第690回:ブルーシート & レッドジャケット - 小樽駅・小樽築港駅 -
小樽駅のプラットホームに石原裕次郎さんの記念碑があった。等身大だろうか、裕次郎さんの大きな写真で、背景は当時の小樽駅。ちょっと出かけようか、という佇まいだ。クルマ好きの彼が列車の旅を好んだかどうかはともかくとして。改札を出ると焼きたてパンの香り。改札外の区画にパン屋さんが入っていた。興味深いけれど後にしよう。まずは小樽市総合博物館だ。小樽市の博物館とはいえ、元々は北海道鉄道記念館だった。鉄道の保存車両が多いらしい。
小樽駅に立つ石原裕次郎さん
スマートフォンの地図によると、小樽駅から博物館まではバスで12分。徒歩で22分。博物館のある手宮地区は北海道の鉄道発祥の地で、大通りから廃線跡を経由して行けるという。歩道は人の歩く幅だけ雪かきされ、ところどころ雪の塊や凍結がある。足下が悪いからバスでと思ったけれど、歩いてみたい。曇天だけど降雪はない。よし、歩こう。
ところが、廃線跡を活用した遊歩道は雪に埋もれていた。生活道路ではないから除雪されないようだ。さて、どうしたものか。腰の高さまで雪が積もっている。ただし、上部に足跡もある。行けるか、雪を踏みしめて歩くなんて、なかなかできない経験だ。よし、と積雪に上り、調子よく10歩ほど歩いたところで、ズボッと身体が落ちた。腹の高さまで雪にハマった。こりゃやられたな、と気楽に考えていたけれど、これがなかなか抜け出せない。しまった。こんな街の中で遭難か。背中の鞄を歩道へ向かって投げて、ジタバタと雪を掻いて、なんとか脱出した。雪国をなめちゃいけない。
北海道初の鉄道路線廃線跡
遊歩道をあきらめた。しかし、駅まで戻ってバスに乗るなんて癪だ。私は大通りを進み、小樽運河に突き当たって広い道路を左に曲がった。遠回りではある。しかし、小樽運河の景色を眺められた。これはこれで悪くない、と自分を慰める。靴の中に入った雪が解けて、歩く度にくちゃくちゃと音を立てる。裸足で水たまりに入ったようだ。しかも冷たさで感覚が薄れる。それでも私は前に進むぞ。博物館で靴を脱ごう。靴下を乾かそう。
ところが、博物館に着くと、さらに脱力した。屋外の保存車両はすべてブルーシートで覆われ、観たかった車両たちが隠されている。おかしい。冬季休館ではなかったはずだ。さらに進んで建物に近づけば、開館しているけれども屋外展示は5月の大型連休まで保護されているとのことだった。敷地を走る蒸気機関車「アイアンホース号」も運休だ。私のリサーチが足りなかった……。
館内で大切に保管されている「しずか号」
それでも、館内には蒸気機関車「しずか号」が美しい姿のまま展示されているし、むしろ不人気な時期だから、じっくりと見学できたと自分を慰める。展示物も見応えがあった。特に蒸気機関車1台分の部品を並べた展示室が圧巻だ。まるでプラモデルのキットのように整然と並べられ、組み立てたら走るかもしれないと思った。
別棟の蒸気機関車展示館、部品の展示と解説が詳しい
売店にはお土産品のほか、鉄道古書や国鉄時代の車内放送を録音したCDがあった。このCDはクルマの中で流すと面白そうだ。古書を3冊とCDを1枚。売店のおばちゃんに「この時期にどこから」「東京です」「あらまあ……」と絶句される。「時期を変えて、また来ます」と宣言した。本当にそのつもりだ。
再訪すると決めたら長居は無用。次の目的地に向かおう。小樽駅まではバスで戻った。博物館の売店のおばちゃんだと思った人は、実は北海道の鉄道遺産保存の偉い人で、1ヵ月後に岐阜県飛騨市神岡で開催された廃線観光協力会「ロストライン協議会」の総会で再会することになる。もちろんこの時の私は知る由もなかった。世界は狭い。日本はもっと狭い。
