第281回:流行り歌に寄せて No.91 「エリカの花散るとき」~昭和38年(1963年)
今回から、昭和38年の曲に変わる。
時々出てくる私事で恐縮だが、私たち4人家族は、昭和33年から長野県の上諏訪にある、隣屋と縁側で繋がっている六畳一間と申し訳程度の台所という長屋に5年近く住んでいた。しかしその後、待望のマイホームというものを岡谷市に建てて、昭和38年の正月明けに引っ越しをした。
父と母が32歳、私が数日で7歳になる小学校1年生で、妹はまだ三つだった。何より父がとてもうれしそうだったのを覚えている。「まず、そこにあるスリッパを履こう。さてこの部屋は居間で、こっちが客間だ。お前たち二人の子ども部屋もあって、お勝手だって随分広いだろう」。そんな風に、嬉々として私たちに部屋の紹介をしていた。
今の父は、その子ども部屋に小さなベッドを置いて一人で寝起きし、毎日徒歩で往復約1里離れた、母の住む老人向け介護付き住宅に面会に通っている。半世紀の年月は、やはり重いものがある。
さて、これからの4年間の曲は、私が岡谷市で耳にした曲である。歌謡曲に関心を持ち出し、自分で意識して積極的に聞き出した、口幅ったい言い方をすれば、歌謡曲リスナー歴の初期にあたる。西郷輝彦や舟木一夫の歌に夢中だった。これからは少しずつリアルタイムで聴いた時の思いも綴っていくことができそうだ。
その昭和38年の最初にご紹介する曲が、私のこよなく好きな歌手、西田佐知子の『エリカの花散るとき』であることは、とてもうれしい。この年の2月に発売された曲である。但し、残念なことにリアルタイムで聴いていた記憶はない。
「エリカの花散るとき」 水木かおる:作詞 藤原秀行:作曲 西田佐知子:歌
1.
青い海を見つめて 伊豆の山かげに
エリカの花は 咲くという
別れたひとの ふるさとを
たずねてひとり 旅をゆく
エリカ エリカの花の咲く村に
行けばもいちど 逢えるかと…
2.
山をいくつ越えても うすい紅色の
エリカの花は まだ見えぬ
悲しい恋に 泣きながら
夕日を今日も 見送った
エリカ エリカの花はどこに咲く
径ははるばる つづくのに…
3.
空の雲に聞きたい 海のかもめにも
エリカの花の 咲くところ
逢えなくなって なおさらに
烈しく燃える 恋ごころ
エリカ エリカの花が散るときは
恋にわたしが 死ぬときよ…
作詞と作曲のコンビは、『アカシヤの雨がやむとき』と同じ、水木かおると藤原秀行で、彼女には多くの曲を提供している。この2曲と『サルビアの花は知っている』『ポプラ並木に星はまたゝく』は植物の名前を使ったタイトルだ。
エリカとは、ツツジ科のでエリカ属の植物。スコッチ・ウイスキーを作るときには欠かせない泥炭の基となるヘザーやヒースの仲間でもある。ここでは「うすい紅色のエリカ」と歌われているから、調べたところ、最も一般的なジャノメエリカを指していると想像できる。
歌詞の内容を見ていくと、
もう別れてしまった恋人がいつか「自分のふるさとには、季節になるとうすい紅色のエリカの花があたり一面に咲くんだよ」という言葉を頼りに、伊豆の地を訪れる。案内のない土地だから、おそらくバスに乗ってエリカの花が咲いている場所を、何日もかけて探し回るのだが…という感じだろうか。
「エーリカー」という彼女の歌い方が、切ない心根をとてもよく表している。感情をぶつけるのではなく、抑えていながらも溢れ出てしまう。そういう気持ちを表現するのが、この人は実にうまいのである。
ちなみに、この曲もよくあるパターンのB面スタートの曲である。元々のA面曲は『浜辺と私』というもので、オリジナル・ジャケットには「NHKテレビ歌謡」と紹介されている。これは『上を向いて歩こう』『遠くへ行きたい』や、彼女の曲である『故郷のように』などの、NHKのテレビ番組『夢であいましょう』で紹介された永六輔、中村八大コンビによる「今月のうた」をレコーディングされたのとは別のものである。そもそも作詞作曲家が違う。
それでは何かと調べてみたが、はっきりわからなかった。「みんなのうた」のような形のテレビ番組が存在したのだろうか。「NHKテレビ歌謡」の意味をご存知の方には、ぜひお教えいただきたいと思う。
さて、この『エリカの花散るとき』により、この年のNHK紅白歌合戦に出場することができた。この第14回紅白の模様はほぼ完全な形でその映像が残っている。YouTubeで確認すると、彼女は珍しく和服姿で登場して歌を披露していた。
曲の導入部、演奏の方のテンポがもたつき一瞬戸惑いの表情を見せるが、すぐに笑顔で右手で小さくリズムを取り、オーケストラ側を落ち着かせながら歌い続けた。ファンとしては、こういうところでまた惚れ直してしまうのである。
-…つづく
第282回:流行り歌に寄せて No.92
「恋のバカンス」~昭和38年(1963年)
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