第85回:通った店 出会った人々(1) 更新日2006/11/16
酒を飲むようになって、今まで何軒くらいの飲み屋さんに入ったことがあるのか、ふと考えることがある。とても見当がつかないが、30年少し飲み続けて、数百軒と言うところだろうか。今の仕事を始めてからは、その数はめっきり減った。
そのなかで「通った」ことがある飲み屋さんと言えば、グッとその数は絞られてくるだろう。「通った」という概念は人それぞれ違うだろうが、私は大雑把に、10回以上は足を運んだ店と考えている。
最初に通った店。私が18歳の12月のことだった。西武新宿線井荻駅近くの銭湯の入り口にあった、スナック「シロー」。当時アルバイトをしていた新聞配達の先輩に連れて行っていただいた。その方はDさんと言って、自衛隊上がりで年齢は確か26、7歳くらい、短身だががっちりした体躯の、角刈りの「お兄さん」だった。
いつもは新聞の専売所で酒を買ってきては飲んでいたが、この日は珍しくDさんが私に向かい、「K君、たまには俺がちょくちょく行く店に付き合うか」と言って誘ってくれたのである。
そのスナックは、痩身髭面のマスターとその奥さんで経営されていた。お二人とも大先輩に見えたが、今考えると20歳代の後半ぐらい、Dさんとあまり変わらない年格好だったろう。マスターは、大学時代は応援団に入っていたそうで、眼光の鋭い方だった。
元自衛隊が、元応援団の店に連れて行ってくださったのだから、私の「スナック通いデビュー」は、ずいぶん硬派なものだったと言える。それにひきかえママは、当時の私には危険なほどの色気のある方だった。
この店で、初めてサントリー・オールドのオン・ザ・ロックを飲んだ。恐らく、Dさんのキープ・ボトルだったのだろう。ウイスキーというものを、私はそれまで飲みつけたことがなかった。「何だか、ガソリンのような味がしますね」というと、マスターは大笑いして、「面白いこと言うね、あんたガソリン飲んだことあるの?・・・でも、当たってないこともないか」と言われた。
その後も、私はDさんの許可を得て、その店に一人で飲みに行った。たいがいは、銭湯帰りにフラッと寄ることが多かったが、何せお金のない浪人生(そもそも浪人生がスナック通いをしていること自体が間違いだが)、キープしたサントリー・ホワイトあたりをチビチビ呷っている程度だった。
長髪姿の私に、「男はもっと髪をスッキリと切れ。そんな床屋泣かせの頭じゃあみっともねえ」。いつもそう言うマスターの頭は、短めのスポーツ刈りだった。私は、「分かりました。今度切ってきます」と言いながら、ジュークボックスにチャリン、チャリンと10円玉を入れて、よくりりィの歌を聴いていたものだ。
次によく通ったのが、19歳の秋から同じ西武新宿線の武蔵関駅から歩いて数分のスナック「しなの」。これはその駅の近くに住んでいた友人を訪ねたが不在だったために、仕方なく駅まで帰ろうとした途中でスナックに入った。「赤とんぼ」という名のこの店のママがとても気さくな方だったので、2ヵ月ほどして再び訪れたら、店名は同じだがオーナーがすっかり変わっていた。
今度は、元トラック運転手で、27、8歳のご亭主と、24、5歳のママがご夫婦で経営していた。店名もしばらくしてマスターの郷里の「しなの」に変えてしまった。私はその店で実にいろいろな人に出会っていて、その中の一人で私に強い影響を与えてくださった喜多川石眼さんのことについては、3年少し前にこのコラムにも書かせてもらっている。
その時のコラムではほんの少ししか触れなかったが、店でバーテンダーのアルバイトをしていたSさんも私には印象深い人だった。彼は私より2級ほど年長で当時21歳。昼間は運送業の仕事をして、夜は夕食つきだが日給1,000円(マスターとどういう話し合いがあったか分からないが、当時としても驚くほど薄給)で働いていた。
はっきり言って、彼は世間的に言えばダメな男だった。中学を卒業してから一つの仕事に落ち着くことなく転々と職業を変えた。いつも借金ばかりをしていた。「頑張って働いて、おまえの成人式には奢ってやるから」と約束したが、その成人の日彼が言った言葉が、「K、千円貸してくれないか」だったという具合に。
それでも、私はSさんが大好きで、いつも彼の後からついて歩いていた。ある時からSさんに彼女ができた。彼女は、彼と私とでときどき顔を出していた深夜まで営業しているレストランで、ウエイトレスをしていた。Yさんと言って色が白く目鼻立ちが整った、長い髪の美人だった。
Sさんは彼女に夢中になり、彼女のアパートに入り浸る状態になってきた。Sさんに、彼の仕事中の昼間、たまたま私が彼女と会って道端で立ち話をしたことを伝えただけで、彼ははっきりと嫌な顔をした。
「K、悪いけどYに近づくなよ。俺は昔、友だちに彼女取られちゃったことがあるから、そういうの、すごく嫌なんだよ」。
それだけぞっこんだったが、二人の別れの時は案外早く来た。半年もしなかったのだと思う。実は、彼女はアルバイト先のレストランのオーナーとお付き合いしていて、いろいろと援助してもらっていたようだ。そう言えば、一度だけSさんに連れて行ってもらったアパートも、バイト代だけでは家賃を払えないような贅沢なものだったという記憶があった。Sさんがオーナーとの関係をなじると、「どうして、いけないのよお」と今まで見たことのない眼で睨まれたそうだ。
「俺、やっぱり何をやってもうまくいかねえ」。Sさんは自分のアパートで、こっそり育てていた危ない葉っぱの鉢植えをぼんやり眺めながら、そう呟いた。「そんなことないっすよ」。私はそう答えながらも、Sさんにはこの先もきっと暗澹とした道が続くのだろうという確信のようなものが頭から離れなかった。
第86回:通った店 出会った人々(2)ー