石巻市は平成17年に周辺市町村を合併し、人口約17万人の都市になった。合併前から宮城県第二の規模を持ち、周辺自治体を含めた石巻都市圏は人口21万人の規模になるという。石巻が発展した理由は水運であった。大型船を寄せやすい良港は、江戸時代に米の集積と出荷で栄えた。江戸に流通する米の半分は石巻から千石船で運ばれた。
石巻という地名の由来は旧北上川にある四角い石だという。河口に近いので潮の干満にあわせて流れが変わり、その度に石の周りに渦が巻く。その石を巻石と呼んだそうだ。娯楽のない太古の頃、石の周りに渦が巻く様子も楽しみのひとつとして広まったのだろう。洗濯機の水流を飽きずに眺められる私には、その楽しさが理解できる。
石巻駅の通学ラッシュ。
その巻石の近く、旧北上川の中洲には漫画家の故石ノ森章太郎さんの記念館がある。当地出身の石ノ森氏の協力を仰ぎ、彼の提唱する漫画を超えた"曼画"の創作発信地を目指している。さきほど仙石線でマンガッタンライナーとすれ違ったけれど、こんな由来もあったわけだ。このように楽しそうな石巻だが、今回は下車せず、仙石線と石巻線の乗り継ぎだけで通り過ぎる。いずれ訪れたい街である。
石巻線は東北本線の小牛田駅から太平洋に向かい、港町の女川までを結ぶ44.9キロのローカル線だ。私は途中駅の石巻から乗り始め、まずは終点の女川へ行く。帰りは石巻を通過して小牛田へ出て、石巻線を踏破する予定である。途中の前谷地からは気仙沼線という魅力的な路線が出ているけれど、これも残念ながら今回は見送りだ。
石巻から女川行きのディーゼルカーは3両編成だった。単線非電化の路線にしては長いほうだ。国鉄時代は車体が余ったのか両数管理が面倒だったのか、5両編成に私ひとりという路線も多かった。そうした路線のほとんどは廃止されてしまったけれど、今度はその反動で、どんなに乗客がいても1両または2両で運行するようになった。石巻線の3両は長い。しかし、これは適正な両数のようである。立ち客こそいないけれど、座席は女子高生で埋め尽くされていた。
海が近づいてくる。
21万人の都市圏だけあって、車窓は住宅ばかりである。石材加工所などの町工場もいくつかある。畑も多いが広々としているわけではない。人口が増えつづければ、いずれ宅地になりそうだ。ふたつめの渡波駅で女子高生がごっそり降りていく。水産高校と女子商業高校があるそうだ。ここで3両編成の小牛田行きとすれ違った。
浦宿で残りの高校生もすべて降りてしまい、この車両の客は私だけになってしまった。浦宿には県立女川高校がある。石巻線に限らず、全国の地方ローカル線の輸送の主役は高校生である。これだけの人数が乗ってくれたら上出来だが、ディーゼルカー1両で済む程度の人数だと廃止してバス代行にしようという話が持ち上がる。しかも少子化で高校生の人数は減っていく。もう旅客に頼らず、環境面も考慮して貨物輸送を再開発したらどうかと思う。
高校生が降りる時、海風が車内に入った。辺りが潮の香りに満たされる。列車が海に近づいているのだなぁ、と旅情たっぷりに思うところだが、あいにく私は潮の香りが苦手である。きつい。窓を開けて空気を入れ替えたいが、窓の外はもっと潮の香りに満ちているはずだ。
女川駅着。
終着駅へ向けて、かなり急な下り勾配を走っている。いまはディーゼルカーだが、蒸気機関車の頃の上りは苦労しただろうと思う。もっとも、上り勾配の蒸気機関車は燃料を投入して火力を増やすから、かなり煙の出る勇ましい姿である。ここは撮影の名所かもしれない。
終着駅の女川は見どころの多い駅だった。ホームが高いところにあり、改札口へ向かう階段を下りていくと、数段下が青く塗られている。脇に説明書きがあって、昭和35年のチリ地震の影響で押し寄せた大津波の高さだという。この津波は全国で139人の犠牲者を出し、260億円の損害を与えたそうだ。女川町は犠牲者こそいなかったが25億円の被害を被った。これは当時の町の年間予算の25年分である。鉄道の被害については書かれていない。線路が高いところにあるため、被害がなかったのだろう。鉄道は町の復興に大きく貢献したに違いない。
津波を示すライン。
構内には赤い国鉄型のディーゼルカーが一両停まっている。よく見ると線路が本線と繋がっておらず、車両の行先表示機は"鈍足"と書かれていた。廃車体を保存展示しているらしい。駅員氏に尋ねると、駅に隣接した温泉施設がカラオケルームとして使っているという。「これには乗れないのかと、よく間違われます」と笑った。
女川駅前には足湯もあった。無料らしいが、隣の温泉施設が管理しているため、施設が開館していない時間は閉鎖されている。観光案内地図を眺めると、女川漁港付近を散策して戻ってくる散歩ルートが示されていた。潮の香りは苦手だが、漁港くらいしか見るべきものはなさそうだ。私は海へ向かって歩いた。高村光太郎の立派な文学碑を通り過ぎると、そこはもう港だった。水揚げの時間は終わってしまったようで閑散としており、水際でウミネコが遊んでいる。水がきれいなので、鳥が水中を掻いている様子もよく見えた。
カラオケルームになったキハ47。
漁港にはレンガ色の立派な建物がふたつ建っている。シーパルという水産関連の観光施設だ。もっとも今は営業開始時間より早く、ふたつある建物のうち片方はリニューアル工事中だった。唯一立ち寄れる場所は水産物の即売所だが、磯の香りが苦手な私には長居できる場所ではなかった。大きな板に五寸釘を打ちつけた"ほやチンコ"という大道具をみつけてニヤニヤしてみたけれど、それを知らせる伴侶がいないことが返って寂しさを募らせる。私は漁港散策を切り上げた。
女川港。
シーパル女川。
ほやで遊ぶパチンコ。ほやチンコ。
-…つづく
第182回からの行程図
(GIFファイル)