第282回:流行り歌に寄せて No.92 「恋のバカンス」~昭和38年(1963年)
昭和38年4月発売の曲である。私が長野県岡谷市立小井川小学校の2年生に上がった月。これから3年間、2年生から4年生まで、図画工作がご専門の守屋先生という方に担任の先生として教えを受けた。校舎のスケッチを、先生の許しが出るまで何日間も描かされたり、大声で怒鳴られたりと、かなり厳しかったが、私には恩師と言える方だった。3年は、私にとって最も長い受け持ちをしていただいた期間でもあった。
さて、そんな小学2年生になったばかりの少年には、この曲の詞は刺激的過ぎた。「ため息」「くちづけ」「熱い砂」「裸で恋」「人魚」。もうほとんどサンドバッグ状態で即KOである。
また、いわゆるC調、ノリの良い曲調がますます大人の雰囲気を醸し出し『ロッテ歌のアルバム』あたりで放映されたときなど、ゾクゾクする危険な、何だか見てはならぬもの、聞いてはならぬものに出会ってしまったような心持ちがした。そして、だからこそ垣間見てしまいたくなる、妙な胸騒ぎを抑えきれなかった。
「恋のバカンス」岩谷時子:作詞 宮川泰:作曲 ザ・ピーナッツ:歌
ため息の出るような
あなたのくちづけに
甘い恋を夢見る 乙女ごころよ
金色に輝く 熱い砂の上で
裸で恋をしよう 人魚のように
*
陽にやけた ほほよせて
ささやいた 約束は
二人だけの 秘めごと
ためいきが 出ちゃう
ああ 恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめて あなたを見た
恋のバカンス
*くりかえし
チビっ子の心を翻弄してしまった、この曲の作詞、作曲者が岩谷時子、宮川泰であることを知ったのは、もう私が二十歳をとうに過ぎた頃だったが、その時は、「なるほど、この二人の魔術師にかかっては、田舎の洟垂れ小僧が心臓を破裂されなかった分だけ、まだマシだったようだ」と思ったものである。
この曲は、実は東レと渡辺プロの共同企画による「バカンス・ルック」という夏物商品の宣伝キャンペーンにも使われ、その後ずっと続く歌謡曲とCMのコラボレーションの初期の段階の曲とも言える。
岩谷時子は1916年(大正5年)に生まれ、宮川泰は、岩谷とは15歳違いの1931年(昭和6年)に生まれている。
数多くある名コンビの中でも、とりわけゴールデンコンビと言えるこのお二人が最初に手掛たのが、この曲の前年に発表された同じくザ・ピーナッツの『ふりむかないで』で、岩谷45歳、宮川30歳の時の作品だったのである。以降、西田佐知子、園まり、沢田研二などに素晴らしい曲を提供し続けている。
そして、その沢田研二の65作目のシングル『永遠に』は、1998年(平成10年)の6月に発売された曲だが、これがお二人による最後の作品で、岩谷82歳、宮川67歳の時の仕事であることには、ただ驚かされる。
岩谷時子は、作詞、訳詞の第一人者として広く知られることになっても、自分の本業は何かと聞かれたときに「越路吹雪のマネージャー」と答えていたそうである。けれども、彼女は越路から1円のマネジメント料も受けていない。「越路が好きだから」という理由だけで、自分より8歳下の歌手の付き人として、まだ作詞家として食べられないうちは、東宝文芸部所属の会社員として働きながら、地味な下働きを続けていたという。
彼女は、途中、越路を昭和55年に、次に目をかけていた本田美奈子を平成17年に見送った後も、『岩谷時子賞』の創設など積極的に仕事を続け、一昨年の平成26年10月25日、肺炎のため他界されている。97年の生涯だった。
この『恋のバカンス」で、同年の第5回レコード大賞編曲賞を受賞した宮川泰。美術大学、音楽大学を中退後、渡辺プロの創始者である渡辺晋率いる「渡辺晋とシックス・ジョーズ」のピアニスト兼アレンジャーとして頭角を現した。明るく楽しい性格から、多くの仲間を持ち、一時はクレージーキャッツに加入しないかという話もあったという。彼は大活躍していた最中の2006年(平成18年)の3月21日に、虚血性心不全で急逝してしまった。無類に派手好きな人だったから、まるで火が消えてしまったような、そんな印象を実に多くの人が持ったことだろう。
宮川泰を心から尊敬している方が、私の店に時々お顔を見せてくださる。ギタリストの萩谷清さんである。彼はグループサウンズの最後の方に活躍したザ・ブルーインパルスのメンバーだったことがあり、その後、スタジオ・ミュージシャンとして、宮川泰、前田憲男、服部克久などの日本を支える音楽家の人々と仕事をしている。現在は、自らのリーダー・アルバムも多数リリースし、ライブ活動も積極的に展開されている。
「金井ちゃんさ、宮川さんのお名前、間違って読む人が多くて困っているんだよ。タイさんでもヤスシさんでもなく、ひろしさんなのにね」。そうおっしゃる萩谷さんから、私はいくつか宮川泰のお話を伺っており、ほかの作曲家の人よりもほんの少しだけ近い存在のような、いつのまにか勝手にそんな思いを抱いているのである。
-…つづく
第283回「流行り歌に寄せて
No.93 「見上げてごらん夜の星を」?昭和38年(1963年)
|