第54回:ベガスの生活
更新日2003/03/27
5月を過ぎると、日増しにラスベガスは暑さを増してきた。連日40度以上の気温が9月まで続くらしい。ベガスは標高800mの高地なので、露出した肌を刺すような日射もまた強烈で、慣れない体が外に行く気力さえも奪いそうになる。幸いなことに、雨は殆ど降らず、湿度も低く、あの日本の蒸し暑い真夏より多少は過ごし易い。
周辺には、グランドキャニオンやデスバレーなどの自然公園も多く、世界中から年間3,000万人以上の観光客がベガスを訪れる。主に、リゾート・カジノ産業がメインの街だが、未だ周辺の鉱物資源も豊富で、金・銀の埋蔵量も全米一である。
現在、人口は約120万人だが、巨大カジノの建設ラッシュで雇用の機会が飛躍的に増えたため、それを求めて全米から入居する人が後をたたず、月に平均5,000人くらいの割で人口が増えている。さらに、ビジネスでは州税、法人税などの支払いが免除されているので、ベンチャー企業の進出も増え続けている。
また、大小100軒以上のカジノが立ち並ぶ街の宿命か、いつも郵便受けにはカジノからのチラシやDMが入っていて、来店すれば10ドル現金あげるとか、バイキング無料などのクーポン券を送ってくる。スーパーやコンビニに行ってもポーカーマシンが置いてあり、そこでギャンブルを楽しむ住人たちも多い。全体の生活費は、ロスやシスコに比べて非常に安いのだが、屈強な自制心がないと、この街でギャンブルなしでは生きて行けないかも知れない。
1秒間で平均10万円の利益を生み出す莫大なカジノ産業には、それを牛耳る組織の存在が不可欠だが、それが大富豪ハワード・ヒューズによってビジネス化されて以来、マフィアのような男臭い時代の産物を見ることもない。ここで商売をしていて、ゆすりで手数料を脅し取られたケースは聞いたことがない。
しかし、ベガスでなんとか商売を始めてみたものの、仕事などそう簡単には入らなかった。商売を始めて2ヵ月ほどになるが、予約の電話など一度も鳴らなかった。あちらこちらで融資してもらったお金も、最初の投資ですでに底を尽き始めていた。
仕方なく、自分の不得意分野である営業をするため、日本の各旅行代理店を廻り、自分のGUNツアーをセールスしてみた。しかし、いまだに危険なイメージがあるためか、GUNツアーへの風当たりは厳しかった。私一人で、前の会社で2万人以上のお客を無事故で射撃させた実績などは関係ないようだ。
営業の際には、逆に、「忙しいからウチの会社で働かない?」と逆指名される始末だった。米国の労働ビザ取得が難しくなったこの時期、ベガスには日本人ガイドが不足していたのだ。しようがないので、自分の仕事が軌道に乗るまで、現地ツアーガイドの仕事をすることにした。
実際、射撃インストラクターの仕事もツアーガイドに近い仕事なので抵抗はなかったが、年配の方が多い日本からの団体客を相手に、観光バスに乗り、マイクを握るのは勝手が違った。射撃の場合は、色々と私の説明を聞いてくれたが、観光ガイドである私の話など聞いてくれないことが多かった。不定期な仕事も多く、不安な日々がしばらく続いた。
夜は、自分の会社のホーム・ページを作るためにパソコンと向き合っていた。30歳を過ぎて始めたパソコンで、最近まで右クリックの方法も知らなかった私も、暇な時期を利用して少しずつ分るようになってきた。
暇なので体力が落ちないように週3回ほどジムに通っていたが、そこでジョージという警察官と知り合った。彼と涼しくなる夕方からミード湖へ夜釣りによく出かけた。
ミード湖は、ベガス市内から40分くらいにある、コロラド川を巨大なフーバーダムでせき止めた巨大な湖だ。私たちは、そこへ蛋白源確保のためにナマズやマスを釣に行くのだ。

彼は、職務で使用している拳銃を仕事外でも常に携帯していた。ある日、魚が全く釣れないので、頭にきたジョージは、水辺のカモをその拳銃で撃ち、それをさばいて私にカモの丸焼きをご馳走してくれた。
また、私たちの何時ものポイントで、地元の若者たちが水浴びをしていると、我々の釣りの邪魔とばかりに空に拳銃を数発発砲して、彼らを退散させてしまった。
さらに、コヨーテの群れがバーべキューをしている我々に近付くと、自衛のためとばかりに容赦なく拳銃をコヨーテに乱射していた…。米国人は、ワイルドというか、残酷というか、凶暴な人種が多いことは分っていたが、荒野でのGUNの有効な使い方をよく理解しているようだ…。
ベガスから車で20分も走れば、広大なモハベ砂漠が広がっていて、原始の荒野の姿を今も留めている。私も一人で郊外のワイルドデザートへ行く時は、ショットガンを防衛用に持っていく。が、ラットスネーク(ガラガラ蛇)に遭遇した時くらいしかGUNを使用したことはない。西海岸の大都市にはない“砂漠の掟”をジョージは教えてくれた。
そんなベガスの住人として少しずつ生活にも慣れてきた頃、地元のガイドブックを見た観光客から初めて私の射撃ツアーへの予約が入った。
自分の会社での初仕事は、東京からやってきた4人組の男性グループだった。今まで観光向けの室内射撃しか経験したことがない人たちだったので、屋外の砂漠での射撃に感動して頂いたようで、結果的には大成功だった。
私にとって、約1年ぶりの射撃インストラクターの仕事だったが、お金のことよりも、一瞬でも自分の本業に戻れた喜びは大きかった。
第55回:明日に向かって撃て