■Have a Nice Trip! ~そしてまた、新たな旅が始まる…

安田 修
(やすだ・おさむ)


1958年、神戸生まれ。ルポライター、JTB 系広告代理店(マーケティング・制作)等を経て、現在はフリーとしてライターや出版企画などのプランナーとして活躍する。世界の辺境が大好きな現役バックパッカーで、ネットサークル「海外に住もう会」を主宰している。世界各国の移住情報や長期旅行の情報をまとめた「海外移住情報」をネットで公開中。
著書『日本脱出マニュアル』



第1回:ベトナム・ホーチミン
第2回:中国・大連
第3回:フィリピン・セブ島
第4回: ネパール・カトマンズ
第5回: メキシコ、オーストラリア
第6回: パキスタン・ギルギット
第7回: 戦争を知りたい女子大生
第8回:悪夢のハンガリー・スロヴェニア徒歩越境
第9回:今時の卒業旅行者たち
第10回:冬の欧州、貧乏旅行者は辛いよ
第11回:天国に一番近い島
第12回:ベトナム、シクロ物語
第13回:バリ島のジゴロたち
第14回:ベトナム、路地裏カフェ物語
第15回:ネパール、チベット難民キャンプの女性たち
第16回:バリ島、労働査証のない日本人店主たち
第17回:ミャンマーは日本の田舎?
第18回:イタリア、トリエステ駅のカナダ人
第19回:カンボジア、身請けした日本人ツーリストたち
第20回:ユーゴスラビアの中国人
第21回:ハンガリー、ブダペストのゲストハウス模様
第22回:アメリカ、ダラスの憂鬱
第23回:トルコ、黒海沿岸トラブゾンにて…
第24回:メキシコ、チェトマルの日本人を訪ねて…
第25回:ネパールのボランティア
第26回:ベトナム、これってボランティア?
第27回:マケドニア、国際列車にて…
第28回:マケドニア模様
第29回:ブラジルの日系共同体農場




■更新予定日:毎週木曜日

第30回:カンボジア、この国はいつたい誰の国?

更新日2002/10/10


ポルポト政権が倒れ、復興への道を歩み続けているカンボジア。ポルポト時代には、都市住民は全員が地方の農村に強制移住させられ、首都プノンペンはゴーストタウンと化していた。ポルポト政権が終わると人々は市街に戻り始め、今ではプノンペンのどこに行っても人で溢れ、エネルギッシュな様相を見せている。

しかし街の中心部を歩くと異様な光景が目に飛び込んでくる。街は漢字だらけの看板があふれ、クメール語の看板を目にすることはとても少ない。別にチャイナタウンに紛れ込んだわけでもなく、街の中心に連なるメインストリートの看板のほとんどが中国語なのだ。

「どこでどうなったのかは分からないんだ。気がついたら大きな道路の周辺は全部台湾人が占拠していて、いつの間にか漢字の看板ばかりになっていたよ」
そう話すのは有名なバックパッカー向けレストラン"キャピトル"にたむろするバイクタクシーの運転手。

いろいろ聞いてみると、土地の所有者がはっきりしないなどの背景もあって、台湾とカンボジアの間で何らかの合意のもとにこうなったらしい。カンボジアは外国人の個人名義では土地を登記できないものの、こうした土地は特例措置として台湾人名義になっているとも聞いた。

「この国では、誰も台湾人に好意はもっていないさ。何故って、彼らは自分たちの同胞同士で商売しているからね。俺たちクメール人は物を買わされるだけで、ビジネスには参加できないんだ」
こんな話をしていると、次々と別のバイクタクシー運転手が集まってきて、話の輪に入ってくる。

「この国はいったい誰の国か分からなくなる時があるよ。クメール人はお金がないから、商売したくてもできないんだ。もちろんクメール人でも商売している奴はいるさ。でもほとんどは台湾人や周辺国からやってきた華僑からお金を借りて商売している。だから何も言えないし、彼らの操り人形だよ。君が泊っているゲストハウスやキャピトル・レストランのオーナーも中国系カンボジア人だから、元々の資金は華僑から出ているんだ。インドネシアには行ったことがあるか? インドネシアも華僑が国を牛耳っているだろう。カンボジアも同じなのさ」

周囲を取り巻くクメール人たちが一様に頷いているのが印象的だった。台湾人や中国人たちへのこうした苦言は、どこにいっても耳に入ってくる。そんな話を聞くたびに、いずれクメール人による暴動が起こるのでは……といった危惧も抱かざるを得なかった。

それから数ヶ月、インドネシアのメダンでは中国人狩りの大規模な暴動が起こった。連鎖的にカンボジアでも暴動が起こる可能性はあったものの、目立った動きは特になかった。しかし、クメール人の不満が蓄積すると、いずれ暴動に発展する可能性は否定できない。

国家としてもまだまだ形になっていないカンボジア。国とは…、民族とは…、といったことを考えさせられる旅になった。

 

→ 第31回:アルゼンチン最南端・フエゴ島の日本人