第280回:流行り歌に寄せて No.90 「霧子のタンゴ」~昭和37年(1962年)
女性の名前をタイトルにした男性歌手による曲というのは、かなりの数あるものだと思う。今思いつくままに列記してみたい。括弧内は発表された年だが、こちらは思いついたのではなく、今回調べたものだ。
歌謡曲を古い順からあげれば、
昭和20年代では、津村謙『上海帰りのリル』(昭和26年:以下S表記年省略)、春日八郎『お富さん』(S29)が有名であり、
昭和30年代に入ると、いわゆる元祖アイドルたちによる、平尾昌晃『ミヨちゃん』(S35)、橋幸夫『江梨子』(S37)、三田明『ごめんねチコちゃん』(S39)あたりが挙げられる。
昭和40年代初めになると、グループ・サウンズが登場、ザ・タイガース『僕のマリー』(S42)は彼らのデビュー曲。後半に入ると、小林旭『純子』(S46)、千昌夫『アケミのいう名で十八で』(S48)といった渋めの路線も出てきている。
フォークソングやニューミュージックでは、その世界観から来るものなのか、女性の名前は多出してくる。
知る人ぞ知る名曲、ブレッド&バター『マリエ』(S45)を皮切りに、ボブ・ディランの原曲に乗せて拓郎が『準ちゃんが吉田拓郎に与えた偉大なる影響』(S47)を歌えば、古井戸『さなえちゃん』(S47)、井上陽水『チエちゃん』(S48)など、『◯◯ちゃん』ものが流行っていった。
当時のディスコ、チークタイムの定番、つのだひろの『メリー・ジェーン』(S48)は耳にタコができるくらい聴いている。
バンド・サウンドの名曲で言えば、ダウンタウン・ブギウギ・バンド『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』(S50)、サザンオールスターズ『いとしのエリー』(S54)、甲斐バンド『安奈』(S54)があげられ、当時の青春の匂いというものが感じられる曲ばかりである。
長渕剛『順子』(S55)、南こうせつ『美映子』(S57)あたりも、あの時代を感じさせる、今では懐かしく切ない曲だ。
ばんばひろふみ『SACHIKO』(S54)、ニック・ニューサ『サチコ』(S56)、この2曲の「さちこ対決」というものもあった。
また、本職の歌手以外でも、関取である、増位山太志郎による『そんな夕子に惚れました』(S49)、将棋指し、内藤國雄の『おゆき』(S51)、プロ野球投手、小林繁『亜紀子』(S54)など、女性に人気の各界の人々による副業の競演もよく覚えている。
変わったところでは、ザ・ダーツとザ・ジャイアンツ『ケメ子の歌(唄)』(S43)、同じ曲をアレンジを変え、二つのグループが1週間の違いだけで発表した、いわばコミック・ソングであった。
タイトルには名前は出てこないが、曲中で名前を連呼する、美樹克彦『花はおそかった』(S42)のかおるちゃん、沢田研二『追憶』(S49)のニーナも印象深い。
渋いと言えば、藤竜也『花一輪』(S49)、「蛍の子と書いて蛍子(けいこ)と申します」というフレーズが印象深い、妹への思いを綴った台詞だけの曲だった。
「霧子のタンゴ」吉田正:作詞・作曲 フランク永井:歌
1.
好きだから とても とても とても
好きだから 別れてきたんだよ
霧子は この俺 信じてくれた
それだから 俺はつらくなって
旅に出たんだよ
2.
逢いたくて とても とても とても
逢いたくて お前の名を呼んだ
可愛いい 霧子よ 泣いてはせぬか
いますぐに 汽車に乗って行きたい
愛の降る街へ
3.
愛してる いまも いまも いまも
愛してる 死ぬほど愛してる
心の 奥に 生きてる霧子
幸福(しあわせ)に なっておくれ霧子
幸福に霧子 幸福に霧子 幸福に霧子
少し前振りが長すぎたが、さて、フランク永井という人、今回ご紹介する『霧子のタンゴ』以外にも、女性の名前のつくタイトルの曲をいくつか歌っている。
『夜霧に消えたチャコ』(S34)、『さよならアイコさん』(S34)、『冬子という女』(S39)、『アコちゃん』(S40)、『千花子の手紙』(S41)、『雪子』(S44)、『ルイという女』(S45)、『麻耶と別れて」(S48)、『お涼さん』(S52)。
他の人を具に調べたことはないが、10人の女性の名が出てくるというのは、おそらく最もその数の多い歌手だという気がする。あの低音で自分の名前を呼ばれれば、女性の方はクラっとくることだろう。
とは言え、タイトルを見ていると現実にはめったにお目にかかることのない名前も少なくない。例えば「霧子」などという本名の人が本当にいるのだろうか。少なくとも、私の出会った人では一人もいなかった。
もちろん、このような芸名、役名、筆名にしか登場しないような、いわばバーチャルの名前を付けた方が、イメージが固定されずに皆に愛され、ヒットするのではないかという作者側の意図もあるのだろう。
フランク永井のヒット曲の大半の作曲をしている国民栄誉賞受賞の作曲家、吉田正が、常連の作詞家、佐伯孝夫などと組むのではなく、大変に珍しく、自らが作詞をするという気合の入れ方で提供された作品である。
「とても とても とても好きだから 別れてきた」
「この俺を信じてくれた それだから つらくなって旅に出た」
大変に意味の深い言葉である。専門の作詞家では思いつかないロジックで書かれたもののように思う。もし、私が吉田正に「わかるだろう?」と問われても、「わかる気はします。けれども、どこか腑に落ちない部分は残ります」と答えるしかない。
彼は、「私もそうだ、そういうものだ」と言ってくれるのだろうか。
-…つづく
第281回:流行り歌に寄せて No.91「エリカの花散るとき」?昭和38年(1963年)
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