第200回:流行り歌に寄せてNo.12 「銀座カンカン娘」~昭和24年(1949年)
今年の元旦、各新聞の社会面に大きく報じられていたのは、往年のスター女優、高峰秀子の訃報だった。21世紀に入って10年、戦前、戦後にかけて活躍した大女優が、昨年の暮れも押し迫った12月28日、肺ガンのため、86歳でこの世を去ったのだ。
私はここ3年あまり、成瀬巳喜男監督の映画に興味を持ち、CS放送での映像だが、約30本以上の作品を観ている。彼の作品には高峰秀子の出演したものが実に多く、昭和16年(1941年)、高峰が17歳の年に撮った『秀子の車掌さん』以来、昭和41年(1966年)の『ひき逃げ』まで25年にわたり、14作に顔を出している。
私は、彼女の出演している成瀬映画はほとんど観ているので、最近では私にとって、最もよく顔を見ていた女優さんだった。それだけに、訃報を知ったときはかなりショックで、今年は新年早々、大きな喪失感を感じたものだ。
「銀座カンカン娘」佐伯孝夫:作詞 服部良一:作曲 高峰秀子:歌
1.
あの娘可愛いや カンカン娘 赤いブラウス サンダルはいて
誰を待つやら 銀座の街角 時計ながめて そわそわにやにや
これが銀座の カンカン娘 (これが銀座の カンカン娘)
2.
雨に降られて カンカン娘 傘もささずに 靴までぬいで
ままよ銀座は 私のジャングル 虎や狼 恐くはないのよ
これが銀座の カンカン娘 (これが銀座の カンカン娘)
3.
指をさされて カンカン娘 ちょいと啖呵も 切りたくなるわ
家はなくても お金がなくても 男なんかにゃ だまされまいぞえ
これが銀座の カンカン娘 (これが銀座の カンカン娘)
4.
カルピス飲んで カンカン娘 一つグラスにストローが二本
初恋の味 忘れちゃいやよ 顔を見合わせ チュウチュウチュウチュウ
これが銀座の カンカン娘 (これが銀座の カンカン娘)
女優、高峰秀子が歌を歌い、初めてのレコーディングをしたのは、実は戦時中の昭和17年、彼女が18歳のときの『森の水車』だったという。あの「コトコトコットンコトコトコットンファミレドシドレミファ~」という曲である。ところが、時流に合わないと言うことで、すぐに発売禁止レコードになったらしい。
それから7年が経ち、戦争も終わって、25歳になった高峰が出演した同名の映画『銀座カンカン娘』の主題歌としてレコード化されたのが、この曲であった。
共演したのが笠置シズ子。高峰は自分より10歳年長の名歌手をこよなく尊敬していた。笠置が歌うステージはくまなく回って、今で言う「追っかけ」をするほどの熱愛振りだったようだ。後に高峰は、その著書の中で「笠置シズ子は歌そのものであった」と書いている。
だから、笠置と親友役として共演するのが楽しくて仕方なかったらしく、また、笠置も高峰に惹かれていたようで、会話から歌、歌から会話にと変幻自在に変わってゆくミュージカル仕立てのこの映画で、二人は実に息のあった演技を見せている。
私は、高峰の映画での台詞の声は、どちらかと言えば「悪声」の部類に入ると思っているが、逆にそこが魅力的なのである。「いやあね、まったく困っちゃうじゃない」などと、柱を背に後ろ手を組み、片足をブラブラさせながら、あの声で、少しはすに首をかしげながら話す姿は、彼女の真骨頂であると言っても過言ではない。
ところが、歌声になるとオペラ歌手の指導を受けているからなのか、堂々としたものである。ただ、随所で高峰らしい「台詞回し」が出てきて、思わずニヤリとしてしまうのだ。
例えば、「あの娘可愛いや カンカン娘」の"娘"の部分は、『むすめ~ェ~』という感じのナチュラル・ビブラートがかかっていて彼女らしい。その後の伸ばす音にも、このビブラートは全部かかっているようだ。
そして、4番の「初恋の味 忘れちゃいやよ」の"いやよ"は、『いや~ぁよ』という、映画の台詞をそのまま彷彿させる言い回しなのである。
ところで、「ちょいと啖呵も 切りたくなるわ」という詞があるが、彼女は実に気風の良い人であったらしい。私が彼女に惹かれるところもそこにある。人としてのスケールが大きいのだろう。しゃべり口調も、実に気持ちが良い。
『銀座カンカン娘』は大ヒットした。その2年後、高峰は、木下忠司:作詞、黛敏郎:作曲の同名映画『カルメン故郷に帰る』の主題歌を歌うが、その後は、彼女は歌手としてマイクロフォンの前に立つことはなかった。
その理由は何だったのか? それは、彼女の潔さから来ているものなのか、いろいろと知りたくなって、私は、先日から彼女の半生記『わたしの渡世日記』を読み始めている。
-…つづく
第201回:流行り歌に寄せてNo.13
「星影の小径」~昭和24年(1949年)
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