第297回:流行り歌に寄せて No.102 「君だけを」~昭和39年(1964年)
もちろん、小学校2、3年生の時分の私はそんな言葉は知らなかったが、今使っている表現で言えば西郷輝彦を初めて見たときの印象は、“なんて華のある人なんだろう”というものだった。
キリッとして、彫りの深い顔立ち。何より、大きな目を覆っている太い眉毛は、もう圧巻だった。小さい頃から「Kちゃんは、眉毛だけはお公家様だね」とからかわれるほど、薄く小さな眉毛の私にとっては、心底羨望の対象だったのである。
そして、歌声は甘い低音で、実にカッコ良かった。まだ少年ソプラノだった私も、思い切り顎を引いて、声を低く低く作り、何度も真似っこをしたものだ。ぼんやりと、しかし、秘かに『君だけを』と言える女の子が現れるのを期待しながら。
「君だけを」 水島哲:作詞 北原じゅん:作曲 西郷輝彦:歌
1.
いつでも いつでも 君だけを
夢にみている ぼくなんだ
星の光を うつしてる
黒い瞳に 出合うたび
胸がふるえる ぼくなんだ
2.
いつでも いつでも 君だけが
待っていそうな 街の角
そんな気持ちに させるのは
君の素敵な 黒い髪
雨に濡れてた 長い髪
3.
いつでも いつでも 君だけと
歩きたいのさ 夜の道
ふたつ並んだ あの星も
いつも仲良く ひかってる
君と僕との そのように
御三家の中ではデビューが最も遅く、年齢も若いので、末弟のような存在である。また、橋幸夫が昭和18年5月、舟木一夫が19年11月であるのに対し、西郷は22年の2月と、ただ一人戦後の生まれで、団塊の世代に属している。
雰囲気としては三人のうち一番ワイルドなイメージを持っていた。それは、後の新御三家で言えば西城秀樹、タノキントリオで言えば近藤真彦に繋がるものである。
この『君だけを』は、西郷のデビュー曲。今回、これで橋幸夫の『潮来笠』、舟木一夫の『高校三年生』に続き御三家全員のデビュー曲を取り上げられて、少しホッとしている。
さて、作詞の水島哲は讀賣新聞の記者と作詞家という二足の草鞋をバランス良く履いた人で、平尾昌晃の『星はなんでも知っている』、布施明の『霧の摩周湖』、ザ・ランチャーズの『真冬の帰り道』など私たちに馴染みのある多くの詞を残した。しかし、昨年の6月、惜しまれながら86歳でこの世を去っている。
一方、作曲の北原じゅんは、偶然にも水島哲と昭和4年の同年生まれだが、こちらは健在。『君だけを』の2年後に、実弟である城卓矢が歌った『骨まで愛して』を作曲し一躍有名になった。他には北島三郎の『兄弟仁義』、また叔父にあたる川内康範との仕事も多く、八代亜紀の『愛ひとすじ』は大ヒットしている。瀬川瑛子をスターダムに伸し上げた『命くれない』もこの人のメロディーである。
水島、北原コンビは、この後西郷に『十七才のこの胸に』をはじめ数多くの作品を提供している。お互い、35歳前後の一番物が書けた時代に、新進の良き歌手に巡り会えたのではないかという気がする。
ところで西郷輝彦という芸名は、郷土鹿児島の英雄、西郷隆盛からいただいたものだということはよく知られているところである。彼が俳優業も営むようになり、長い間の願望が叶って隆盛を演じたのは、平成20年、鹿児島テレビ放送開局40周年記念の新春ドラマ『南洲翁異聞』であった。
西郷のデビューは、その鹿児島テレビ開局より4年早いから、彼はデビューから44年の時を経て、芸名をいただいた大西郷に恩返しができたことになる。
-…つづく
第298回:流行り歌に寄せて No.103
「あゝ上野駅」~昭和39年(1964年)
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