紀勢本線を南へ向かう始発列車は、昔の山手線のような顔をしていた。銀色に塗られる前の通勤電車だ。ロングシートでは旅の気分になりにくいな、と落胆しつつ車内にはいると、箱型のクロスシートが並んでいる。どんな改造をしたのかは解らないけれど、地方には珍しい電車があるもんだな、と楽しい気分になってきた。私は進行方向右側の窓際に座った。外はまだ暗いけれど、明ければこちら側に海が見えるはずだ。車窓から夜明けの海を見るとはなんと清々しいことか。車内に昨夜からの酔客が居ないのもいい。
始発列車は改造電車。
私の記録によると、紀勢本線の訪問は1984年4月となっている。阪和線で大阪から南下し、紀伊半島をぐるりと回って松坂から名古屋へ抜けた。その時にも感じたことだが、紀勢本線は車窓の変化がめまぐるしく変わって楽しい。入り江とそこに寄り添う町が見渡せたり、海が開けたり、迷い込むように山間に入る。海岸線沿いの鉄道路線は車窓の変化に乏しい傾向だと思うけれど、紀勢本線は別格だ。思い出の車窓と重ねれば、時代の変化もわかる。下津と初島の間には巨大なコンビナートが見えている。あれは記憶になかった。
紀勢本線の眺め。
大小の湾を眺めて約1時間。御坊駅に着く。特急も停まる駅で、近代的な長いホームと跨線橋がある。御坊市は今年(2004年)に市制50年を迎えた。江戸時代から西本願寺別院の寺内町として発展し、現在は日高港の港町として栄えているという。土地の人に代わってお国自慢を書くと、温暖な気候のため古くから花の栽培が盛んで、花束に欠かせないかすみ草やスターチスの出荷は日本一だ。麻雀牌の生産量も日本一。これは将棋の駒の天童市と同じくらい誇って良いことだと思うけれど、あまり宣伝されていない。そしてもうひとつ、日本一営業距離が短い鉄道会社、紀州鉄道がある。
乗ってきた電車が走り去り、御坊駅の構内を見渡せば、小さくて古いディーゼルカーが停まっている。博物館に飾られてもおかしくないほど古い。歴史の教科書や郷土資料館の写真に出てきそうな佇まいである。車体を舐めるように見渡してから車内に入ると、しんとした空気の中に、微かに機械油とニスが混じったような香りがある。日曜の朝、乗客は数人。若い運転士さんがきて、たった一両の気動車はガリガリと音を立てて走り出した。ディーゼルカー、というよりも気動車。意味は同じだが、カタカナは似合わない。
古いディーゼルカーが待っていた。
紀州、と大きな地域名を使っているにもかかわらず、紀州鉄道の総延長はたった2.7km、ディーゼルカーがゆっくり走っても8分で終着駅。しかし、現在日本一短い鉄道会社は紀州鉄道ではなく、千葉県成田市の芝山鉄道だ。あちらは総延長2.2km、京成電鉄直通の電車が成田空港の横をかすめて4分で走る。もっとも、あちらは延伸を予定しているから、紀州鉄道のタイトル奪還は確実だ。
ローカル私鉄だからその時まで存続されているかという心配もあるけれど、紀州鉄道については大丈夫ではないかと思う。紀州鉄道の最大のウリは鉄道会社であることそのもので、会社の実態は不動産、リゾート施設やホテルの経営が中心だ。蔵王、那須、房総、伊豆、箱根、軽井沢など全国の主なリゾート地にホテルを持っている。実は、前身の御坊臨港鉄道が鉄道が廃止の危機にあったとき、東京の不動産会社が買収したという経緯がある。
したがって、紀州鉄道の不動産事業は鉄道会社の副業ではなく、鉄道のほうが副業だ。全国的には鉄道に乗らなくても、紀州鉄道のホテルに泊まった人のほうが多い。立派なホテルで過ごし、親会社の鉄道はどんなものかと思えば、その実態は規模の小ささで日本一。その格差が面白い。しかし、鉄道会社の名目だけが大事だから、鉄道は古いまま放置、ということではけしてない。紀州鉄道は冷房付きの近代的なレールバスも保有していて、平日はそちらが走る。沿線は住宅地で、学校もいくつかある。市役所前駅は文字通り市役所の最寄り駅で、地元の足として重要な路線でもある。
紀州鉄道が古い車両を使う理由は、休日に全国から訪れる鉄道ファン向けのサービスだ。コスト面から言えば、おそらく新車よりも手間がかかっていると思われる。切符がすべて手売りの硬い紙になっているのも鉄道ファンには嬉しい。日常的に利用する地元の人は、回数券や定期券を使う。御坊の次の学門駅は受験のお守りとして切符を通信販売している。御坊市も地元の観光資源のひとつとして、紀州鉄道を誇らしく思っているようだ。
沿線は住宅が多い。
気動車はガリガリと音を立ててゆっくり走った。終着駅の西御坊は掘っ立て小屋のような質素な作りだ。気動車が折り返すまで20分ほどあるので、ちょっと駅前を散歩してみた。西御坊の先でレールが途切れた場所がある。かつてはこの先まで列車が走ったようだ。日本一短い鉄道は、赤字の末端区間を廃止して生き延びてきたのだろうか。あとひと駅廃止すれば、芝山鉄道から日本一の座を取り戻せるな、と思った。まったく不謹慎な旅人である。
駅前の通りを見渡すと橋が見えた。徒歩5分、往復10分と見積もって歩き出す。仕立屋と思わしき、古い店の前に野菜が並んでいた。蜜柑がある。店には人影があるけれど、ここは無人販売である。帰りに買うことにして足を速める。ちょっと歩いただけだが身体が温まった。橋の名は大川橋。川幅は20メートルほどだろうか。急ぎ足の勢いで橋を渡ると工場があった。なんとなく満足したので反転すると、渡り始めた地点までレールが到達していた。西御坊から伸びていた線路が、ぐるりと回ってここまで来ていたのだ。廃線跡は川を向いていた。川の向こうの工場まで伸びていたようだ。
駅前を散歩して川にたどり着く。
そうだと知っていれば、廃線跡を辿ってくればよかった。しかしもう時間がない。廃線跡は迂回している。道路は駅まで真っ直ぐ延びている。無人販売の蜜柑も気になる。私は急ぎ足で道を引き返し、数個ひと袋の蜜柑を拾って小銭を箱に入れた。発車時刻になんとか間に合ってほっとする。来たときには気付かなかったけれど、掘っ立て小屋のような駅には、意外にも簡素な窓口があった。委託されていると思われる女性から、硬い紙の切符を買った。
気動車は、さっきと同じようにガリガリと音を立てて走り出す。座席に落ち着いたとたんに喉の渇きに気付く。そういえば、朝から何も飲んでいない。しまった。どこかの自動販売機でお茶を買えばよかった、と思ったけれど、さっき蜜柑を買ったことを思い出す。皮は薄く張りつめていて剥きにくい。実がぱんぱんに詰まっているのだ。実をひとつ口に含むと、冷たく、甘い香りが喉を降りる。薄暗い車内に蜜柑の香りが広がっていく。
硬い切符と蜜柑。
-…つづく