナム語の日本人翻訳家に身請けされて家に戻ったのですが、親は喜びませんでした。村の人からも冷たくされるし、居場所なんかありません…」。
また置屋のカンボジア人女性と恋に落ちて身請けした日本人ツーリストもいる。
「真剣に結婚を考えているんですが、根本的な障壁があって困っています。カンボジア女性の戸籍がないんですよ。ポルポト政権や長い戦火の影響もあって、地方の小さな村に行くと戸籍がない場合も珍しくないようですよ……。今、あちこちにかけあって戸籍を作ってくれるよう頼んでいるのですが、どうなることやら。戸籍がないと、日本に住むにしろ、カンボジアに住むにしろ、手続きができないのでお手上げです」。
日本ではカンボジアのこのような置屋環境を称して"幻の国"と呼ぶようになった。置屋をめざす人がいるかと思えば、キャピトル・レストランの情報ノートに書かれる置屋情報を黒く塗りつぶしたり、ページを破り捨てる良心的ツーリストたちもいる。
ただ忘れてならないのは、このような環境の原因は国連であり、日本のPKF部隊は金払いのいい、一番のお得意様であったこと……。
→ 第20回:ユーゴスラビアの中国人