揖斐線の終点、黒野駅で運賃を精算し、名鉄全線対応のフリー切符を購入する。今朝購入しておくべきだったけれど、停留所に販売窓口がなかったし、新岐阜駅に行く時間がなかった。最初に買えばここまでの片道切符ぶんもフリー切符で乗れたから、ちょっと損した気分だが、駅員氏は、当たり前のことのように、さっき支払った運賃を差し引いてくれた。私は、ありがとう、と2回言った。
揖斐線を引き返し、岐阜市内線に入って徹明町で降りる。ここから新関駅までの18.8kmが美濃町線だ。道路を渡って美濃町線の停留所に向かうと、名鉄らしく真っ赤に塗られた電車が停まっていた。商店街の中央に1台の電車がひっそりと佇む様子は好ましい。地域の足として確かな存在に見える。しかし、市街地にもかかわらず、この徹明町から競輪場前までの約1.5kmは30分に1本しか走らない。
義理で走っている電車を待つくらいなら、歩いたほうが早い。そういう区間だから乗客も少ない。ステップを上って車内に入ると、乗客は私だけだった。発車まであと10分。運転士が客席に座り、携帯電話を操作している。503号と書かれた古い電車は車内の手入れが行き届いており、床がピカピカに磨かれている。製造銘板には昭和32製とあった。
短い区間を古い電車が往来する。
しばらくして、普段着のおじさんがひょいと乗り込み、入り口でアレ?とつぶやく。
「整理券ないの」と運転士に言うと、
「ないんですよ、この電車古いモンで」という返事だ。この電車は市内均一料金区間しか走らないから整理券は不要なのだろう。おじさんは納得したらしく、座って新聞を広げた。今日から岐阜競輪が開催されるらしい。歩いていける距離を、頻度の高いバスを使わず電車で行く、その理由は縁起かつぎだろうか。
電車は単線区間を元気よく走り、ほどなく競輪場前に着いた。この電車はふたつ先の野一色まで行くけれど、私はここで降りて田神線に乗り換え、新岐阜駅へ向かう。おじさんは降りなかった。
名鉄田神線は競輪場前から名鉄各務原線の田神駅を結ぶ1.4kmの短い路線だ。鉄道線と路面電車を結ぶ短絡線と言ってもいい。美濃町線の電車のほとんどは田神線経由で運行されており、各務原線の新岐阜駅に乗り入れる。各務原線は普通の鉄道路線で、パノラマカーと路面電車が同じ線路を走るなど、珍しい場面が見られる。
競輪場前で新岐阜行きを待っていると、新岐阜駅方面からクリーム色とグリーンを基調とした新型車両がやってきた。路面電車で流行の低床車体である。一人掛け用の前向きシートが並んでおり、小さな特急車両のようでもある。このような新しい車両は、廃止後はどうするのだろうか。地方の鉄道に売られていくのかもしれない。
ほどなく反対側のホームに新岐阜行きが到着する。最新型ではなかったけれど、直線を貴重とした新しい車両だ。名鉄の車両には伝統的なデザインがあって、型式番号に独特書体が使われており、窓ガラスの隅が丸くなっている。
競輪場前駅にて
こちらはメインルートのためか、お客さんが多い。お年寄りを見ると着席を遠慮したくなる程度の混み具合だ。併走するクルマは少なく、建物も密集していない。裏通りなのかもしれない。停留所間は意外と長く、通りをまっすぐ走って小さな川を越え、交差点を右に曲がってまだ走り続ける。川沿いの道は専用軌道で、留置線と整備工場が置かれ、新旧の電車が並び、つかの間の電車博物館のようだ。その電車たちの列の終わりに市ノ坪停留所があった。
さて、ここからが名鉄田神線/各務原線名物の"路面電車乗り入れ区間"である。路面電車が専用軌道を走る様子は珍しくはない。広島電鉄の宮島線もそうだし、東急世田谷線、都電荒川線も専用軌道区間のほうが長い。しかし、これらの路線は路面電車のまま専用軌道にしているから、ホームの高さは低いなど、路面電車の設備を踏襲している。
田神駅。左奥が鉄道車両用ホーム。
右手前が路面電車用ホーム。
ところが名鉄各務原線は車体長20メートル、4両編成の電車が行き来する、ごく普通の鉄道路線だ。そこに、たったひと駅間ではあるが路面電車が乗り入れる。戦時中にバラバラだった鉄道会社を吸収し、一体化を推進した名鉄ならではの施策だ。田神駅には鉄道車両用の高いホームと、路面車両用の低いホームが並ぶ。外観ではわかりにくいが、各務原線の架線は1500ボルト、路面区間の電圧は600ボルトのため、路面電車には変圧装置が搭載されている。
美濃町線方面からのお客にとって、この施策により田神から新岐阜までのひと駅を乗り換えがなくなった。便利な仕組みであるが、せっかくこんな努力をしてもお客はクルマに取られてしまった。路面電車が進入しなければ、各務原線の電車を増発できるし、運行間隔を揃えてスピードアップできるはずだ。いまとなっては、高性能な電車をたくさん往来させたい名鉄にとって、速度の遅い路面電車は邪魔モノ扱いかもしれない。
地元の廃止反対派からも、万が一岐阜の路面電車が存続された場合も、田神線の廃止は避けられないだろう、という見方が多い。田神線はクルマからも鉄道からも見放されてしまった。電車に気持ちなんかないけれど、人生の半ばを過ぎた私にとって、こんな状況には同情せずにいられない。
新岐阜"駅"に到着した路面電車。
-…つづく