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第462回:流行り歌に寄せて No.262 「別れの朝」~昭和46年(1971年)10月25日リリース

更新日2023/08/10


『別れの朝』は前野曜子に限る。
ペドロ&カプリシャスの初代ヴォーカル、前野曜子に限るのである。もちろん、二代目の高橋まりの歌唱も素晴らしいし、三代目の松平直子の声も聴かせる。けれども、この曲に限っては、前野の歌が一番と、私は思っている。

ここが良い、ここが違うと、その魅力を言葉で表現できない自分の力のなさが実に歯痒いが、一度聴いてくださればご理解いただけると思う。

前野は、もともとはタカラジェンヌであり(第53期生;芸名、弓千晶)、ペドロ&カプリシャスに入る前は、宝塚時代の知り合い亀渕友香の紹介でリッキー&960ポンドに参加していた。そして、昭和45年(1970年)9月には、西丘友里名義で、『朝を待たずに』(山上路夫:作詞 鈴木邦彦:作曲 馬飼野俊一:編曲)という曲でレコード・デビューしている。

翌、昭和46年にペドロ&カプリシャスに加入し、『別れの朝』を歌って、いきなりオリコン・チャート4週連続1位、シングル売り上げが55万枚を超える大ヒットとなる。

そして、この曲の次に、シングルでは『さようならの紅いバラ』『そして今は(NOW)』、アルバム『別れの朝』を出し、ペドロ&カプリシャスは人気グループとなっていった。

ところが、元来の身体の弱さに加え、芸能界の生活に馴染めなかった前野は、度々体調を崩し、演奏活動を続けられなくなって、昭和48年にはグループを脱退し、渡米する。一説には、子どもの頃から聴き馴染んでいたブラック・ミュージックへの強い思いが、そのまま黒人男性に傾倒することになり、渡米に至ったとされる。

半年弱、アメリカにいた後に帰国、バンド・マスカレードにて歌手生活を再開した後、昭和51年にリッキー&960ポンドに戻り、同グループに3年間在籍している。

その後、彼女の名前が再び脚光を浴びるのが、昭和54年、角川映画『蘇る金狼』の『蘇る金狼のテーマ』がヒットした時だった。彼女は、この映画のオリジナル・サウンド・トラックの全曲を歌っている。松田優作のアクションとともに、今でも多くの人々の心に残っている音楽である。

昭和57年から始まったフジテレビ系のアニメ『スペースコブラ』のテーマ曲を歌った頃からアルコール依存症などの病気が悪化し、入院、闘病生活が続いていたが、昭和63年7月31日、心不全でこの世を去った。まだ、40歳の若さだった。

訃報は、その時は出されることなく。3年後の平成3年(1991年)4月23日号の光文社の雑誌『女性自身』によって、初めて彼女の死が公の場で明らかになった。彼女は、それほどまでに「忘れられた女」だったのか。


「別れの朝」   ヨアヒム・フックスベルガー:作詞  なかにし礼:日本語詞  ウド・ユルゲンス:作曲 
          前田憲男:編曲  ペドロ&カプリシャス:歌


別れの朝 ふたりは

さめた紅茶のみほし

さよならの くちづけ

わらいながら 交わした

別れの朝 ふたりは

白いドアを開いて

駅につづく 小径を

何も言わず 歩いた

 

*言わないで なぐさめは

涙をさそうから

触れないで この指に

心が乱れるから*

 

**やがて汽車は 出てゆき

一人残る 私は

ちぎれるほど 手をふる

あなたの目を見ていた**

 

(*くり返し)

(**くり返し)

あなたの目を 見ていた

 

この『別れの朝』の原曲は、作曲者のウド・ユルゲンス(Udo Jurgens)〈uの上にウムラウト記号〉が歌った『Was ich dir sagen will』(意味は「僕が君に伝えたいこと」)で、邦題では『夕映の二人』として、ペドロ&カプリシャスのヒットの翌年に、日本でも発売されスマッシュ・ヒットとなっている。ウドは、ドイツ語圏の歌手の中では最も売れた歌手の一人だという。

また、ペドロ&カプリシャスがリリースする以前の昭和44年には、シャンソン歌手の大木康子が『夕映の二人』、アイ・ジョージが『誰かが唄っている』のそれぞれのタイトルで、この曲を歌っているのである。しかし、これらの歌詞の内容は、なかにし礼のものとは大きくかけ離れたものらしい。


さて、ペドロ&カプリシャスは、昭和46年結成以来、半世紀以上活動を続けている、いわゆる大人の音楽グループである。リーダーのペドロ梅村は、今年で81歳になり、女性ヴォーカルも現在で六代目を数える。

初 代  前野曜子  1971年〜1972年       

二代目  高橋まり  1973年〜1978年 

三代目  松平直子  1978年〜1982年   1983年〜2011年

四代目  桂木佐和  1982年〜1983年

五代目  桜井美香  2011年〜2017年

六代目  矢口早苗  2018年〜

他のメンバーも多く入れ替わっているが、グループは存続している。近年は、ペドロ梅村の体調により、活動の状況は安定していないようだが、日本を代表する音楽グループとして、この後もずっと続けて欲しいと願っている。

-…つづく

 


第463回:流行り歌に寄せて No.263 「君をのせて」~昭和46年(1971年)11月1日リリース


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金井 和宏
(かない・かずひろ)
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1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
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