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■店主の分け前~バーマンの心にうつりゆくよしなしごと
 

第426回:流行り歌に寄せて No.226 「老人と子供のポルカ」~昭和45年(1970年)

更新日2021/08/12


左卜全という役者さんは、いわゆる怪優と呼ばれるタイプの人で、彼を一度観ただけで、だれでも、たいへん強い印象を与えられる。

黒澤明監督作品には『生きる』では市役所の市民課課員、『生きる』では農民・与平を演じたのを始め7作品に登場している。

同じ東宝の作品で『喜劇 駅前旅館シリーズ』や『社長シリーズ』『若大将シリーズ』などのシリーズものの常連で、ある時は何とか先生と呼ばれていたかと思えば、神主、ヤクザの親分、会社会長、大学教授、和尚になったり、とにかく忙しくいろいろな役を与えられていた。

その他の映画会社、松竹、新東宝、大映、東映、日活などにも次々と出演し、一番多かったのが、作造老人、駒田老人、杉山老人、蛯川老人など「○◯老人」と名付けられた役柄で、ざっと見ただけで15作ほどは数えられる。

明治27年(1894年)2月20日埼玉県生まれで、長い芝居役者生活の後、映画のデビューが昭和24年(1949年)、東宝の『女の顔』という作品で55歳の時だから、老人役ばかりなのも当然のことだろう。

そんな遅咲きの左が歌を歌わないかと持ちかけられたのが、彼が76歳になろうとした頃。前年の皆川おさむ『黒猫のタンゴ』のヒットに着目した松村憲男というディレクターが「子どもで売れたんだから、次は老人だ」と企画を考えたという。

今考えれば「なんでも行ってみよう!」というノリノリの時代だったとつくづく思う。一見奇妙奇天烈に見える大胆なアイデアを考える人がいて、それを実際に形作ってしまおうとさっそくやり遂げてしまう人がいる。もっと面白いことはないかと競争することを楽しみ、それが即ち仕事につながっていく。みな大真面目に遊んでいた時代だったとも言える。

6年前に、東京でアジアで初めてのオリンピックを開催し成功裏に終わり、この年は3月から大阪で万国博覧会を開く。日本全体が上昇気流の真っ只中にあったことも影響しているのだろう。

 

「老人と子供のポルカ」  早川博二:作詞・作曲・編曲  左卜全とひまわりキティーズ:歌


(助けてー)

ズビズバー パパパヤー

 

やめてケレ やめてケレ

やめてケーレ ゲバゲバ

やめてケレ やめてケレ

ゲバゲバ パパヤー

 

ラララ ランランラン ラララ ゲバゲバー

ランランラン ラララ ゲバゲバー

どうして どうして ゲバゲバ パパヤー

おお 神様 神様

助けて パパヤー

 

(助けてー)

ズビズバー パパパヤー

 

やめてケレ やめてケレ

やめてケーレ ジコジコ

やめてケレ やめてケレ

ジコジコ パパヤー

 

ラララ ランランラン ラララ ジコジコー

ランランラン ラララ ジコジコー

どうして どうして ジコジコ パパヤー

おお 神様 神様

助けて パパヤー

 

(助けてー)

ズビズバー パパパヤー

 

やめてケレ やめてケレ

やめてケーレ ストスト

やめてケレ やめてケレ

ストスト パパヤー

 

ラララ ランランラン ラララ ストストー

ランランラン ラララ ストストー

どうして どうして ストスト パパヤー

おお 神様 神様

助けて パパヤー

おお 神様 神様

助けて パパヤー

 

(助けてー)

 

まわりの思惑とは関わりなく、左卜全はレコーディングには気乗りせず、こんなレコードが売れるはずはないと考えていたようだ。

この曲を出す50年以上前に、帝国劇場に属してオペラを学んだ経験があるというが、その後発声や音程のレッスンをしていたわけでもない。言ってみれば、歌に関してはほとんど素人の自分の歌が売れるはずがない、と考える方が常識的かもしれない。

みなさんが聴いての通り、かなりリズムは外れていた。苦労をしたのは、一緒に歌うことになったひまわりキティーズのメンバーたちだったろう。『劇団ひまわり』の子役である女子小学生5人で組まれたコーラスグループだ(5人の中の1人、藤田恵美は後にユニット『Le Couple』で『ひだまりの詩』をヒットさせ、NHK紅白歌合戦にも出場している)。

ジャケット写真を見ると、みんなまだ小学校の低学年という感じのお嬢さんたちである。彼女たちの実際のお祖父さんよりも年上と思われる、リズムを外した風変わりな老人とのレコーディングを成し遂げたのは、偏に彼女たちのたいへんな粘り強さによるものと思う。

その彼女たちも、今やアラ還を迎えつつある年齢になっていることを思うと、ため息が出るほど昔日の感を覚えてしまう。

さて、ゲバゲバはゲバルトで「学生運動」、ジコジコは「交通事故」、ストストは「ストライキ」ということは、この曲をリアルタイムで聴いた方はよく理解されていると思う。

この時期、全共闘活動は全盛期を迎え、各地で機動隊とのせめぎ合いを繰り返していた。その他思想の左右を問わず、全国的に多くのセクトが誕生し、学生運動はピークに達していたと言える。

交通事故による死亡者数は、この曲が出された昭和45年が1万6,757人と過去、及びその後の中で最高の数値を記録した。因みに、昨年令和2年(2020年)の死亡者数は2,839人で、警視庁が統計を開始してからの最小を記録したが、その約6倍の方々が亡くななっていたことになる。

そして、ストライキなどの争議権が認められていない公務員が、その争議権を獲得するために起こした、いわゆる『スト権スト』が始まったのも、概ねこの時期である。

交通事故に関しては、これは絶対になくしていかなくてはならないのは理解できるが、学生運動とストライキに関しては、老人と子供を含む国民の多くが「やめてケレ」と思っていたのか、という問題。私個人がその頃を振り返ってみれば、空気感としては、おそらく“Yes”ということになるのだろう。「困ったもんだ」と思っていた人々が、少なくとも私の周りには多かったような気がする。

「ポルカ」を手元の広辞苑で調べてみると「1930年頃ボヘミアに起り、ヨーロッパに広まった4分の2拍子の軽快な舞踏及び舞曲」とある。私などは、ポルカと言えば『ビヤ樽ポルカ』くらいしか思い浮かばない。

今回の『老人と子供のポルカ』の作詞・作曲・編曲を手掛けた早川博二はトランペッターでもあり、『早川博二&モダン・ポップス・オーケストラ』の指揮者でもあった人である。

この人が、なぜポルカという音楽のジャンルを使い、老人と子供に、ある種メッセージソングを歌わせたのか、とても興味深いところだ。そして、この歌の中で、どうして左卜全に3回、少女に1回「助けてー」と叫ばせたのだろう。作られた時点では、ビートルズのあの名曲から4年半ほどしか経過していない。

 


第427回:流行り歌に寄せて No.227 「長崎の夜はむらさき」~昭和45年(1970年)


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金井 和宏
(かない・かずひろ)
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1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
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