第141回:ハイアットさん家族 その4
イビサではFinca(フィンカ;別荘)が大人気(本文とは無関係;フィンカ参考)
アドリアナの家は、イビサの古い農家だった。外国人やカタラン(catalan;カタルーニャ州に居住する人)が懸命に捜し求めているカンポ(campo;田舎、森)にあるフィンカ(finca;農家、別荘)だった。彼女が車を乗り入れると雑種の中型犬が飛び出してきて、シッポが千切れるほど振り、喜びを表した。私は犬にモテル傾向があり、およそどんな犬でもすぐに懐く。彼女の犬もすぐに私に懐いた。そこへ、陽に焼けた、ガッシリとした体格の青年が現れたのだ。
アドリアナは、「私の彼よ…」と紹介してくれたが、私は呆然としていたのだろう、名前は覚えていない。彼の方が、「この前、サリーナスで見かけたよな…」と言うのだ。裸のアドリアナが挨拶しに、歩み寄ってきた時、彼はアドリアナと一緒にサリーナスにいたのだ。
なんでも彼はオーストラリア人のプロダイバーで、イビサでダイビング・スクール、ツアーを企画したらしいが、「ここの海はどうしようもない砂漠だ。上から眺めるだけの海で、グレート・バーリア・リーフ、ポリネシアの島々とは比較にならない。今度、ハイアット家族が展開するというドミニカ共和国には少し期待しているけどね…」と、アドリアナの公認彼氏みたいに居間でくつろいでいるのだった。
私は、アドリアナが淹れてくれたアフタヌーン・ティーもそこそこに終え、早々に彼女の家を引き上げた。帰り道、ベスパを飛ばしながら、笑いが込み上げてきて抑えようがなかった。可能性の全くない期待、夢を抱いていた自分が、ひどく滑稽に、マンガチックに思えたのだ。
どうもハイアットさんは、自分の子供たちに早くから王道学というのか、独立した自分の仕事を持ち、全責任を取らせる教育を施しているように見受けられた。暮らすのも別々で、海辺の大きな邸宅に一緒に住むのではなく、4人の子供、それぞれ自分の家、コンドミニアムを持たせ、個々に私生活を営んでいるのだ。
サンタ・エウラリアは高級別荘が増加している
同じ年のもうシーズン終わりに近い頃、マンディーが金の鎖にローレックスだかカルチェのビカビカの金時計、まるでアラブの石油成金のようなイデタチのカタラン人ボーイフレンドを連れて『カサ・デ・バンブー』にやってきた。キンキラ氏は英語が達者だったが、時々単語が出てこない時には、フランス語を交え、それがとてもキザに聞こえた。
その席で、マンディーは私をからかうように、「あなた、アドリアナが好きなんでしょう…」「エッ、そんなことどうして分かる?」と私。「そんなことメクラでも誰にでも分かるわよ…」、付け加えて、「私のお父さん、お母さんもアナタのこと、とても気に入っていたのよ…」と、直訳すれば、私に決断力がなく、とてつもない唐変木のダメ男だから、アドリアナはあんなオーストラリア人マッチョの方に行ってしまったじゃないの…ということになる。
私は未だにどうしてアドリアナが半日割いて、サンタ・エウラリアでハイアット一族が展開している事業のすべて(…ではないかもしれないが)を案内してくれたのか、理解できないでいる。ドミニカ共和国に造るコンパウンドに、何人いても足りないくらい人手が必要だから、私にも一口乗らないか、イビサと違って一年中働けるところだと、本気かどうかハイアットさんが声を掛けてくれたことがあった。
そのリクルートの軽いジャブとして、一族がどのようにサンタ・エウラリアで事業をやっているのか、アドリアナに案内させたのかな…とも思うが、実際には、アドリアナが私のような小さな海辺のカフェテリアをやっている人間に、自分たちが展開している事業を、親切心から見せてくれただけなのだろう。
そんな事情を朋友のぺぺに話したところ、「お前ほど、周りのことが見えないヒリポージャ(gilipollas;愚かな、不器用な、大間抜け)は見たことがない。ここじゃ10歳のガキでも、もっと素直に自分の感情、思いを相手にぶつけるスベを知っているぞ…」と、彼は直接的に言った。「サンタ・エウラリアでもドミニカにでも行っていれば、来年はあの、ぶっ壊れベスパでなく、メルセデスを乗り回すことができたんだぞ、一生に一度あるかないかのチャンスをオメオメと逃すヤツが目の前にいることが信じられんよ、そんなオーストラリア野郎が何だと言うのだ、ぶっ飛ばしてしまえ!」と、私の優柔さを罵倒したのだった。
The Road Not Taken by Robert Frost
私には、あの有能な家族と伴に通年働く自分の姿をとても想像できなし、彼らの基準からみればチッポケなカフェテリア『カサ・デ・バンブー』を半年開き、残りの半年を貧乏旅行に当てることに満足していた。こんな時、ロバート・フロスト(Robert Frost)の詩『The road not taken』(歩む者のない道)がよく引き合いに出される。私の場合、アドリアナに恋愛感情にも至らない憧れを抱いていたにせよ、ハイアット一族の事業に加わる可能性は全くなかったと思う。
小宇宙とまではとても言えないが、私にはイビセンコの友達がおり、『カサ・デ・バンブー』を通して、親密になった、憎愛こもごものギュンターを筆頭に、ドイツ人、イギリス人のサークルを持っていた。それはそれでとても幸運で、貴重なことだと思うのだ。
-…つづく
第142回:イビサの“カルーソー”のこと
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