第34回:寡黙な老紳士、X卿の休暇
崖の上に張り出した『カサ・デ・バンブー』から、幅の広い緩やかな階段を上りきったところに贋作画家の天才エルミアが住んでいた“ラ・フォリア”があり、その並びに瀟洒な別荘が数軒ある。そこは賃借アパート族とは別の金持ち族が自分の別荘を構えているところだ。
ここに登場してもらう老人の名前をどうにも思い出すことができないので仮にX卿としておく。彼ほど『カサ・デ・バンブー』を愛してくれた人はいなかったのではないか…と思う。初めの頃、豪華な別荘に住むX卿は歩行困難な体を引きずるように一人でやってきていた。2、3年後には、介護師のレオがX卿を車椅子に乗せ、緩いとはいえ長い坂道をホウホウの態で降りてきた。
X卿はイギリス人なら誰でも小耳に挟んだことがある高名な貴族で、サーの称号を持っており、第二次世界大戦の時に、外交、軍事の両面でイギリスを勝利に導くのに大きな功績があり、その後、長いことオックスフォード大学の教授職に就いていたことなどは、後に介護師のレオから聞いた。
X卿は『カサ・デ・バンブー』にとって必ずしも良い客とは言えなかった。毎日、開店時のすぐ後にやってきて、シエスタ(午睡、昼寝)の時間、午後2、3時まで居座る割りに、さっぱり食べなかったし、ワイン、コニャック類もほとんど口にせず、冷えたシェリー酒を小さなグラスに一杯だけ注文するだけだった。従って、使うお金もたかが知れたものだったからだ。テーブル数の少ない店にとっては、手のよい場所フサギの苦い常連だった。
彼はいつもイチジクの木の下、テラスが一番海に張り出したテーブルが定位置で、海を眺め、持参してきた本、雑誌、新聞を思い出したように読み、紅茶を飲み、これも決まり切ったスモークド・サーモンのサラダを摂った。
2年目からだったと思うが、X卿がフォートナム&メイソン(Fortnum & Mason;英王室御用達の老舗百貨店)の大きな紅茶缶をプレゼントとして持ってきてくれるようになった。これはプレゼントというより、ここでもフォートナム&メイソンの紅茶を淹れて欲しいというメッセージだった。確かに、当時のスペインで手に入るリプトン・ティーバッグは恐ろしく不味かった。
もちろん、私は彼にだけフォートナム&メイソンの紅茶を大き目のポットに淹れて出した。
英国王室御用達のフォートナム&メイソン(Fortnum & Mason)の紅茶
当初、私は枯れ木も山の賑わいと、このもの静かな老人を歓迎した。彼の指定席には小さな花と一緒にリザーブの札を置いた。
サラダと一緒に出していた、イビサの硬く焼いたパン・パジェスがこの老人の歯には無理だと知ってからは、フワフワの白い食パン、スペインではイギリスパンと蔑まれている工場で作られた食パンを軽くトーストし、バターと一緒に出したところ、それを見たX卿、破顔するようにニッコリ微笑み、「ここは最高のカフェテリアだ。お前も一番だ!」と、毎朝の挨拶“グッド モーニング、ハウ・ア・ユー・ディス・モーニング”以外の言葉を耳にして、とても驚いたものだ。
X卿は涼しい木陰の席から海や行きかう船を眺め、また目を本に落とし、思い出したように紅茶をススリ、何時間も立ち上がらず、誰とも話さずに過ごすのだった。
介護師のレオはX卿をテーブルに着けると、即、カウンターの前のスツールに陣取り、X卿を視野に収めながらも、自分好みで、コーヒー、ビール、ワイン、その時その時で軽い昼食を摂った。卿と一緒の席に座ったことは一度もなかった。それから、なにか約束事でもあるかのように決まりきった時間、午後の2時過ぎに老人の車椅子を引ぱり上げるかのように長い坂道を登っていくのだった。
そして夕刻、X卿が床についてから、レオは一人で毎晩のように9時、10時頃にやってきて1、2時間過ごすのだった。大金持ちで身体の不自由な老人の世話がいかに大変な仕事であるか、多少愚痴っぽく語った。と同時に、X卿がいかに偉大な人物であるか、それをまるで自分のことのように誇らしげに語りもした。
その時、レオの口からX卿がイビサに来る数ヵ月も前から、イビサ行きの準備を始め、とりわけ、『カサ・デ・バンブー』の指定席に陣取り、時を過ごすのを異常なほど楽しみにしていること、私の名前“タケシ”まで覚えていることを知って軽いショックを受けたと同時に感動した。X卿は無口と呼んで良いくらい、他の客とも話をしなかったし、どこか人を寄せ付けない雰囲気が彼を包んでいた。
ランチタイムの店内、奥に見えるテーブルがX卿の指定席
『カサ・デ・バンブー』を開いた最初の年は、何とか店を潰さないように、採算を取ることに神経を使っていたが、2年目から、どうにかやっていけることが分かり、気楽に構えることができるようになっていた。X卿のようなお客さんがいてくれるだけでもありがたいことで、少し大げさに言えば、彼のような客のためだけに『カサ・デ・バンブー』を開いている価値があるとさえ思った。
X卿とレオは毎年、夏をイビサで過ごし、秋口、明日イギリスに帰るという日、「また来年会おう!」と簡単な挨拶をして、レオは太り始めたX卿を乗せた車椅子を押し、坂道を登っていくのだった。
確か3年目だったと記憶しているが、X卿が私に、イギリスに来るようなことがあったら是非彼のコッテージ(実は豪邸なのだが)に来るようにと言ったことがあった。『カサ・デ・バンブー』に来るお客さんの大半が、「私の国、町に来たら歓待する、是非来てくれ」などと口にするように、単なるリップサービスだと思っていたところ、レオはX卿が口にし、そう言ったのだったら、本当の意味での招待だ、遠慮することはない、是非来てくれと言うのだ。
しかし、私はイビサ、『カサ・デ・バンブー』にいてこそ自分の僅かな存在価値があり、一歩イビサを出たら、貧乏なバックパッカーになることを知っていた。もちろん、そのような“招待”に応じたことはない。
X卿とレオはある年からフッツリと顔を見せなくなった。
最晩年と呼びたくなる歳だったし、時折息をするのも苦しそうな様子を見せていたから、医者にイビサ行きを止められたか、程なく亡くなったのかもしれない。
『カサ・デ・バンブー』がX卿に掛け替えのない喜びの時を与えたことを知り、こんなチッポケなカフェテリアでもやっていて良かった…と思った。
-…つづく
第35回:よそ者には寛容だが頑固なイビセンコ気質
|