第88回:"パーキンソンの法則"と金銭感覚
更新日2008/11/27
30年以上薄給で中学校の先生を勤め上げ、引退した私の父親は、この20年恩給で暮らしています。つつましく暮らせば飢えることはない程度の老後の生活を楽しんでいます。母がアールツアイマーだと診断され、まだ症状が軽いうち、本人が楽しめるうちに、と一生一度の大名旅行を企てました。地中海クルーズに出かけたのです。
何でも、とても豪華なクルーズだそうで、船室も最上級ではないけど、海側バルコニーが付いたスイートにし、妹たちは、お父さん、お母さん破産するんじゃないのと心配したほどの散財ぶりでした。日本流に言えば"冥土の土産"ということになるのかしら。
お土産話を聞くために電話したところ、エジプトのギゼーのピラミッドの前でお母さんが半強制的にらくだに乗せられ、50ドル請求され、すったもんだの末、2ドルしか払わなかったこと(恐らく2ドルはピラミッドらくだ業界始まって以来の最少額ではないかしら)。ローマで旅行最後の夜、トスカーナ料理(もっとも、私の両親はフィレンツエ風もナポリ風も区別できるとは思えませんが、アメリカでトスカーナが流行っているので、どこからか耳に入れたのでしょう)に出かける予定だったところ、あいにくの雨にたたられ、使い捨てのような傘がホテルの売店で5ドル相当もしたので外出をあきらめ、昼間の市内観光のときに出たランチボックスの残りをホテルの部屋で食べたと言うのです。
相当背伸びをして彼らにとって超豪華なクルーズを決め込んだのはいいけど、やはり普段の生活レベルから抜け出るコトはできなかったようです。
私たち人間にはそれぞれイメージできる数字や単位の限度があるといわれています。日頃から、物理や化学、天文学に親しんでいる人ならいざ知らず、100万分の1グラムとか何万光年の距離と言われてもピンときません。
お金に関しては"パーキンソンの法則"というのがあります。道端に1セント銅貨が落ちていても拾う人は少ないけれど、10セント、25セントになると拾う人は増え続け、1ドル、5ドル紙幣だとほとんどの人が拾います。拾うか拾わないかの境目あたりが、その人の最小関心金額ではないかと言うのです。パーキンソンは、"関心喪失点"と呼んでいます。その金額があまりに小さいか、大きすぎると関心がなくなってしまうというのが彼の理論です。
逆に最大の方は、私の意見ですが、自分のサラリーと今まで購入した最高額、車や家などの10倍くらいがせいぜい実感できる数値ではないでしょうか。銀行で働いている友人は、実際に何百万ドルの小切手を手にしたり、お札を数えていても、仕事上の数字でしかなく、数百万ドルのお金を数えた後で、お昼ご飯に2ドル99セントのマクドナルド・コンボで我慢するか、5ドルのピッツアハットにするかに影響を及ぼすことはないと言っています。
パーキンソンは、イギリスの予算委員会が扱う予算額とそれを決定する時間の関係を調べ、1,000万ポンドの原子炉建設を決定するのに2分30秒しかかからず、事務職員の駐車場を350ポンドでつくるか否かに45分かかり、福祉協会のお茶代35シリングを認めるかどうかに1時間15分かかったことを例にとり、ここから彼はパーキンソンの法則の一つ、「議会で費やす時間はその項目の金額に反比例する」を導いています。
この頃、アメリカ政府の借款、救済金、大企業の赤字の数字が余りに大きく、私たちの最大関心金額からあまりにもかけ離れているので、実感がありません。パーキンソン流に言えば最大喪失金額をはるかに超えているのです。何でも生活感覚が麻痺している時が一番ショーバイ上の儲け時、大きな商談を進めるときなんだそうです。貧乏をしている人でも結婚式や葬儀の時には普段の経済感覚からは考えられないような、大判振る舞いしたりするのがその例です。
今、アメリカ政府が大企業にしている何兆ドルに及ぶ大判振る舞いを決定するのに要した時間は、パーキンソンの法則を当てはめると、秒単位だったのではないかしら。
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