第540回:枯れない西欧人~老人ホームはロマンス花盛り
私の母がアルツハイマーを発病してから10年目になります。ゆるやかな下り坂の病状でしたが、このところ急な下り坂道に入り、おまけに肺炎を患ってしまいましたので、老人ホームに医療施設が併設されている24時間看護を謳っている施設に入居させました。一緒に生活している父自身、もう相当なマダラボケがかかってきましたから、とても危なっかしくて母の世話などできない状況になってきたのです。
この施設には、母や父の知り合い(皆それなりの歳なのです)も多く、なにやら同窓会風にとても賑やかなのに驚いてしまいました。とても明るいのです。ほとんどハシャギ回っているようにさえ見えます。
弟の奥さんの母親、メリー(84歳)もそこに住んでいます。彼女は1年半ほど前に五十数年連れ添ったダンナさんを亡くしましたが、それ以降、まさに180度イメージチェンジしたかのように、外向きの人間になり、好奇心旺盛で何事にも積極的に行動しているのは、唖然とさせられました。
メリーお婆さんは長年に亘る夫の看病から開放され、ソレッとばかり、すべての拘束から解き放され、まるで一挙に自由になった奴隷ようなのです。まず、水中エアロビクスで体重を何十ポンドか落とし、髪も染め、綺麗に化粧をして、同じ施設のお爺さんとデイトをし始めたのです。
丁度、1週間ほどのニューオリンズ旅行から帰ってきたところでした。私が、「第二の青春時代ですね」と半ば冷やかし、冗談で言ったら、マジメな顔をして、「残された時間が見え、限られてきたから、寸分を惜しむように生きなくては…」と返答され、ハッとさせられました。その施設内では、ロマンスの花が咲くことがとても多く、結婚まで漕ぎつけるカップルもたくさんいるそうです。
アメリカだけではなく、一般に西欧の老人は枯れません。亡くなった連れ合いの思い出に浸りながら枯淡に生きるという選択枝は、西欧の未亡人、ヤモメにはないようなのです。もう一花咲かせるか…と、手ぐすね引いて連れ合いの死を待ち構えているようにさえ見えます。もちろん、そんなことはないのでしょうけど…、彼らの思考に、彼、彼女と連れ添って本当に幸せだったが、彼、彼女が逝ってしまった今、現在、思い出は思い出として大切に心に仕舞っておき、自分の残された人生を充足させるのが第一だ…という現実主義的な考えがあるのだと思えます。
母が入っている施設の小さなチャペルでは、毎週のように熟年どころか超老年の結婚式があります。老人ホームはロマンス花盛りなのです。だけど、それと同じくらいお葬式も多いのですが…。
新郎ならぬ旧郎の車椅子を押す旧婦の結婚式をガラスの覗き窓から見ましたが、彼らの息子や娘、いずれも中年以上です、それに孫たちも列席して、とても幸せそうに新しい老カップルを祝福していました。
ウチのダンナさんの同級生もボツボツ歯が抜けるように死んでいっています。ところが、残された彼らの奥さんたちが、誰も再婚していないのに気が付きました。日本では、老人はリサイクルされずに、そのまま朽ちていくのが自然だと考えられているのでしょうか。それとも、まだ、死んだダンナさんの思い出に生き、墓を守るのがモラルとして、彼女たちを縛っているのでしょうか。未亡人になった彼女たちに会った際に、「どうしてもう一度結婚しないの?」と訊いたところ、「また、爺さんの世話なんかしたくないわよ」と言われてしまいました。
でも、人間…と大きく出ましたよ。オス、メス、ツガイで生きるのが一番自然だと思うのです。私がこんなことを書いているのを脇で見ていたダンナさん、「オイ、俺の方がかなり歳上だし、統計上では男の方が8年から10年は早く逝くから、もう少し待てや。そしたら、オメー、すぐに若くて生きのいいのを捕まえれや」と、悪いジョウダンとも本音ともつかないタワゴトをつぶやいていました。
そういう割には、毎日10キロ、多い時で20キロも走り込んでいて、そこいらの草食系オタクの若者よりはるかに体力があるのです。「人間、なかなかどういう風に、何で死ぬか自分で選べないし、せめて健康に死にたいから、自分を少しばかりシゴイているのだけよ…」と言いながら、禿げで真っ白い髯のダンナさん、頭を日本手ぬぐいで縛り、救世軍払い下げのジャージトレイナーの至ってダサいスタイル、道路脇で穴掘りをしている土方さんが穴から這い出てきたとしか思えない様相で出掛けていきました。
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