第466回:お墓参りとお墓の話
日本に帰るたびに、私が会ったことがないダンナさんの父親のお墓にお参りしていました。過去形なのはお母さん、私にとってお姑さんですが、がもうすぐ100歳になり、足腰だけでなく記憶のほうも少し怪しくなってきたので、主賓であるお姑さんがお墓参りに参加できなくなり、私たちもお墓への足がグンと遠のいてしまったからです。
命日やお盆にお墓参りをするのは、なんとも和やかで美しい習慣だと思います。私たち夫婦に子供がいませんから、何時だったか、お姑さんがポツリと、「このお墓、一体、誰が守るんだろうね」と言っていたとダンナさんがシバシ軽いショックを受けていたのを覚えています。
それ以後でしょうか、ダンナさん、甥っ子、姪っ子に、「墓やるけど、いらないか?」と声をかけていますが、皆口を揃えて、「そんなもの、いらないよ」とあっさり拒否されています。私たちが死んだらそこに入り、その後、無縁仏として市が処理することになるのでしょうね。
墓は生き残った者の思惑、思い入れによって大きく変わるものです。
数年前、東京を歩き回っていた時、本所の回向院にある、江戸時代の大火や大震災のときの無縁仏の塚を訪れました。そして、そこからそう離れていないところに『ネズミ小僧次郎吉』の墓を見つけて驚いたことを思い出します。
実在の人物だとは思っていましたが、墓まであるとは想像していなかったからです。後日調べたところ(こんなことに奇妙にハリキル傾向があるうちのダンナさんが調べてくれたのですが…)、この盗賊、泥棒は10年間に122回、武家屋敷に侵入し、なんと総額三千両も盗んだというのです。それにしても、武家屋敷というのはそんなに無用心で、簡単に侵入でき、その上、家の中にそんな大金を隠し持っていたんですね。
商売をしている家とか豪商の蔵でなくて、もっぱら大名屋敷、武家屋敷を狙ったところに少しは反社会的な要素がなくはないですが、ネズミ小僧がロビン・フッドのように盗んだ金を貧乏な人にばら撒いた…という伝説は嘘で、すべて花町で豪遊して使ってしまったようです。三千両が今のお金にしていくらくらいになるか、チョット想像もつきませんが、何億円にはなるでしょう。これはすべてダンナさんがどこからか見つけてきた宮崎成身という人の本『視聴草』(ミキキグサ)からの受け売りです。
刑死した次郎吉は、小塚原の犯罪人墓地に謂わば十把一絡げで葬られたようですが、講釈師がネズミ小僧を義賊に仕立て、有名にし、世間に広め、墓まで回向院に移したと言われています。
当時から、お墓もマスコミ、ブームに乗る傾向があったのでしょうね。
墓が当世の人気にあおられて変わるのは、歴史の浅いアメリカだけではなく、かの国、日本では節操もなく神社に祭る神様までもよく変わっていることを知りました。
私たちが東京散策をしていた時に、神田明神は平将門を祭っていました。しかし、明治維新の時、あいつは天皇に背いた反逆者だとして、別殿に移され、ピンチヒッターとして大己貴命(オオナムチノミコト)少彦名命が祭られた期間がありました。それをもう一度、平将門を復帰させたのはHNKの力です。NHKの時代劇『平将門』が大ヒットし、昭和59年に呼び戻され? 三ノ宮として祭られることになったとあります。
どうにもテレビ人気が神の首を挿げ替えたことになります。もともと、宗教、崇拝は世相によって移り変わるものだと言えなくもありませんが、それにしても、どうにも節操のない神官、神様もあったものです。
ウチのダンナさん、この頃仙人を自認していますが、「俺には墓はいらんよ、灰はどっかにばら撒いてもよし。この世に俺が存在したアカシなんか何もいらん、ただ、自然に消滅していくのが良い」と言い出し、ますます本当の仙人の境地に近づいてきたようです。
第467回:古代オリンピック その1
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