第31回:アルゼンチン最南端・フエゴ島の日本人
更新日2002/10/17
南米南端のパタゴニア地方。チリやアルゼンチンにやってくる日本人パッカーや南米をバイクで縦断するツーリストにとって、パタゴニアの地はとても魅力的に映るらしい。そんな彼らに影響されて、せっかく来たのだからと、予定を変更してアルゼンチン最南端のフエゴ島をめざすことにした。
「パタゴニア南部はチリとアルゼンチンの国境線が複雑だから、何度も両国を往復しないといけないのが面倒だよね。でも中米と違って、国境越えはトラブルもなくてとても楽だよ。特にバイクで旅していると、バイクの書類だのなんだのとややこしくて、スムーズに通過できる環境が一番ですよ。」
こう話すのは、マゼラン海峡を渡るフェリーの中で知り合った日本人大学生。フエゴ島に近づくにつれ風は強くなり、「風のパタゴニア」と呼ばれる理由が実感として分かってきた。話をしている間も何かに掴まっていないと吹き飛ばされそうになる。そんな強風の中、これから行くという最南端の街ウシュアイアにある日本人経営のゲストハウスの場所を教えてもらい、再会を約束した。
フエゴ島に着いてから数日後、バイクがないために、途中ヒッチハイクも何度か経験して、やっとのことで上野さんという日本人が経営するゲストハウスに到着した。
「よく来られましたね、バイクがないと大変でしたでしょう。ここはバイクツーリストが多く集まってくるんですよ」
こう言って笑顔で迎えてくれた上野さん夫婦。正確には宿ではなくて、口コミで噂が広がり、訪ねてくるツーリストたちを泊めるようになったという。
「私は40年程前にアルゼンチンに移民したんですよ。いろんな職業を経験しながら、なんとか子供を育てました。子供が独立したのを機会にウシュアイアにやって来たんです。もう10年以上、ここに住んでいますよ。」
上野さん夫婦の半生は激動の連続で、そんな話の数々をツーリストたちに話すのも楽しみになっているらしい。また、ここに集まるツーリストたちは旅のツワモノばかり。そんな個性派ツーリストたちの話にも刺激を受けるのか、70歳を越えているのにやたらと元気だ。
次の日、先に到着した大学生が泊っている別宅に行ってみることにした。別宅といっても小屋のような感じで、5キロほど離れた丘の上にある。道に迷いながらもなんとか探し当てると、幸いに彼は外出せずに、小屋の前でバイクの手入れをしていた。
「いやぁ~、やっと来ましたね。本宅に泊っているんですか? 僕はここが最終目的地なので、もうすぐ日本に戻ります。大学を卒業したらバイクの修理屋をしたいんですが、お金を貯めないといけないですよね。お金が貯まると直ぐに旅に出てしまうので、そろそろ旅をひかえないと…、寂しいけれど…」
この後、彼のバイクを数時間貸してもらって、フエゴ島を走り回った。途中、見たこともないような動物たちとも出会った。パタゴニア最南端は、さらに船またはチャーター飛行機で行くチリ領のプエルト・ウィリアムスという村。そして、その先は南極。距離にして1,000キロにも満たない…。
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