第337回:流行り歌に寄せて No.142 「悲しい酒」~昭和41年(1966年)
歌謡曲の中にはタイトルの中に『酒』という文字の入った曲が実に多い。古くは藤山一郎の『酒は涙か溜息か』。昭和6年発売、高橋掬太郎・古賀政男(以下括弧内、作詞・作曲)コンビの作品で、藤山一郎の歌唱が素晴らしい、今や古典と言い切れる名曲である。
梓みちよが大人の雰囲気を漂わせ歌った『二人でお酒を』(山上路夫・平尾昌晃)は、実にお洒落だったし、江利チエミの『酒場にて』(山上路夫・鈴木邦彦)は、彼女自身の生き方を反映したと思われるやるせない曲で、多くの歌謡曲ファンの心をつかんだ。
渥美二郎『夢追い酒』(星野栄一・遠藤実)、小林幸子『おもいで酒』(高田直和・梅谷忠洋)、川中美幸『ふたり酒』(たかたかし・弦哲也)は、そのままタイトルに『◯◯酒』とつけて、彼と彼女たちを代表するヒット曲になった。
デュエット曲では、五木ひろし&木の実ナナの『居酒屋』(阿久悠・大野克夫)がカラオケでは定番の中の定番として知られている。
他にもあげていけばキリがないほどだが、多くの曲の中で最も有名なのはやはり今回の『悲しい酒』と言っても、異議を唱える人は少ないと思う。古賀政男によるメロディー『酒は涙か溜息か』から、太平洋戦争を間に挟んで35年後に発売された作品である。
美空ひばりにとっては『柔』『川の流れのように』に次ぐ3番目の売り上げ枚数145万枚を誇り、知名度で言えばこの2曲を凌駕してしまうほどの代表作と言える。
「悲しい酒」 石本美由起:作詞 古賀政男:作曲 佐伯亮:編曲者 美空ひばり:歌
1.
ひとり酒場で 飲む酒は
別れ涙の 味がする
飲んで棄てたい 面影が
飲めばグラスに また浮かぶ
〈台詞〉
ああ 別れたあとの心残りよ 未練なのね
あの人の面影 淋しさを忘れるために 飲んでいるのに
酒は今夜も 私を悲しくさせる
酒よ どうして どうして あの人をあきらめたらいいの
あきらめたらいいの
2.
酒よこころが あるならば
胸の悩みを 消してくれ
酔えば悲しく なる酒を
飲んで泣くのも 恋のため
3.
一人ぼっちが 好きだよと
言った心の 裏で泣く
好きで添えない 人の世を
泣いて怨んで 夜が更ける
作詞は、このコラムでも何回かご紹介した石本美由起。日本音楽著作権協会、日本作詩家協会など数々の音楽業界団体のトップを務めた日本を代表する作詞家である。美空ひばりには、上原げんとと組んで『ひばりのマドロスさん』『港町十三番地』、船村徹と組んで『哀愁酒場』などの名曲の詞を提供している。
実は曲間の台詞は、初めての発売盤にはなかったものだが、美空の依頼により石本が書き上げたものである。その後ステージやテレビなどで披露され、翌年3月に発売されたコンパクト盤のレコードが台詞入りになり、後に発売されたもののほとんどに台詞が入っているという。
編曲の佐伯 亮は、古賀政男とは30歳以上も歳が離れているが、古賀らが創設した明治大学マンドリン倶楽部の後輩であり、大学卒業後は古賀に師事していた。あのイントロの美しいギターソロ、そして曲中に効果的に聞こえてくるマンドリンの調べは、まさに師弟の絆により編まれたものなのか。
昭和36年、美空の『恋の曼珠沙華』で日本レコード大賞編曲賞を受賞、翌年の『柔』の編曲も手掛けている。佐伯亮と馬場良という二つの名義で活躍し、舟木一夫の『高原のお嬢さん』、村田英雄の『無法松の一生』、瀬川瑛子の『命くれない』など、多数の曲のアレンジャーとして活躍した。
さて、先ほどこの『悲しい酒』は『酒は涙か溜息か』から35年後の発売と書いたが、実はもう少し前の昭和35年にはこの曲は作られていたらしい。しかも、最初は美空ではなく、北見沢 惇という男性歌手のために書かれ、実際にレコード化されている。
北見沢 惇は、どちらかといえば無頼の徒と言える人で、酒と暴力の世界から抜けきれなかったと言われている。大御所二人の手による名曲を提供されても、それをヒットさせ再起を図ることは叶わなかった。そして、美空が『悲しい酒』を発売して2ヵ月後の、昭和41年8月に30歳の若さで病死している。
美空には当初この話は明かされず、彼女がこの曲の最初の歌い手として発売したものとされていた。かなり後年になってから北見沢という歌手が存在し、故に実はカヴァー曲であったことを知らされたが、彼女はあまり意に介することなく受け入れたという。
最後に『酒は涙か溜息か』の歌詞を記し、二つの古賀作品を味わってみようと思う。作詞は先ほども触れた高橋掬太郎である。
酒は涙か 溜息か こころのうさの 捨てどころ
とおいえにしの かの人に 夜毎の夢の 切なさよ
酒は涙か 溜息か かなしい恋の 捨てどころ
忘れた筈の かの人に のこる心を なんとしょう
時代は大きく変わっていて、そのニュアンスは異なっていても、それを越えて通ずる「未練」という概念が、そこにはずっと存在しているようだ。
-…つづく
第338回:流行り歌に寄せて No.143「空に星があるように」~昭和41年(1966年)
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