第781回:スパイ大合戦 その1
もう半世紀近く前のことになりますが、私が修士、博士過程を取っていた大学、カンサス大学で、中国人の先生が逮捕されました。
青春のひとときを過ごした大学には常にひそかな郷愁を抱いています。大学のあるローレンス(Lawrence, Kansas)はその頃大学町と呼ぶのに、ピッタリとする様相を持っていました。広いキャンパス、小高い丘の上に建っているカンパネリ(Campanile;鐘楼)など懐かしく瞼に浮かびます。
その当時から、たくさんの外国人、主に東洋系の先生が特に理数系で働いていました。私のドクター論文の指導教授も日本人でした。アメリカの大学から東洋人、日本人、韓国人、中国人など、アジア系の教授が抜けたら、アメリカの理数系の学科は成り立たないとまで言われていたくらいです。
私は言語学専門ですが、数学も大好きで数学の授業も取っていました。その数学の先生も日本人で、私たち学生とはまるでレベルが違いすぎるのでしょう、黒板に向い、独り言のように呟きながら、次々と白墨で数式を書き、片っ端から消して行くのです。何を言っているのかさっぱり分からない上ノートを取る暇さえありませんでした。教室に生徒が座っていることなど、まるで眼中にない様子で授業を進めるのです。彼も天才型の専門バカだったのでしょう。
Franklin Tao教授は化学の先生です。生まれは中国の山村で、両親はとても貧しいお百姓さんでした。ご幼少の頃から頭脳明晰で、周りが彼を放っておかず、最高学府まで行き、学会でも名を知られるようになり、アメリカの幾つかの大学から招聘を受けていました。なんせ、年に15もの論文を発表していましたから、まさに専門バカに近い、究極のオタクだったのでしょう。奥さんのHong Pengも彼は私とではなく、研究と結婚した…と言っているほどですから、相当なオタクなのでしょう。
2019年にTao先生が両親の住む中国に帰郷した帰り、北京、羽田を経由して、シカゴのオヘア空港に着いた時、FBIのお出迎えを受けたのです。 FBIは法的な逮捕状を用意していただけでなく、国家安全局(Department of Homeland Security)のエージェントも立ち会っていたほどですから、Tao先生をスパイ容疑で逮捕する確固たる証拠を掴んでいたのでしょう。またはそう信じていたのでしょう。同時に、奥さんと二人の子供がTao先生の帰りを待っていたカンサス州、ローレンスの自宅にも、家宅捜索の礼状を持ったエージェントが乗り込みました。
科学の分野では、共同研究は至極当たり前のことです。特に、日本の論文は極端で、一つの論文に3~5人の研究者の名前が連なっていることが多く、多い時には7~8人もの名前が並んでいたりします。その多くは日本語で書かれた論文で、主に日本国内に限った場合ですが…。
今、現在、科学の分野で国際語として主流になった英語の論文の場合でも、国際的な共同研究が当たり前になってきています。ドイツ人、マレーシア人、イギリス人がアメリカの研究所で共同研究し、論文を発表するようなケースは珍しくありません。それがハイテック時代になり一層拍車がかかり、国際的な協力体制なしには先端技術の開発はあり得ない時代になってきたようなのです。
早く言えば、国際協力の上に成り立った研究と、その国に忠実で、利益がその国だけのモノになる研究との差が明確でなくなってきているのです。特定の国、特定の会社を離れ、世界人類皆平和のための研究であることがとても難しくなってきているようなのです。
どこに、その間の線をどこに引くかは、時の政治、政権に大きく左右されます。例えば、中国の経済力が脅威の増長をしていた時代、アメリカでは中国語ブームが沸き起こり、多くの大学は中国語課程を設けました。中国ウエルカムの時代でした。中国も積極的に大学に語学の専門家を送り、かつ孔子学院という中国語学校を設立し、中国語だけでなく中国の文化を広げようとしました。
ところが、孔子学院に来ている先生がスパイを働いているとして大量に追放されたのです。追放された先生たちは中国の国家機関のメンバーで、アメリカの国家安全に関わる情報を中国に流していた確かな証拠???があるとしています。でも、その割には彼らを逮捕せず、ただ追放しているだけですし、孔子学院自体は存続しています。きっと何が、どんな情報が、国家の機密になるかはとても微妙なところなんでしょうね。
米ソの冷戦時代、スパイ合戦が華やかなりし頃、ドイツ系アメリカ人の化学者クラウス・フッチ(Klaus Fuch)が原発のノウハウをソビエトに流したとして、処刑されました。科学的とは全く縁のない平和運動家ローゼンバーグ夫妻までが同様の容疑で処刑されました。
日本が経済的に強力になり、言うことをハイハイと何でも聞くアメリカの弟のはずだったのが、いつの間にか兄貴を追い越す勢いで成長し始めた頃、共産圏に輸出禁止されている軍事関係のモノをソビエトに対して売っていたとし、バッシングを受けとことがあります。ジャパン・バッシングのハシリです。
その輸出していたモノというのが、鉄の棒、シャフトなのです。それが潜水艦のスクリューシャフトに使われ、潜水艦が回すエンジン、スクリューの音が静かになり、または西側の潜水艦と探知機で音の判明、どちらが敵か味方か判別できなくなる、という疑惑でした。何とも馬鹿らしいコジツケですが、それほど米ソ両陣営が神経質になっていたのでしょう。冷戦時代の昔話です。核戦争の危機感が地球を覆っていた時のことです。
ところが、ハイテック、インターネット時代に入ってから、スパイ戦の様相がすっかり変わってきたようなのです。
-…つづく
第782回:スパイ大合戦 その2
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