第237回:流行り歌に寄せて
No.47 「港町十三番地」~昭和32年(1957年)
「大師線、最近、大分イメージが変わりましたよ」。先日、私の店に顔を見せてくれた会社時代の技術畑の後輩が、そう教えてくれた。以前に比べ、路線全体が随分と明るくなったようである。
私が以前働いていた会社の技術部門と川崎事業所は、京浜急行大師線の終点駅『小島新田』にあって(現在、技術部門は移転している)、私も業務で何回か行ったことがある。
大師線は京浜急行電鉄のルーツ路線である。1899年(明治32年)1月21日に、川崎大師の参詣路線として大師電気鉄道(同年4月京浜電気鉄道に社名変更)が川崎駅と大師駅間で開業した。
現在は、京急川崎→港町→鈴木町→川崎大師→東門前→産業道路→小島新田の4.5 kmの路線で、全駅が川崎市川崎区に所在する。日本を代表する工業地域であり、夥しく立ち並ぶ工場への労働者の移動という重要な役を担っている。
京急川崎から1.2kmの隣駅、港町(みなとちょう)。昭和7年に開業したときは『コロムビア前』と言った(そのひとつ隣の、現在、鈴木町も開業時は『味の素前』。鈴木町という名も味の素創始者の鈴木三郎助から取っている)。
それは、以前、日本コロムビアの本社及び工場がここにあったからで、昭和19年に現駅名になるまでは、そう呼ばれていた。美空ひばりの所属レコード会社の縁もあってのことだろう、今回の『港町(みなとまち)十三番地』は、この港町からとられたものであるらしい。
「港町十三番地」 石本美由紀:作詞 上原げんと:作曲 美空ひばり:歌
1.
長い旅路の 航海終えて
船が港に 泊る夜
海の苦労を グラスの酒に
みんな忘れる マドロス酒場
ああ港町 十三番地
2.
銀杏並木の 敷石道を
君と歩くも 久しぶり
点るネオンに さそわれながら
波止場通りを 左にまがりゃ
ああ港町 十三番地
3.
船が着く日に 咲かせた花を
船が出る夜 散らす風
涙こらえて 乾杯すれば
窓で泣いてる 三日月様よ
ああ港町 十三番
前回、このコラムに登場した、島倉千代子の『逢いたいなァあの人に』が昭和32年の1月、そして今回の『港町十三番地』は同年3月。
石本美由起、上原げんとのゴールデンコンビは、わずか2ヵ月足らずの間に、後世に残る歌を、しかも二大スターに提供しているのだ。瀬戸内海の島から、工業港の川崎へ。舞台の変化も鮮やかである。
私はこのコラムで、今まで「取材」と言ったものは、まずしていない。瀬戸内海は遠いけれど、大師線であればかなり手近なところにある。"それでは、行ってみるか"ということで、先日店に入る前に京急大師線港町駅を訪れてみた。
何せ、約15年ぶりの大師線。まずJR川崎駅から京急川崎駅への道が分からず右往左往してしまった。ようやく探し当てて懐かしい『小島新田行き』に乗り込むと、午後3時頃という時間帯もあり、若いお母さんに小さな子どもといったお客さんが多く、労働者列車の様相は感じられなかった。
隣駅港町、降りた下り線ホームの壁面に、青い海、赤い船のレコード・ジャケットのイメージを背景に、大きく『港町十三番地』の楽譜が描かれている。"おっ、いきなり"の感。南口にまわり、改札口で駅員さんに、「歌碑はどこですか?」と伺うと、改札口を出てすぐのところを指差してくださった。
てっきり石碑をイメージしていたが、それは一枚のパネルだった。金色のプレートには歌詞と彼女の手形。歌の解説を挟んで、ドーナツ盤レコードが半分だけ顔を出したレコード・ジャケットを拡大した模型。そして、身長148cmの美空ひばりの等身大の写真によって形作られている。
写真の横に立ってみたが、"こんなに小さな人だったんだなあ"という印象を強く持った。
「真ん中のボタンを押すと歌が聴けますよ」と駅員さんに教えていただいたので、早速押してみると、オリジナルの1コーラスが流れてきた。
階段に楽譜のオブジェが飾られていたり、電車接近を知らせるメロディが、ホームの下り線はこの曲のイントロを、上り線はサビの部分を流したりという懲りよう。まさに『港町十三番地駅』と改名したら、と思えるほどである。
駅の改装に合わせてこの歌碑のお披露目があったのが今年の3月1日。まだ、ほんのできたてだった。
<除幕セレモニーの様子は→http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1303010025/
>
現在の駅の住所は、川崎市川崎区港町1?1。当時は港町九番地であったそうだが、語呂の良さから十三番地になったとのことである。
最後に、私も勘違いしていたが、多くの人もそうだと思う。この歌は美空ひばりの出身地である横浜の港を歌ったものだとずっと思い込んでいた。確かに、繁華街川崎駅付近に隣接する川崎港ではあるが、申し訳ないが、未だにピンと来ないのだ。
調べたところ、1番の歌詞の「マドロス酒場」は横浜の馬車道あたりの酒場を、2番の歌詞の「銀杏並木の敷石道」は、同じく山下公園をイメージした歌詞だという説がある。
こちらの方がしっくりくるのだが、さて本当のところはどうなのか、石本氏のご存命中に是非伺いたかった話である。もちろん、私の推測でしかないが、彼は笑って、「それは川崎ですよ」と答えられると思うのだけれど。
-…つづく
第238回:流行り歌に寄せて
No.48 「チャンチキおけさ」~昭和32年(1957年)
|