新岐阜駅に到着した名鉄田神線の電車は、折り返し"関"行きになった。関は美濃町線の終点である。美濃町線の電車は30分に1本しかなく、しかも終点まで直通する電車は半分だ。つまりこれを逃すと次の電車は1時間後。市内電車らしくないダイヤである。
1時間ほどなら岐阜市内を見物してもいいし、30分を岐阜市内見物に当て、30分後の電車に乗って途中の駅で降り、そこで30分を費やしてもいい。しかし、岐阜市内で何を見るべきか思い当たらないので、改札を出てすぐに引き返し、関行きに乗った。岐阜といえば長良川の鵜飼い漁、金華山と岐阜城を見るかもしれない。ただし、それらを見るには1時間や30分では忙しい。私の観光対象は路面電車だから、筋を通して電車に乗る。
2両連結の電車は満席で立ち客もいる。日曜日の午後で、昼食後に美濃市方面へ出かける人も多いのだろう。各務原線のホームにパノラマカーが到着したあと、こちらの電車が出発した。たったひと駅の鉄道乗り入れ区間をもういちど眺め、田神駅の高低のホームを車内から撮影する。私が携行するカメラはデジタル式のやや大きい物で、バッグから取り出して構えると目立つ。本心は小さなカメラや携帯電話のカメラ機能でさりげなく撮りたい。しかし、女性のスカートの中を撮る輩が増えており、小さなカメラで妙な仕草をすると品性を疑われそうだ。スカートの丈が短くなる時期でもある。
田神駅を出ると、私の向かいに座った男性が男の子に「もうすぐデッドセクションだよ」と教えた。鉄道区間と路面区間は架線の電圧が変わるため、接続部分に電流を流さない架線を挟んでいる。小学生に理解できるのだろうか、と思うけれど、自分が子供の頃を思い出すと、知識欲の旺盛な時期だったような気がする。この親子の場合、父親が鉄道ファンで、子供を電車好きに教育しているようにも見える。素晴らしい。なんて立派な父親なんだろう。
路面区間に入り、先ほど下車した競輪場前に停まる。路面電車にしては長い駅間だ。もっと停留所を増やせばお客も増えただろうと思う。こまめに停まるバスに対して、急行的な意味合いを持ちたいのかもしれない。競輪場前までが田神線で、ここを出て、交差点を右へ曲がると美濃町線である。後ろを別の電車が追跡している。徹明町から来た電車で、競輪場前からふたつ先の野一色まで乗り入れる。空いている電車を連ねるよりも、15分ほど間隔を開けたほうが乗客にとっては親切な気がする。こんな運行をしてまで道路を空け、クルマに遠慮するのだろうか。
ついに道路から追い出された。
クルマへの遠慮は野一色からも顕著になる。軌道は道路上から離れて、道路のとなりに移る。専用軌道になって走りやすくなったように見えるけれど、扱いは路面と同じで、交差点では道路信号の指示に従わなくてはいけない。電車は路面でもなく専用軌道でもなく、路肩の歩道のようなところを走っている。線路として独立したわけではなく、道路からはじき出されたようで不甲斐ない。
電車が岐阜市街地を離れるにつれて、車窓はのどかさを増している。高い建物がなくなり、ときおり工場のような建物があるほかは民家だ。平野部の終わりに近づいているのだろう、だんだん勾配が出てきて、長く緩やかな坂道を上っていく。併走する道も細くなり、トラクターがのんびり走りそうな道である。そうかといって田舎ではく、少しずつ離れた東側には東海北陸自動車道が走り、西側には長良川リバーサイドウェイという有料トンネル道路がある。このあたりも自動車が中心だ。関にはインターチェンジもある。
上りの新型電車と交換。
珍しいタブレット閉塞方式。
上芥見と白金の間に鉄橋がある。電車はいったん道路を離れ、藪をかき分けるようにぐいっと曲がって土手を上った。鉄橋上の架線柱は新しいコンクリート製だが、鉄橋そのものは古いままだ。この川は津保川といい、この鉄橋の少しずつ下流で長良川と合流する。
電車は鉄橋を過ぎると川から離れて東へ向かい、再び路肩を走っている。途中に貝印カミソリの大きな工場があって、敷地が線路に接している。緑の中の白い建物がまぶしく、清潔な印象を受ける。このくらいの規模なら過去に貨物輸送があったかもしれないし、通勤用の駅も置いてしかるべきだと思うけれど、それらしい痕跡は見当たらなかった。やはりトラックと自動車を重視したのだろう。
田舎道をのんびり走る。
ゴトゴトと田舎道を走った電車は新関に着いた。旧国鉄越美南線、現在の長良川鉄道の関駅に対して新関の名が付いている。かつて、名鉄美濃町線は越美南線と併走して北上し、美濃市へ通じていた。しかし1999年4月に新関-美濃市間は廃止され、その代わりに新関から関駅までの連絡線を敷いた。名鉄の岐阜市内線に乗り入れる路線は、揖斐まで行かない揖斐線と、美濃市まで行かない美濃町線になった。タコが足を食べるように、少しずつ末端を切り落として生きながらえている。そしてとうとう胴体も終焉を迎えるのだ。名古屋鉄道は私鉄第2位の路線長を持っていたが、岐阜の路面電車を廃止すると第3位に下がる。第2位に上るのは東武鉄道だ。
新関を出ると、電車は急カーブのクランクを曲がって踏切を渡る。めったに電車が来ないため、クルマに注意を喚起しようと、かなり派手な構えになっているようだ。広い道路である。美濃市への線路は道路上に入り、路面区間として通じていたという。しかし私はここを通過したとき、廃線跡に気がつかなかった。道路は整備され、痕跡はすでになくなっていた。
踏切を渡ると唐突に長良川鉄道の線路が現れ、関駅に着いた。小さな駅を見慣れたせいか、構内が広く見える。その広い構内の南端に、赤い電車はそっと停まった。軒先を借りる旅人のようである。この電車がここから先、長良川鉄道に乗り入れたらどうだろう、と空想する。美濃から岐阜への直通ルートができ、便利ではないだろうか。やはりバスやマイカーを選ぶのだろうか。
関に到着。岐阜からの所要時間は約1時間。
残念ながらクルマのほうが早い。
-…つづく