第35回:よそ者には寛容だが頑固なイビセンコ気質
私が初めてイビサを訪れた時、スペイン市民戦争の遺物のようなフランコ将軍がまだ生きていた。もう相当ヨレていて、何時死んでもおかしくないと言われていたが、はっきりした病状は誰も知らなかった、と言うより知らされていなかった。完全な情報管制が敷かれていた上、独裁的警察国家権力がスペイン人全員に強い恐怖感を与えていたので、誰も公にフランコ批判をしなかったし、政治を語ろうともしなかった。
スペイン語がロクに話せない私の知人(日本人だが)は、マドリッドのバール(Bar)でフランコの悪口を言っただけの罪で1年近く牢にぶち込まれた時代だった。バールの中で私服がジャケットの襟の内側に付けたグァルディア・シヴィル(GuardiaCivil;治安警察)のバッジを見せ、「俺は警察だ。反政府的言動でお前を逮捕する!」とやられたのだ。スペイン本土では壁に耳あり、どこで誰が耳をソバダテテいるか知れたものではない時代だった。おまけに密告が奨励されていて、よくそれで捕まっていた。
フランコ時代のガルディアシビル。この異様な帽子を見ただけで市民はビビった。
今はオフィシャル時しかこの帽子はかぶらないようだ。
フランコが死んだ時、クーデターが起こるのではないかと予想され、期待されたが、フランコが敷いた線路、王政立憲政治にスムーズに移行し、期待された革命など起きなかった。それにしても、彼が生きている間は、社会意識を持って政治に関わるのは、自分の命を賭けた行動だった。
だが、カタルーニア、バレアレス諸島と呼ばれるマジョルカ、メノルカ、イビサの島々はタガが緩く、中央政権の牙城のマドリッドからイビサに来ると、イタリアかフランス領のような空気が漂っていた。
元々イビセンコ(イビサ人)は中央からの統率を非常に嫌い、何かにつけて中央の裏をかく喜びを見出し、ほくそ笑むところがあったようだ。
中央政府が勝手に掛けた関税は絶好のターゲットになった。いわば密輸である。高い関税はみんな中央政府が持っていってしまう、地元には何の益ももたらさない。そんな関税は支払わないことにシクはないとばかり、何とか関税を払わずに済む方法を探った。あらゆる物品にかかる税金、革製品、綿、ステンレスのナイフ、フォーク、電化製品、自動車のパーツなどは30%から80%も課税されていたのを抜くことに腐心した。
この関税はなにも外国からの物資というのではなく、たとえばマジョルカ島で作った皮製品をスペイン本土に持っていくと、頭から50%の関税を掛けられるのだ。消費税のように、小売店が現物を売った時、売れた時に取るのではなく、小売店などは売り上げをゴマカスに決まっているのだから、生産者から小売に流れる段階で税金を取ってしまえという算段だ。
当時、ワインには税金が掛けられていなかった。空気や水と同じように、ワインは必要欠くべからざるものとみなされていたのだろう。だが、タバコは別だった。スペイン人は驚くほどのタバコ好きで、大変な煙を撒き散らし、ウラ若い女性から、肺喘息の爺さんまで煙にまみれていた。タバカレラ(Tabacalera;タバコ専売公社)には激安の国産タバコから、高価で薫り高いアメリカ産のものまで広く出回っていた。
『カサ・デ・バンブー』でも国産のドゥカドス(Ducados)、フォルトゥナ(Fortuna)のほか、アメリカ産のマールボロ(Marlbolo)やウィンストン(Winston)など数種類買い置きしていた。街のタバカレラから買ってきて、その同じ価格でお客さんに供給していたのだが、アメリカタバコの値段がよく変わった。10~20%ならまだ仕入れやストックのあるなしで変化するのはここではありそうなことだと納得できるのだが、それが半額になったりするのだ。
タバコは専売公社が価格管理をしているはずだから、急に小売の値段が上がったり、下がったりするのは奇妙なことだと思い、イビセンコの朋友ぺぺに訊ねたところ、お前、そんなことも知らないのか、と言った顔で、アメリカタバコの価格の怪を解いてくれたのだった。
