■Have a Nice Trip! ~そしてまた、新たな旅が始まる…

安田 修
(やすだ・おさむ)


1958年、神戸生まれ。ルポライター、JTB 系広告代理店(マーケティング・制作)等を経て、現在はフリーとしてライターや出版企画などのプランナーとして活躍する。世界の辺境が大好きな現役バックパッカーで、ネットサークル「海外に住もう会」を主宰している。世界各国の移住情報や長期旅行の情報をまとめた「海外移住情報」をネットで公開中。
著書『日本脱出マニュアル』



第39回: 中国、大連の国家安全局員
第38回: キューバ、ドルの威力
第37回: チリ、イースター島の日本伝説
第36回:テニアンの日本人
第35回:ベトナム、スリの女の子

第34回:ハンガリー、温泉にはまるツーリストたち
第33回:コスタリカ、ニ人の17歳の女の子
第32回:グァテマラ、アンティグアの主産業はスペイン語学校
第31回:アルゼンチン最南端・フエゴ島の日本人
第30回:カンボジア、この国はいつたい誰の国?
第29回:ブラジルの日系共同体農場
第28回:マケドニア模様
第27回:マケドニア、国際列車にて…




■更新予定日:毎週木曜日

第40回: インド、ダージリンのイメージと現実

更新日2002/12/19


ネパールに滞在している日本人パッカーの多くは、インドを目指して移動する。ルートは二つ。気温40度も珍しくないバナラシ(ベナレス)と、有名な避暑地でもある紅茶の産地・ダージリンだ。どちらに行こうか迷ったものの、暑さを回避してダージリンを選んだ。

茶畑が広がるのどかな光景をイメージして選択したものの、現実とのギャップは大きかった。

ダージリンの山麓の麓に位置する国境地点まで、カトマンズからバスで約17時間。空いていた後部座席に移り、横に寝転びながらウトウトしていると、突然バスのスタッフに起こされた。

「ここに荷物を置くから、元の席に戻ってくれないか?」
そう言われて、しぶしぶ狭い座席に戻ると、次々とダンボール箱が運ばれ、後部座席に詰まれていった。何が入っているのか、はじめは分からなかったものの、バスが動き出すとすぐに判明した。後ろの座席から「ピヨピヨ……」というヒヨコの大合唱が始まったのだ。

ヒヨコの声が気になって朝まで一睡もできないまま、バスは国境に到着。出国手続きと入国手続きを済ませると、ダージリンまでの乗合ジープが待ち構えていた。乗り合わせたのは、若い日本人夫婦とイギリス人夫婦。空席を三つ残したまま、運転手は不満げな表情で出発した。

空いている席の料金も、分担して払えと言うのだが、全員から拒否された。そんな不届きな"インド人魂?"が影響してか、乗合ジープは山の中腹で故障。今度は乗客全員から「金返せ」の大合唱となった。

助け舟を出したのは付近の集落に暮らしているネパール系の人たちだった。車を押したり、油まみれになりながら修理を試みたり、「せっかくだから、今日は家に泊っていったら…」と声をかけてくれる人たちもいた。

そんな爽やかな光景にぶち当たり、ダージリン滞在にも期待が盛り上がったものの、いざダージリンに着いてみるとイメージは一変した。

"のどかな茶畑イメージ"とは反対に、街は商店で活気があふれ、インド各地から集まってきたお金持ちのインド人に占拠されていた。おまけにインド人の商魂にも負けないほどのチベット商人も溢れている。

そう、ここは世界的に有名な紅茶の産地であると共に、インドの富裕層に人気の一大避暑地でもあったのだ。お金持ちインド人の金使いは荒く、街のあちこちで札束を惜しげもなくバラ巻いていた。またインド人は外国人とあまりコミュニケーションを取りたくないのか、笑顔をお互いに交わすこともなく、ダージリン滞在は無味乾燥としたものになった。

乗合ジープで3時間、日本人に似た顔と風習を持つ人々が暮らすという"カリンポン"へ行こうかと思い立ったものの、同じような動機でカリンポンへ行ってきた日本人の「イマイチ」という言葉に、へこんでしまった…。

 

→ 第41回:オーストラリア、ゴールドコーストのツアーガイド裏話