731系電車で小樽築港駅へ
函館本線の小樽駅から札幌側は電化されている。札幌都市圏、通勤通学路線である。電車で2駅。小樽築港駅で降りた。ここに石原裕次郎記念館がある。ただし建物の老朽化のため、この夏(2017年8月)に閉館すると決まった。後継施設の予定はなく、展示物の行方も未定。いま見ておきたかった。
小樽築港駅の橋上駅舎から歩道橋を通って、港に面したショッピングモールに入れた。東西に長い建物の向こう側まで行くと、石原裕次郎記念館のそばに出られる。ショッピングモールにとって海側は裏側のようで、ちょっと迷った。記念館は広い駐車場があり、クルマ社会の施設だった。いや、ヨットハーバーにも隣接しているから、クルマと船の立地である。裕次郎さんらしいな。
石原裕次郎記念館
ロビーにはドラマ『西部警察』で活躍した車両たちが並ぶ。赤いスカイラインGTS、ゴールドでガルウィングのフェアレディZ、白いガゼール、舘ひろしが乗ったままショットガンをぶっ放したKATANA。自動車電話搭載のフェアレディZ、武骨なコンピュータボックスにオシロスコープを組み込んだGTSに時代を感じる。
私が見た石原裕次郎さんは『太陽にほえろ』のボス。『大都会』の医者、『西部警察』の捜査課長だ。しかしこれは彼の晩年の仕事だ。なくなる直前にアニメ『我が青春のアルカディア』で、私の好きなキャプテンハーロックの先祖の声を演じた。声だけでもカッコいい。
私の親の世代の石原裕次郎さんは日活の青春映画スターだ。記念館の展示のほとんどはスター時代の映像と歌、その活躍の頃の暮らしぶりを伝えた。映画『黒部の太陽』のトンネル工事を再現したセットは迫力がある。ハワイの別荘のリビングを再現したセットは、まさにスターの住む場所だった。彼が好んだクルマ、時計などすべて一流品である。
スーパーZ
何もかも手に入れたようで、しかし、なにかを満たそうとして集めたかもしれない、と思った。そして、一着の赤いジャケットに心を締め付けられる。最愛の妻、まき子さんが裕次郎さんの回復を祈って、還暦祝い用に仕立てた。しかし彼がこの服に袖を通すことはなかった。石原裕次郎さん、享年52歳。還暦を迎えられなかった石原裕次郎さん。そして、8年も前から赤いジャケットを用意した夫人。その思い、届かず。白と金銀で飾られた展示室で、真っ赤なジャケットが異彩を放つ。それは、いまもなお記憶に残るスターの存在感と、その本人がいないという喪失感の象徴だ。身体が震え、涙がこぼれる。
スカイラインGTSの搭載コンピュータ
記念館にはヨットハーバーを一望する喫茶店「ハレ・コンテッサ」が併設されている。ハレはハワイ語で建物、コンテッサはイタリア語で伯爵夫人、そして石原裕次郎さんが保有するヨットの名前。コーヒーと、裕次郎さんがハワイで好んで食べたというパンのセットをいただく。裕次郎さんはあんパンと、この大きな丸いパンが好きだったそうで、一人分はケーキのように切り分けている。柔らかく、微かな甘みがあり、小麦の香りが引き立つ。とても上品なスイートブールだ。まるごと一つ、土産用に買った。札幌で会う友人にプレゼントしよう。
裕次郎さんが愛したパンとコーヒーのセット
ひと息ついて、店内を見渡す。壁にハワイの別荘から持ち帰った装飾品が並んでいる。時計は4時26分を指していて、さっきから動かない。もしや、と店員さんに聞いてみると、やはり石原裕次郎さんが亡くなった時刻、16時26分だという。鈍感な私は気づかなかったけれど、館内の展示物の時計はすべてこの時刻になっているそうだ。
裕次郎さんの遺品。時計は止まっていた
-…つづく
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