イビサで外国タバコを牛耳っているのはサンミゲル村のカソリックの神父さんで、彼が大量にイビサへ密輸入し、地下の納骨堂にイビサの観光シーズンに向け保管している、次の入荷が早まり、タバコがだぶつくと、多めに流す……よって価格が変動すると、まるで自分の目で教会地下の納骨堂変じてタバコ保存庫を見てきたように解説したのだ。
それまで気がつかなかったが、なるほど時折、アメリカタバコにスペイン税関のシールが張っていないものがあることに気がついた。それを政府の認可を受けているはずの街中のタバコ屋、キオスクで売っているのだ。
昔のアベル・マツーテス銀行(絵葉書より)
バレアレス諸島の大手の銀行は、バンカ・マルチ(Banca March)とバンコ・アベル・マツーテス(Banco Abel Matutes)だ。バンカ・マルチの方はマジョルカ島が本社で、バンコ・アベルマツーテスの方はイビサ生え抜きの銀行だ。イビサのカシケ(cacique;部族の首長、大親分)、重鎮アベル・マツーテスはよく『カサ・デ・バンブー』にも来てくれた。しかも、郎党家族を引き連れたり、仕事関係の仲間を連れてきて散財してくれたものだ。
後に、スペインがEECに加盟した時、EEC本部詰めの相当上の地位に就き、スペインに戻ってからは保守党の大幹部にまでなっている。彼の奥さんはイビサでブティックをやっており、マツーテスはよく、「ウチの女房の方が、俺より稼ぐんだ…」と冗談を言っていたものだ。
銀行家としては、アベル・マツーテスは二代目で、初代がマジョルカ島のマルチと組んで財をなした方法が奮っている。マルチが膨大な革靴の片方だけマジョルカから貨物船に積み込み、故意にというより、袖の下を渡してある税関に捕まる。製品は没収され、即競売に付される。片方だけの靴を買うモノ好きはいないから、アベル・マツーテスがタダ同然で落札する。そして、次の船にもう片方が積み込まれ、没収、落札で関税を全く払わずに右左揃った靴がめでたくスペイン本土に入ることになる…と言うのだ。
スペインの伝統的ピカレスク小説(Novela picaresca;悪漢小説)を地でいくようなハナシで、これがどこまで事実なのか判然としない。このように、中央政権の鼻を明かし、財をなしたオトギ話は様々なバリエーションでもっともらしく語られている。
イビセンコ(生粋のイビサ生まれ、イビサ育ちの人)はよそ者を受け入れるのは至って寛容だが、頑固に自分の生活を変えようとしない。基本的な生活態度は、保守的百姓精神を貫き通す。
たとえ、イビサ語がカタラン語の方言であり、北隣の大きな島マジョルカの言葉とほとんど同じだとしても、イビサ語はイビサだけの独自の言語であり、我々はカタラン人でもマジョルカ人の一派でもないと信じ込んでいるのだ。
国勢調査でイビサの住人の起源? どこの出身かが明らかになれば、おそらくイビセンコは他のスペインからの移住者より少ないマイノリティーになってしまうと思われる。カタラン(バルセローナを中心とした地方の住人)で2、3世代に渡ってイビサに定住している人たちも相当数いるのだが、生粋のイビセンコは、「あいつらはカタランだから…」と、暗にショーバイ、金儲けに走る人種だとし、イビセンコとは決して呼ばないのだ。
観光がイビサを覆い尽くすはるか以前から、イビセンコは代々引き継いだ土地を持っているだけが他から移住してきた人たちとの大きな違いだ。実際上、イビサ全体の経済力から言えば、スペイン本土やドイツ、イギリス、北欧の投資家の方がはるかに力を持っていることだろう。

イビサ島の民族衣装(お祭りの写真より)
-…つづく
第36回:イビサの農家(フィンカ)と田舎料理
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