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■イビサ物語~ロスモリーノスの夕陽カフェにて
 

第61回:老いらくの恋 その1

更新日2019/03/28

 

スペイン、イタリア、フランスなどのラテン系の老人が枯れないことは以前書いた。片足どころか、ほとんど胸まで棺桶に入っているようなご老体でも、セクシーで魅力的な女性に熱い視線を送るのだ。これは種の保存本能に根ざした彼らの血がそうさせるのか、死ぬまでアモール(amor;愛)を顔、身体の全面にギラつかせているのだ。アモールなくして命は存在し得ない態なのだ。

孫引きになってしまうが、オランダの歴史学者、ヨハン・ホイジンガの著書『中世の秋』の中で、大詩人のギョーム・ド・マショーが片目潰れ、通風で歩行困難になった60歳前後で18歳のシャンパーニュの貴族の娘ペロンネル・グルマンチェールと大恋愛をしたことを書いている。と言うより、老詩人が『真実なる物語の書』という交換書簡を盛り込んだ本をヌケヌケとというか、正々堂々と書き残しているのだ。

当時の平均寿命は40歳前後だったから、60歳といえば超高齢で、しかも彼は教会の参事会員だったから、不犯の誓いを立てていたはずだ。ところが、そんなことは我関せずとばかり、恥ずかしげもなく、馴れ初めから、どのように初めてのキス交わしたか、小旅行(ペロンネルの侍女も付いてきたが)、別れの顛末まで書き連ねているのだ。

元々カトリックは清教徒のような禁欲的な生活をヨシとしない傾向がある。人間の本性、アモール(愛情)は、たとえそれが性愛に繋がるものであっても抑え切れるものではない、とみなしているところがある。

中世の大恋愛『アベラールとエロイーズ~愛と修道の手紙』のエロイーズはカトリックの修道女ではなかったか。確かに、北ヨーロッパ人と違い南国のラテン系の人たちは宗教上の制約と自己の内なる欲求の矛盾を突き詰め、それに悩んだりそこから結論を引き出そうなどとはハナから考えず、自分の感性に従うのをヨシとするところがある。彼らにとって偽善とは自分の欲求に忠実でないことを意味する。

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ピカソは死ぬまで7人の女性と大恋愛し、それが作品の活力となっていた

欲求、感性とは尽きるところアモールなのだ。今もスペイン、イタリア、フランスはその伝統をシカと守っている。ピカソやパブロ・カザルスが80歳を過ぎてなお、お盛んだった国のことだ。彼ら、彼女らのアモールは枯れることがないのだ。

男どもは他人の目など気にせず、全く恥じずに実に正々堂々と誰はばかることなく行き交う女性に値踏みするような視線を送り、文字通りつま先から頭の天辺まで、まるで古美術品を鑑定するかのように熱い眼光で舐めまわすのだ。もちろんその間にある足、フクラハギ、脛、太もも、尻、腰、胸、首筋も隙間なく評価される対象になる。

女性の方も、そんな熱い視線で観られることに慣れ切っているのか、それを跳ね返すだけの強さを持っているだけでなく、逆に見られることでシグサに磨きがかかり、ますます輝き美しくなっていくようなのだ。

我が大家のゴメスさんも決して枯れないタイプ、典型的なラテンマッチョ爺さんだった。

私がゴメスさんから『カサ・デ・バンブー』の地所を借りた時、ゴメスさんの愛人“エヴァさん”が亡くなって1、2年経っていた。だから、エヴァさんとは面識はないのだが、ゴメスさんとエヴァさんの恋愛は“世紀の大恋愛”と近隣では語り草(半ば呆れながら)になっていた。ウワサによれば、歳を省みず、人目をはばからず相当アツアツの情景を披露してたようだった。

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アイスクリームケーキのタルタ・デ・ウィスキー(Tarta de Whisky)

