第187回:流行り歌に寄せて No.4 「港が見える丘」~昭和22年(1947年)
毎年10月の第2土曜日と日曜日、横浜の街をあげてのジャズ祭り、横濱ジャズプロムナードが開催される。私は店を始める前、横浜に住む友人の案内で、何回か聴きに行ったことがある。
残念なことに、自由が丘で最も規模の大きいフェスティバル『女神まつり』と日程が重なり、そちらのお手伝いに駆り出されるため、最近ではめっきり行けなくなってしまった。
ジャズプロムナードの会場の中でも、私が一番気に入っている場所、それは、山手の旧英国総領事館である横浜イギリス館である。この穏やかな洋館の中で、日曜日の朝、テナー・サックスの高橋知巳グループを、何回かゆっくり聴くことができたのは、まさに至福の時であった。
演奏が終わった後、表に出て港の見える丘公園を散策する。そして、いつもの歌碑の前で、私は足を止めるのである。今まで聴いていたジャズの音とはまったく違うものの、どこか異国の匂いが漂う歌がそこに刻まれている。
『港が見える丘』 東辰三:作詞・作曲 平野愛子:唄
1.
あなたと二人で来た丘は 港が見える丘
色あせた桜唯一つ 淋しく咲いていた
船の汽笛咽び泣けば チラリホラリと花片
あなたと私に降りかかる 春の午後でした
歌碑に流麗な文字で刻まれているのは、この1番のみである。実際は神戸の港をイメージして作られたという歌詞は、別れの場面としての2番にすぐ繋がっていく。
2.
あなたと別れたあの夜は 港が暗い夜
青白い灯り唯一つ 桜を照らしてた
船の汽笛消えて行けば キラリチラリと花片
涙の雫できらめいた 霧の夜でした
1番の、淋しく咲く、色あせた唯一つの桜が、すでに別れの気配を感じさせていたが、2番で約束されていたことのように、別れがやって来る。
花片(はなびら)を描写する「チラリホラリ」は「降りかかる」に、「キラリチラリ」は「きらめいた」にそれぞれ掛かっていて、実に印象的で、美しさと哀しみを表現している秀逸な歌詞である。
汽笛の音の描写なども含め、それらの歌詞がメロディーに溶け込むようにして曲ができている。さすがに作詞・作曲が同一人物による作品だと納得してしまう。
そして、私がこの歌を愛してやまないのは、次の3番の歌詞があるからなのだ。
3.
あなたを想うて来る丘は 港が見える丘
葉桜をソヨロ訪ずれる しお風浜の風
船の汽笛遠く聞いて ウツラトロリと見る夢
あなたの口許あの笑顔 淡い夢でした
この透明感のある回想、述懐の詞。1番2番だけでは、恋の歌としてただ言葉が流れ去ってしまうところを、3番が、それをしっかりと受け止めている。抑揚を押さえ、静かに諦めゆく感性が、かえって聴くものの胸を、しっかりと打つ。
ほろ酔いでこの3番の歌詞を口ずさむとき、不覚にも涙をこぼしそうになったことは、一度や二度のことではないのだ。
作者、東辰三が「濡れたビロウド」と評した平野愛子の声は、何回も何回も聴く毎に、その良さがじんわりと伝わってくる。そして、昭和22年当時の、その場所に私を誘ってくれるようである。「時代」を繁栄した声色と言うことができるだろう。
また、この歌は多くの歌手がカバーしており、纏わるいろいろなエピソードも多い。私も5年近く前このコラムに「ちあきなおみ」さんのことを書き、彼女の歌うこの歌を絶賛させていただいた。
久世光彦氏の文章の中で、漫画家の上村一夫氏がいつもこの歌を歌っていたことが書かれたものがある。酔った上村氏自らがギターを抱え、間違いだらけのコードを弾きながら歌うと言うことである。
その時、彼はこの歌の「あなた」を「あんた」に、「私」を「あたい」に言い換えて歌う。 そうも書かれていた。
上村氏が、そして彼の背景が投影されているような文章で感心したが、この言い換えに関しては少し違う気がした。蓮っ葉の持つ雰囲気もある程度理解した上で、敢えて書いているのだが、殊に私の大好きな3番を「あんたの口許あの笑顔」と歌われてしまっては、台無しなのである。
もしかして、存命中の上村氏にある飲み屋でこの歌を披露されたときには、身の程知らずと思いつつも、私は喧嘩になっていたかも知れない。きっと、それは実に昭和的な喧嘩になったことだろう。
私は、この東、平野コンビによる次の作品『君待てども』という歌も大好きだ。「諦めましょう 諦めましょう わたしはひとり」、最後はこう結ばれる曲。
テーマはやはり諦め。一つひとつを静かに諦めていかなければ、人は生きていくことができない、そんな時代だったのかもわからない。
-…つづく
第188回:流行り歌に寄せて
No.5 「星の流れに」~昭和22年(1947年)
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