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■店主の分け前~バーマンの心にうつりゆくよしなしごと
第188回:流行り歌に寄せて No.5 「星の流れに」~昭和22年(1947年)

更新日2011/05/19


どんな経緯でそうなったのかはよく覚えていないが、私が小学校のPTA会長をお役御免になってから2年ほどしたある時、私の前任のPTA会長、そしてお世話になった小学校の教師、そして私の3人で、自由が丘にあるフィリピン・パブに行ったことがある。もう、8年ほど前のことだ。

生徒には絶大の人気があったその教師は、いわゆる遊びを知らない堅物で、彼が尻込みするところを、無理矢理不良中年二人が連れて行った。年齢は前任、私、教師がちょうど1学年ずつ違いの3年生、2年生、1年生の順なので、いわば悪い先輩たちが躊躇する後輩を遊びの世界に引きずり込む形になった。とんだ元PTA会長である。

パブの中にはカラオケもあり、付いてくれたホステスさんがしきりに歌うことを勧めてくれた。私たちへの退屈な接待の時間よりも歌わせておいた方が、気が楽になるのだろう、そんな皮肉な思いも少しよぎったが、私はその頃よく歌っていた『星の流れに』を歌った。

歌い終わると、ホステスさんは、「あなた、古い歌を歌うのね。でもステキでした」と、言葉をかけてくれた。

その時は感じていなかったが、パブからの帰りの電車の中で車窓を眺めていたら、少しザラッとした思いがした。あの歌をあの場で歌ったことは、悪いことではないのだろうが、何かチープな行為、そんな気がした。

今回、この歌を取り上げるとき、真っ先に思い浮かんだのがこのことだった。

『星の流れに』  清水みのる:作詞 利根一郎:作曲 菊池章子:唄
1.
星の流れに 身をうらなって どこをねぐらの 今日の宿

荒む心で いるのじゃないが 泣けて涙も かれ果てた
 
こんな女に誰がした

2.
煙草ふかして 口笛ふいて あてもない夜の さすらいに

人は見返る わが身は細る 街の灯影の 侘びしさよ

こんな女に誰がした

3.
飢えて今頃 妹はどこに 一目逢いたい お母さん

ルージュ哀しや 唇かめば 闇の夜風も 泣いて吹く

こんな女に誰がした


この歌に纏わるエピソードは実にたくさんある。その中でも、有名なものは大雑把に二つあげられる。

最初は、作詞家の清水みのるが、新聞の投書欄にあった、元従軍看護婦で、敗戦後、夜の女へ転落して行った女性の声に触発されて、この詞を書いたということ。その詞は、清水自身が戦地で流れ星を眺めて自分の明日を占った体験に基づいたものであること、である。

そしてもう一つは、その詞に、作曲家の利根一郎が上野の闇市などを自ら歩き回り、イメージを抱きながら曲をつけた。レコード会社としては、ぜひ淡谷のり子に歌ってもらうべく依頼に行ったところ、「こんなパンパン歌謡は歌えない」と言って断られてしまったため、菊池章子が代わりに歌ったという話である。

私にはその背景がよく分らないため、いい加減なことは言えない。けれども、終戦後の傷みを表現するために、作詞家と作曲家が精魂傾けて作り上げた作品を「パンパン歌謡」のひと言で斬り捨てるのは、あまりに酷(むご)い気がする。

戦中から"もんぺ"をはかずに、キッチリと化粧を施し、自由な女として凛として生きてきた淡谷のり子の矜恃が、その言葉を言わせたかも分らないが、作り手と歌い手の心の間に、かなりの齟齬があったのではないか。

急遽ピンチ・ヒッターとしてこの歌を吹き込んだ菊池章子だったが、最初の頃はまったく売れなかったようだ。その後、当時街娼を束ねていた伝説のラク町おときが、「こんな女に誰がした」というフレーズを、NHKラジオの街頭録音の際口にしたことが、この歌のヒットの口火となった。

さらに、芝居小屋や映画などでこの歌が使われるようになり、多くの人の耳に届くようになった。そして、当然と言うべきか、モデルである街娼の女性たちの間で歌われるようになり、菊池章子は彼女たちのヒロインにもなった。

そして何十年かの時が流れ、美空ひばり、青江三奈、ちあきなおみ、藤圭子、八代亜紀、高橋真梨子石川さゆり…等々、かつて淡谷のり子にパンパン歌謡と斬り捨てられ、反対にその街娼の元締めをはじめ街娼たちによって愛唱された歌を、歌が上手いことで有名な、多くの超一流な歌手たちが、カヴァーしている。

当の時代にはあまりにリアルで、ブルースの女王が歌うのを憚られたものが、時間の経過とともに、それがフレームに入った一つの風景に収まっていき、現実との距離感が生まれたとき、はじめて多くのスター歌手たちが自分のレパートリーに取り入れることができたのだろう。

今回、上記の歌手の歌声をいくつか聴いたが、それぞれの解釈で"街娼"の女性たちの心の吐露を表現しようとしていて、興味深かった。

「こんな女に誰がした」…それにしても、ずっしりと質感のあるフレーズであると改めて思う。

-…つづく

 

 

第189回:流行り歌に寄せて No.6 「夜霧のブルース」~昭和22年(1947年)

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金井 和宏
(かない・かずひろ)
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1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
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