第99回:社会保険を、少しまじめに考えてみる (2)
更新日2007/07/05
私は高校1年生のとき柔道部員だったが、その年の県大会の予選が行なわれた際のことだ。試合に出たのは、全員先輩の2年生だったのだが、1回戦でまったくよいところがなく、敗退してしまった。主将はあまりに悔しかったのだろう、「柔道部全員、明日の稽古までに丸坊主にしてくること!」。そう宣言してしまった。
そして、「反省の気持ちを表すため、できるだけ短く刈り込んでくるように。一人ひとりが気合いを入れ直してこい!」と付け加えた。やっかいなことになった。中学生じゃあるまいし、また坊主頭じゃ女の子には余計にもてなくなるし、第一、自分で試合に出ていないのに何で…。
そう思いながらも、主将の命令には逆らえず、「できるだけ短く」「気合い」という言葉を、忠実に守り、私は床屋さんで五厘(五分刈りの10分の1)に刈ってもらって、翌日の稽古に臨んだ。ところが、青くなるほど刈り込んだのは私一人、なかにはスポーツ刈りにしてお茶を濁してくる同級生もいた…。
今回の、社会保険庁職員の賞与一部返納の記事を読んで、なぜか遠い日のクラブ活動のひとこまを思い出してしまった。社会保険庁の長官が要請したのだと言うが、あまりにも目先のことだけを考えた、まったく大人げない処置だと思う。
「自分が試合に出て負けたのであれば、納得のしようもあるが…」、職員の多くの人たちは、そう感じていることだろう。今回のことは、職務上の大きな過失によって減俸されることとは、大きく意味合いが違う。
上からの指示に従い忠実に業務をこなしていながら、「職員一丸となって改革に向かう姿勢を示すため」という大義のために、なぜ大切な生活の糧である、賞与を一部返さなければならないのか。
今回の処置は、世間の風当たりを少しでも弱めるため、そして今月の参議院議員選挙のためのパフォーマンスという理解の仕方しか、私にはどうしてもできないのである。そのために、長官は部下の大切な賞与をむしり取ったのだ。職場のトップとして、最もいてほしくないタイプの人間だ。
「今後1年以内に年金加入者・受給者全員と該当者不明の納付記録約5,000万件の照合調査を完了する」という首相の見解も、明らかに参議院議員選挙のためだけの発言である。どう考えてみても、わずか1年でそんなことができるはずがない。それができるのであれば、当然今回の問題も起きてはいない。
選挙が終わりさえすれば、政府も発言のトーンをかなり落とし、少しは現実的なものになるのだろうが、選挙戦でかなり窮地に立たされているとは言え、あまりにも付け焼き刃的な見解で、これをそのまま信じてしまう国民がそう多くいるとは思えない。
今回の年金問題がある一定の基準をクリアするには、考えられないほどの時間と労力が必要だと思う。職員が大急ぎでしゃかりきになって取り組んでも、3年から5年はかかるだろう。それ以上かも知れない。もしそれが終了したとしても、最終的に残る未解決な部分は膨大なものだろう。
政府が、本気でこの問題で国民の信頼回復を得ようとするのであれば、まず現実的で実行可能なプログラムを示し、それを着実に実行していくこと。そして、未解決な部分については、専門家によるガラス張りの検討委員会を期限付きで設けて、最大公約数に近いあり方を真剣に模索し、その議事内容を随時国民に知らせていくことだろう。
いずれにしても、ここまで訳のわからなくなってしまったものに立ち向かって行くには、よほどの覚悟が必要になる。それがいかほどのものなのか、その重さを想像していく力を、私たちも持つ必要があると思う。
今回の一連の問題で、とても強く感じたことがある。それは、社会保険庁の、とりわけ社会保険事務所の職員に対する、執拗とも思えるバッシングだ。
元来、テレビ、週刊誌などの報道機関は、常にバッシングする標的である獲物を狙っていて、ひとたび食らいつくと一気集中的に食い尽くし、その後、また次の獲物を獰猛に探し求める。その事態の本質を見極めること、善後策を真剣に考えることは、彼らにとっては必要ないことのように見える。
今回は、まさに職員が餌食になってしまった。社会保険事務所に年金の相談などに行った多くの人たちの意見という形で、いかに職員の対応が悪いかをずっと報じ続け、不正を行なった一部の職員を全国的に追っていって、その体質が腐っていると論破する。
相談者が、窓口で職員に向かって「税金泥棒!」と罵ったりするのは頻繁にあるようで、職員を殴りつけたりという事態も起こっている。業務では異常なほどのスピードを要求されるし、一般の相談者からは冷たい扱いを受ける。私だったら、「やってられねえや」と匙を投げ出すところだろう。繊細すぎる人なら、鬱病にもなりかねない。
肝心なことは、社会保険庁の体質が悪かったことで、職員一人ひとりの資質が悪かったのではないと言うことだ。人は哀しいことに、手近にいる弱い立場の人々に、自分の感情をあらわにしがちである。けれども、それでは何一つ解決はできないのだ。
どうか、もっと本質を見よう、怒りを向ける方向がぶれないようにしよう、と私は本気になって願っている。
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