第468回:古代オリンピック その2 ~古代オリンピックの精神を持った日本人
ドーピングが大きな問題になったのはつい最近のことですが、大きな栄誉、お金が絡むと今も昔もゴマカシが付きまといます。
古代オリンピックでの最大のイカサマは、ローマ皇帝ネロがやったものでしょう。ネロは詩を吟じたり芸術的な関心が強く、またギリシャ文化への傾倒も大変なものでした。なんとしてでも、オリンピックで優勝し、月桂樹の冠を被りたかったし、それを被ってローマへ凱旋したかったのでしょう。かといって、鍛え抜いた肉体の持ち主ではないので、とてもレスリング、槍投げ、ボクシングなどの本格的な長いトレーニングが必要とされる競技に出場できるわけがありません。
彼が目を付けたのが戦車競走、と言っても二頭立ての馬で二輪車を引かせる馬車の競技です。映画『ベンハー』の名場面を思い出してみてください。
ギリシャ・オリンピックでは二頭立てが主流でしたが、そこへローマ皇帝たるネロは10頭立ての戦車を持ち込んだのです。記録に残っているのは、ネロの馬車がコーナーを回り切れず、ネロは放り出され、馬は馬車を引きずったままゴールしたにもかかわらず、それでも皇帝の威信で優勝の冠は落馬したネロに与えられました。
当時、ギリシャの都市国家はことごとくローマの属領になっていましたから、ギリシャ・オリンピック委員会?も政治的配慮をしたのでしょう。しかし、ネロの死後、優勝の栄誉は剥奪されています。
現代オリンピックで一番汚いオリンピックと定評があるのは、ソルト・レイク・シティーの冬季オリンピックです。まず、開催地指定を得るためにオリンピック・コミティーの数人がワイロを受け取り、ソルト・レイク・シティーに投票し、その票によってソルト・レイク・シティー開催と決まりました。また、競技でもペアのフィギュアスケートでロシアの選手に勝たせるため、フランス人の審査員二人が取引に応じた事実が表面化しました。
お金持ちクラブ的なオリンピック委員会は、アマチュアリズムの名の下でスポーツを傷つけてきました。ジム・ソープ(インディアン名;ワ・サ・ハク)は、ストックホルム・オリンピックで近代五種、十種に優勝し、メダルを授与したスウェーデン国王をして最高のスポーツマンと言わしめたアメリカインディアンですが、大学時代に地方の田舎の野球チームに臨時選手として出場し、足代、昼食代として2ドル受け取っていたことが分かり、メダルを剥奪されています。
当時の大学のフットボール、野球の選手たちなら、夏休みに経費持ち、タダのバカンス旅行として、誰でもそんなことをしていましたが、皆、ニックネーム、偽名を使っていたのです。 ただ、ジム・ソープはインディアンの風貌を持っていましたし、大学のスポーツ界ではすでに顔を知られていましたから、アメリカの名前ジム・ソープとして野球に出ていたのです。あきれた話ですが、1924年までアメリカインディアンはアメリカの市民権すら持っておらず、アメリカ国民ですらなかったのです。
ジム・ソープのメダル剥奪は、多分に人種偏見に基ずく事件で、このままオリンピックを続けたら、メダルはすべて黒人、インディアンに持っていかれるという危機感がアメリカのオリンピック委員を中心に広がっていたと言ってよいでしょう。その時のオリンピック委員会の会長はブランデージでした。彼自身、大学のフットボール選手でしたが、ジム・ソープのチームと対戦し、あっさり負けています。ブランデージ会長は28年もの間、会長職にあり、絶対的な権力をふるってきました。彼が人種偏見を持ち、貴族趣味、白人至上主義だったことは有名です
歴史の皮肉でしょうか、歪んだアマチュアリズムをぶち破ってくれたのは、共産圏の国々でした。盛大な国家のサポートを受け、国家公務員として公然とメダルを獲得していくのに対し、アマチュアリズムに固執していた資本主義の国々は、ただ、あいつらはステートプロだと愚痴をこぼしながら、横目で見ているほかありませんでした。
オリンピックそのものが、共産圏のため、共産主義のプロパガンダのための場になってしまう、乗っ取られてしまうと、真剣な危機感を抱いた資本主義の国々が、それじゃ、本家、本元の資本、お金に物言わせようと、アマチュア規定を一挙に緩めるどころか、全く取り払い、共産主義国家のステートプロと対抗させたのです。ところが、共産主義国家そのものが崩壊し、今では掛けたお金の総額といかに上手にお金を使ったかが、メダルの数に反映するようになってしまいました。
偶然から、古代オリンピックの精神を持った選手、ギリシャの時代に遡っても英雄とみなされる選手として、日本の体操、藤本俊さんの名前が挙がっていたのにデクワシました。アメリカの公共テレビPBS製作の『Real
Olympics』という番組の中で、古代ギリシャの歴史家、マイケル・ポリコフ博士が藤本俊こそは、古代ギリシャの精神を持った選手であると折り紙をつけているのです。藤本さんは1976年のモントリオール・オリンピックの体操の選手でした。
チョット私の記憶が怪しいのですが、彼の床運動の時だと記憶しているのですが、足首を骨折しましたが、それをトレーナーにも同僚の選手たちにも誰にも告げづ、あん馬、吊り輪など、他の競技をこなし、チームにメダルをもたらした…のです。ひょんなことから、藤本俊さんがギリシャの闘士に見立てられているのに驚いてしまいました。きっと、日本人でも藤本さんのことを覚えている人は少ないでしょうね。
日本の古武士とギリシャの戦士の精神とは通じるものがあるのでしょうか。でも、ギリシャの戦士としてその時代、最高にアガメ奉れていたのは、首を絞められてもギブアップせずに死んだレスリングの選手でしたが。
痛みに弱い私としては、藤本さんがその後片輪にならず、普通の老後を送られたことを願う気持ちのほうがはるかに強いのです。 どうにも私には古代ギリシャのオリンピック選手、闘士の精神は別世界のことのように思え、そんな古代ギリシャのオリンピック精神など、蘇ってもらいたくないと思っているのです。
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