第368回:流行り歌に寄せて No.173 「虹色の湖」~昭和42年(1967年)
中村晃子という人は、私は以前からずっとフランス人を連想させる雰囲気を持った人だと感じていた。目、鼻から唇にいたるまでのラインによるものなのか、あるいは全体の印象か、ブリジット・バルドーやミレーユ・ダルクに面影が似ていると思う。
フランス人であるダリダとアラン・ドロンの『あまい囁き』(原曲はイタリアのミーナとアルベルト・ルーポによる)を細川俊之とカヴァーしていたのも、その印象を強めたのかもわからない。
今回初めて知ったのだが、彼女の芸能界入りのきっかけは、高校生の時に「ミス・エールフランス・コンテスト」で準ミスに入賞したことからとのことで、あながち、私の一方的で、的外れな思い込みでもないのではという気がする。
その入賞から、昭和38年には松竹へ入社し、女優として映画界にデビューする。昭和40年から翌年にかけて、橋幸夫のヒット曲を映画化した『雨の中の二人』など、田村正和とのコンビでのシリーズが作られたが、思うように売れなかったようである。また、安藤昇の『掟』タイトルのシリーズでも、2作ほど相手役に抜擢されている。
一方で、昭和40年に『青い落葉』という曲で、歌手としてもキングレコードからレコードデビューを果たす。今回の『虹色の湖』はデビューから丸2年を費やし、7曲目にしての初めてのヒット曲である。ランキング3位まで昇りつめ、キングレコードの粘り強い歌手の育成の姿勢が功を奏した、好例であると思う。
「虹色の湖」 横井弘:作詞 小川寛興:作曲 森岡賢一郎:編曲 中村晃子:歌
幸せが住むという 虹色の湖
幸せに会いたくて 旅に出た私よ
ふるさとの村にある 歓びも忘れて
あてもなく呼びかけた 虹色の湖
さよならが言えないで うつむいたあの人
ふるさとの星くずも 濡れていたあの夜
それなのにただひとり ふりむきもしないで
あてもなく呼びかけた 虹色の湖
虹色の湖は まぼろしの湖
ふるさとの想い出を かみしめる私よ
帰るにはおそすぎて あの人も遠くて
泣きながら呼んでいる まぼろしの湖
骨太のビート感は、演奏の『津々美洋とオールスターズワゴン』が生み出したもの。当時GSブームの中で、一人の歌手がGS調の曲を歌う時(独りGSなどと呼ばれていた)にバッキングアップ要員として大活躍したバンドである。
コーラスはザ・エスカーヤーズ。この時代のキングレコードから出る多くの歌手のバックコーラスを務めている。
作詞・作曲は『さよならはダンスの後に』『おはなはん』(いずれも倍賞千恵子)のヒットで有名な横井弘、小川寛興のコンビである。
横井弘は、苦しい戦争体験の後、長野県下諏訪町に一家で移住し、近くの湖畔や山々を散策しながら詩作に耽ったという。伊藤久男の歌唱で有名になった『あざみの歌』は八島ヶ原湿原で作られたというが、今回の『虹色の湖』のイメージの元となったのがどの湖なのか、興味深いところである。
小川寛興が『月光仮面』『七色仮面』『鉄腕アトム』『怪傑ハリマオ』をはじめ、テレビドラマのテーマ曲作者の第一人者であることは以前にも触れたが、実に多くのジャンルをこなす人である。今回の曲も、グングンと聴く人の耳を引っ張っていく感じがとても心地よい。
さて、デビュー以来、いろいろな話題を与えてくれて、そしていつも華やかなイメージに包まれている中村晃子の姿を最近見ることができないのは、大変寂しい思いがする。今はご兄弟と習志野の豪邸にお住まいであると聞くが、また近いうちに、私たちの前に帰ってきてもらいたいと願っているのだが。
-…つづく
※前々回の『バラ色の雲』のご紹介の中「森岡賢一郎:作曲」とあるのは、「森岡賢一郎:編曲」の誤りでした。お詫びして訂正申し上げます。奇しくも、今回も同じ編曲者になりました。
第369回:流行り歌に寄せてNo.174「小樽のひとよ」~昭和42年(1967年)
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