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第425回:流行り歌に寄せて No.225 「白い蝶のサンバ」~昭和45年(1970年)

更新日2021/07/29


「カムバック」という言葉を聞いて、私が真っ先に思い浮かべるのが『白い蝶のサンバ』の森山加代子である。

数回前にご紹介した『人形の家』の弘田三枝子も戻ってきた女性歌手の一人だが、彼女の場合は大変身を遂げて、まるで別人のようになって姿を現してきたので、カムバックという言葉は似合わない気がする。

森山加代子は、北海道函館市の出身。昭和33年(1958年)の夏、札幌のジャズ喫茶『ロータリー』で歌っていたところを、マナセプロダクション社長の曲直瀬正雄にスカウトされて上京する。

そして、水原弘が率いる『水原弘とブルーソックス』の専属歌手になり、昭和34年年末の『日劇ウエスタンカーニバル』にも出場した。

翌、昭和35年6月、イタリアの歌手ミーナの曲『月影のナポリ』の日本語カヴァーでレコード・デビューをし、50万枚セールスの大きなヒットとなる。

その後も『メロンの気持ち』『⚪︎*月影のキューバ』『ズビズビズー』『パイのパイのパイ』『*いつもアイ・ラブ・ユー(坂本九とのデュエット)』『*五ひきの仔ブタとチャールストン』『ワン・ボーイ』など、カヴァー曲をレコーディングし続け、ヒットメーカーとしてアイドル歌手になっていく。

デビューから昭和38年11月の『一人で泣かせて』まで、3年半で16枚のシングルカットは、基本的にすべてカヴァー曲であった(私は『じんじろげ』については中村八大によるオリジナル曲だと思っていたが、インドの伝承音楽などいろいろな曲がミックスされたものだという説もある)。

この間、前にあげた曲のうち*のついた曲で、順に昭和35年(第11回)、36年(第12回)、37年(第13回)のNHK紅白歌合戦に3回連続出場を果たしている。

しかし、少しずつその人気に陰りが見え始め、昭和40年に初めてのオリジナル曲『くやしいじゃないの』を出したが、大きなヒットにはならなかった。この曲は、カヴァー曲の中でもいくつか披露された、彼女のコミカルな部分を表に出したもので、とても軽快で楽しい曲ではあったのだが。


「白い蝶のサンバ」  阿久悠:作詞  井上かつお:作曲  川口真:編曲  森山加代子:歌


<歌詞削除>

 

 

かつてのヒット曲を歌いながら、地方のクラブやジャズ喫茶などをまわって生活する時間が数年の間続く。そして昭和44年、新潟のクラブで歌い終わって楽屋で佇んでいた彼女に「もう一度、メジャーでやってみないか」と声をかけてきた人がいた。

それは、彼女が専属歌手になった時のバンドリーダー、水原弘だった。彼も、酒に溺れ借金地獄に陥っていたところを、仲間に救われてカムバックを果たす過去を持っていた。

森山加代子は、先輩の励ましに応えるべく、いくつか候補のあった曲の中から『白い蝶のサンバ』を選んでレッスンを重ね、再起をする努力を重ねた。

それが実を結び、最初が早口言葉のようなフレーズで始まるこの曲は、軽快なリズムで大ヒットとなり、彼女も先輩に続いてカムバックを果たすことができた。そして、昭和45年の第21回NHK紅白歌合戦に、8年ぶりに出場することができた。

この曲は、歴代で22作のオリコン・チャート1位という圧巻の記録を持つ作詞家、阿久悠の最初のオリコン・チャート1位の曲となった。今改めて見てみても、かなりあやしい響きの言葉が続く、情念があふれるような詞の内容である。

作曲の井上かつおは、阿久悠のほかに、サトウハチロー、なかにし礼、吉田旺と組んで『歌は我が命』などを美空ひばりに何曲かを提供したほか、藤田まさと、星野哲郎、山上路夫などの偉大な作詞家たちとの仕事も多い。

編曲の川口真は、作曲家として『人形の家』を作ったことは以前書いたが、この後にも何回かこのコラムに名前が登場してくる人である。

さて、森山加代子は昭和47年3月、当時の彼女のマネージャーであった林正夫氏と結婚し、彼女が亡くなる一昨年の平成31年3月まで47年間まで連れ添った。息を引き取る5分ほど前に、四つ姉さん女房である彼女が、「お父さん、ありがとう。迷惑かけたね」と言い残してから亡くなっていったという。

享年78歳、もうそんなお歳になられていたのかと、私は改めて驚いてしまった。

 


第426回:流行り歌に寄せて No.226 「老人と子供のポルカ」~昭和45年(1970年)


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金井 和宏
(かない・かずひろ)
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1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
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