第188回:戦争と死刑=国家の暴力
日本で裁判員による初めての死刑判決が出たことを新聞のインターネット版で知りました。
二人を電気ノコギリで首を切り殺した池田容之容疑者に、裁判員が死刑の判決を下しました。グラフィックな殺し方が裁判員の心象に影響したのでしょうか。
アメリカのコネチカット州、ニューヘイブンでも死刑の判決があり話題になっています。凄惨な事件は2007年に起こり、スキャンダラスに全米に報道されましたから、日本にも伝わっているでしょうね。
地元のお医者さんの家に二人組みが押し入り、11歳と17歳の娘さん二人と母親を強姦した上で殺し、証拠隠滅のため家に火をつけ殺害した事件です。主犯格の47歳になるスティーブン・ハイエスは、「俺がやった。こんな人生にさよならしたい、早く死刑にしてくれ」と言い続けています。コネチカット州で死刑の判決が出たのは、2005年の連続殺人犯のマイケル・ロス以来のことだそうです。
妻と娘二人を失ったペチットさんは、「これでやっと裁きが下った。だが、3人は帰ってこない」と悲痛な表情で語っていました。
私たちが住んでいるコロラド州では、死刑を暫定的に廃止しています。この町で1975年起こった母娘殺し容疑の犯人に実に35年かかって、無期懲役の判決が出ました。犯人のジェリー・ネムニックには性犯罪の前科があり、その晩、母と娘(当時27歳と5歳)の家を訪れたことは認めていましたが、強姦や殺人はやっていないと主張し続けていたのです。
それが、母親の爪からジェリーのDNAが検出され、有罪の判定に決定的な証拠となったといいます。彼はあくまでやっていないと主張していますが…。
こんな事件を見ると、私の死刑絶対反対論もぐらつくのですが、心を鬼にして言わせてもらえば、それでも国に、国家に人を殺す権利、死刑を履行する権利はないと思うのです。人を殺すという一点において、個人であろうが、国家であろうが同じだからです。
日本の裁判員制度は、突き詰めれば、死刑を続けるか廃止するかにつながる問題になるのでしょうね。
「国家は暴力である」と言ったのは、マックス・ウェーバーだったかしら。国家権力だけが人を殺す権利を持っていることは小学生でも知っています。その暴力の最たるものが死刑と戦争です。
アメリカは、第二次世界大戦の後も朝鮮戦争、ベトナム戦争、そしてイラク戦争、性懲りもなくアフガニスタンと戦争をしていない期間が珍しいくらい、戦争をしています。 しかも、大きな特徴と言っていいのでしょうか、常に自分の国の外で戦っています。よその国に出かけて行き、死んだらアメリカのために命を捧げたと表彰され、また、沢山その国の人を殺したといって表彰され、階級が上がり、国に帰っても死刑になることはありません。
もともと、人を殺すために、強力な武器を携えて、よその国に行くのですから、はじめから殺されてもともと、しょうがないと思うのですが、アメリカで報道されるのは、アメリカ軍兵士が死亡した数字ばかりで、死んだ地元の人、兵隊さんや民間人の数が報道されることはまずありません。
軍隊も戦争もこの世の中からなくなることはないでしょう。軍備がどの国ににも必要かどうかは全く別のテーマになってしまいます。国家が絡んだ殺戮もなくならないでしょう。
ですが、多少ブレーキをかけ、世の中を公平にするため、殺す権利と道具を持つ軍人と戦争命令する上官、国防省のお偉方、戦争賛成に投票した政治家、議員、最終責任者である元首、首相、大統領は死刑廃止の対象から外してはどうでしょうか。彼らが有罪と判断されれば、死刑を適応し、死んでもらうのです。
これが私の修正死刑廃止論です。
日本の裁判員制度は、3年後にもう一度見直される予定だそうですが、大いに死刑について議論され、廃止になることを祈っています。
第189回:"空から降ってきたトミー"人種偏見は人生のスパイス?
|