第33回:客層が異なる老舗カフェテリア
今はもう大昔と呼びたくなる学生時代に、スコットランドで1年過ごしたことがある。他の学生仲間と週末パブへ繰り出すのが習慣になり、ナマ温いパイントジョッキを手に、若さを浪費したものだった。その時代には、パブに“サルーン”というものがあり、そちらの方は紳士連が集い、こちら側は労働者、学生が溜まるところと、ほとんど階級差別のように隔てられていることに驚き、軽いショックを受けたものだ。
サルーンはスイングドア一枚で隔てられているだけだから、どちらで飲もうが本人次第で、パイント一杯の値段もほとんど同じなのだが、人は自分で規制し、自分がくつろげる階級を認めて、どちらに行くかを習慣付けているようなのだ。
貧乏学生がヒッピー的服装でサルーンの方に行っても、追い出されることはない。せいぜい、なんだお前、ここじゃなくて隣のバーに行けといった目で見られるだけだ。
Cafe MONTESOL Ibiza
イビサのカフェテリアの老舗はヴァラ・デ・レイ通りにあるカフェ『モンテソル』(Montesol)だ。大通りに張り出したテーブルには明るい色合いのテーブルクロスが掛けられ、白いジャケットを着た老ウェイターが重々しく注文を取りに来る。モンテソルはファッショナブルでビューティフルピープルの集まるところだ。行き来する人を眺め、声を掛け、ビーチやその夜のディスコに誘うにはモンテソルしかない。
モンテソルの隣にカフェ『アルハンブラ』(Alhambra)というカフェテリアがあった。と、過去形で書くのは、私がイビサに移り住んだ当初、アルハンブラはデコラの板むき出しのテーブルに据わりの悪いアルミのフレームにビニールのチューブを張った椅子、なかなか注文を取りに来ない疲れ切ったウェイターと、どこか投やりで、こんな一等地なのに一体ショーバイをやる気があるのかと疑いたくなるような店だった(その後、カタラン人が買い取り、すっかり模様替えし、モンテソルの向こうを張るカフェになった)。
それでも、結構固定客がいるのは、カップこそ薄汚れたコーヒーステイン(コーヒーシミ)が付いてはいるが、しっかりした濃いコーヒーを出すからだ。カップも心なしか大きかったように思う。注文した飲み物を持ってきて、その場で現金精算となるが、その後何時間いてもズーと放っておいてくれる気安さを好む客もいたようだ。
アルハンブラの方には、ファッショナブルなイビサエリートは座らない。老ヒッピー的なイビサ常住組が日向の椅子に陣取って新聞、雑誌を読みあさり、イビセンコやスペイン人の老人たちは薄暗い屋内のカウンターにたむろするのだ。
いま気づいたことだが、モンテソルにはブティックのオーナーたちや毎年のようにイビサにやって来る女性軍が客の半数くらいを占めるのだが、アルハンブラには女性客が極端に少なかった。
もう一軒、イビサの極めつけカフェテリアが、カジェ・マジョール通りの入り口にあるカフェ『マリアーノ』(Mariano)だ。狭く賑やかな角地にあり10卓ばかりのテーブルを路上に出し、いつ通りかかっても空いたテーブルを見つけるのが困難なほど満員盛況のカフェだ。カフェというよりバール(Bar)に重きを置いている。
マリアーノの斜向かいにあるルイサのレチェリア(Lecheria;牛乳屋)がイビサで唯一のホームメイドヨーグルトと絶品のチーズケーキを売っているところなので、私は旧市街に降りるたびにルイサの店に立ち寄ったものだ。
80年代の典型的なバール(マリアーノではありません)
回数はグンと少ないが、興味本位でマリアーノで何度かコーヒーを飲んだことがある。少しはワイン、コニャックの味を覚え始めた頃で、カラヒージョ(carajillo;エスプレッソコーヒーにコニャックを垂らしたもの)を注文したら、コーヒーとコニャックが半々くらいの強烈なコニャックにコーヒーの香りを付けたようなものが出てきた。カップもちゃんと洗っているのか疑いたくなる汚れかたで、カップに口を付けるがためらわれた。何か悪い病気でもうつされるのではないかと思わせる汚れかたなのだった。
マリアーノの客層は、無精ひげを生やした男たちがこんなにたくさんイビサにもいたかと呆れるくらいで、アル中かヤク中、マリファナだけでなく、ハシシ、ジョイント、タール、コカイン、ヘロインを売るレベルの低い売人ばかりで、朝っぱらから酔っ払い、ラリッているのだ。
マリアーノの客がモンテソルに行くことはないし、モンテソルの客がマリアーノのテラスに座ることもない。
滑稽なのは、マリアーノの向かいにはイビサ市役所の重鎮が住んでおり、この太った親父とは対照的な小柄な痩ッポチの息子は、市のお巡りさんだったことだ。どうもこのあたりがスペイン的というか、イビサ的でおおらかと言うべきか、いい加減なところだ。お巡りさんの家の文字通り目と鼻の先に、イビサの中心的ドラッグ密売バールがあったのだ。
レチェリアのルイサだけでなく、モンテソル族はバール・マリアーノ族を毛嫌いし、ヤク密売の牙城のようなバール・マリアーノは即刻閉店させるべきだと公言してはばからなかった。
だが、バール・マリアーノはそれなりにいつも客が入っているし、なんと言っても強みは冬のシーズンオフになっても、夏場と同じように、モンテソル同様に流行っていることだ。
サルの世界でも棲み分けがうまくいってる限り争いが起こらないという理論を当てはめれば、イビサのカフェテリアもうまく顧客の振り分けができており、バラエティーに富んだバー、カフェテリアが存在し、自分がくつろぐことができる場所を選べるのは、とてもラッキーなことだと思う。
-…つづく
第34回:寡黙な老紳士、X卿の休暇
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