ゴメスさんは毎週、日曜日に欠かさず『カサ・デ・バンブー』に降りてきて、ゆっくりと昼食を摂り、中クラスのワイン“バンダ・アスール(Banda Azul)”を半ボトル呑み、ハンバーガーかフランクフルトソーセージにサラダ、デザートはタルタ・デ・ウィスキー(Tarta de Whisky;アイスクリームにウィスキーケーキが挟まったもの)、そしてコーヒー、ソベラーノ(Soberano;コニャックとスペインで呼んではいるが、フランスの本物ではなく、スペイン製)でシメルのが常だった。コーヒーとソベラーノは店からのオゴリだ。

ゴメスさんはいつも一人で来るのが常だったが、他の客と冗談を飛ばしあい、乗ってくるとチステ(Chiste;スペイン流の小話)を披露するのだった。スペインでチステと言えばマズ艶っぽい、ほとんど猥談に近いものになる。バールでも政治がらみのチステは歓迎されない。 

暑い夏の盛りになって、ゴメスさんが最後のコース、タルタ・デ・ウィスキーを半分ほど食べながら居眠りすることが多くなってきた。アレッ、声が聞こえないな、静かだなと思って目をやると、ゴメスさんは首を前にガックリと折り、頭を下げて、そのままの姿勢で寝ているのだ。時折、ハッと気がつき、あたりを見回し、「ワシのデザート、コーヒー、コニャックを誰にも盗られなかったなぁ」などとつぶやき、食べ、呑み続け、時折ソベラーノのお代わりをし、「さてと、シエスタの第二ラウンドをとるとするか…」と、重いがシッカリした足取りで自分のアパートに引き上げるのだった。彼のアパートは『カサ・デ・バンブー』と同じ建物の4階に当たる、アテック(屋上階)にあった。


ゴメスさんが40-50代の女性を連れて『カサ・デ・バンブー』にやってきた。顔は細めで、肩幅も狭く、胸も普通なのだが、腰だけはデーンと張り出した、よく笑う女性だった。もうビキニはやめた方がいい体形になっていたのだが、申し訳程度の激小ビキニを身に付けていた。よく笑うのはいいのだが、オベンチャラたらたらで、ゴメスさんのご機嫌取りがミエミエだった。

ゴメスさんは、いつものワイン、“バンダ・アスール”ではなく、ちょっと高級な“マルケス・デ・リスカル(Marques de Riscal)”を注文し、チステ(小話)を披露し、彼女を盛んに笑わせていた。彼女の名前を思い出すことができないが、ラテンのマッチョが枯れないように、女性の彼女も枯れるどころかますます脂が載って、傍で見てもムッとするようなフェロモンを放っていることを知った。

スペインでゴメスさんのようにお盛んなマッチョを“オンブレ・ヴェルデ(Hombre Verde;緑の親父、サカリの付いた親父)”と呼ぶ。『カサ・デ・バンブー』の常連、古強者ギュンターやクルツさんたちは、「また、ゴメスさんのクセが出たぞ…」と冗談の種にし、ゴメスさんが彼女を伴って4階の彼のアパートに引き上げると、「皆、静かにしろ。音楽のボリュームを下げろ。今に彼女の嬌声が響き渡るから…」と、ギュンターが音頭を取るのだった。

ゴメスさんは、シーズンの終わり頃まで“彼女”を連れてやってきた。もう食事の途中で居眠りすることもなく、一挙に何歳か若返ったように見受けられた。『カサ・デ・バンブー』の常連たちは、「あまりハリキリ過ぎると、最後の一滴を放出した後は、ガックと反動が来るぞ」と、ウワサしたものだ。

ゴメスさんは顔艶だけでなく、姿勢もよくなり、第一、服装も小奇麗になった。まさに、魔法でも掛けたようにシャッキとしてきたのだ。

私は、老いらくの恋の効用には霊験あらたかなものがある…と感じ入り、二人がそれで良いのなら、幸せなら、何を傍でゴチャゴチャ言うことがあろうか…と思ったことだ。ゴメスさん、シッカリやんな…と、応援したい気持ちになったのだ。

-…つづく

 

 

第62回:老いらくの恋 その2

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佐野 草介
(さの そうすけ)
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海から陸(おか)にあがり、コロラドロッキーも山間の田舎町に移り棲み、中西部をキャンプしながら山に登り、歩き回る生活をしています。

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