第386回:流行り歌に寄せて No.186 「海は恋してる」~昭和43年(1968年)
小さい頃から、海が苦手だった。
60年近く前の話になるが、母方の祖父母と伯父家族が、神奈川県の二宮町の海のすぐそばに瀟洒な家を作り、住んでいた。伯父は、当時初代の帆船「日本丸」の通信長を勤めていた人で、羽振りが良い生活をしており、夏休みになると自宅に親戚を呼んでくれていた。
私にとっては、母方の多くの従兄弟と会える大変に楽しみな時間ではあったが、当然行なわれる砂浜での遊びがいやでたまらなかった。波打ち際から少なくても50メートルは離れた位置までしか近づけない。波打ち際で、多くの従兄弟たちが撮った写真には、私の姿はいつもなかった。
こちらにしてみれば、よくそんな恐ろしい場所にいて、笑顔でカメラに収められるものだ、この人たちは少しおかしいのではないかと考えていた。
この曲が発売されて「海はすてきだな」という最初のフレーズを聴いた時、ああこの人たちもあちら側にいられる人たちなんだなあと感じた。
もう一つ。中学校での修学旅行で、道中、まったく理不尽な理由で私に因縁をつけ、旅行中ずっと脅しをかけてきた生徒がいた。彼はスポーツ万能で、喧嘩も強く、女の子によくもてた。
その彼が、旅行のバスの中でこの曲を歌った。そして「だって俺泳げないんだもん」という台詞の時、女の子から歓声が上がった。「T君、よく言えるわ。あんなに水泳早くてかっこいいのにねえ」彼は満足げに笑ったのである。
というわけで、私は高校に入る頃までは、海とともにこの曲も苦手だったのである。
ところが、恋心が芽生える頃になると、なぜか「海を見たい」などというステレオタイプな心持ちになるもので、私も例に漏れず、彼女と海岸通りなどを歩きたい思いに駆られた。
そして、この曲の持つ甘い世界観にも憧憬を感じるようになった。少年時代に心に受けた傷を忘れてしまったかのように。
「海は恋してる」 塩見源一郎:作詞 新田和長:作曲 ありたあきら:編曲 ザ・リガニーズ:歌
海はすてきだな 恋してるからさ
誰も知らない 真っ赤な恋を
海がてれてるぜ 白いしぶきあげて
えくぼのような ゆれる島影
君はきれいな 海の恋人
やさしく抱かれて 夢をごらんよ
(台詞)
海も失恋するのかなあ
涙をいっぱいためるのかなあ
だけどあふれだしたらこまっちゃうなあ
だって俺泳げないんだもん
君はきれいな 海の恋人
やさしく抱かれて 夢をごらんよ
ザ・リガニーズ。グループ名は、一体どこから来ているのだろうと、ずっと不思議な思いがしていた。“The Reganies”とでも綴るのだろうか、そんな単語はなさそうだし。他のGSやフォークグループの、いわゆる英名にはそれなりの根拠があるはずだが。
今回初めて知った事実。ご当人たちの公式サイトを引用させていただくと「(前略)まだグループの名前とてなく、ただ歌を唄い、ギターをかきならす毎日…。(中略)そんなある日、まるで我々の歌にきき入るかのように、一匹のザリガニが田んぼの中にうずくまっていた。格好はいいとはお世辞にも言えない一匹のザリガニに、妙に心惹かれるものがあった」。そこで、ザ・リガニーズだったのだ。あるいは、これはかなり有名な話で、この頃の音楽を聴いていた人たちは周知のことなのかもわからない。
さて、このグループの母体は早稲田大学公認バンドサークル、WFS(Waseda Forksong Society)であって 昭和42年の夏に結成されている。そして、この曲は昭和43年7月1日に発売された。
作詞の塩見源一郎とは、NIPPOで常務執行役員まで務めた村石政志氏のこと。(彼は実業の世界で成功を収め、そのサラリーマン生活を本にしている)と資料にはあるが、彼は確かに早稲田大学理工学部の出身だが、昭和25年生まれということで、まだ大学生になったばかり、ザ・リガニーズとはどんな出会いがあったのだろうか。
編曲のありたあきらは、作・編曲家の小杉仁三の別名義、クラウン以外の仕事のときに使用されていたようだ。小林旭、西郷輝彦、水前寺清子、美川憲一などの他に、以前ご紹介したザ・フォーク・クルセダーズなど、数多くの編曲を手掛けている。
そして作曲は、ザ・リガニーズの中心的存在、新田和長。その後、この曲を発売した東芝音楽工業に就職し、プロデューサー、エグゼクティブ・プロデューサーとして、実に多くのフォーク、ニューミュージック界のシンガーを育てている。
さらにファンハウスを設立するなど、夥しい数のミュージシャンを輩出している、日本を代表するプロデューサーと言える。自ら演奏したり歌ったりすることよりも、他者をバックアップすることで、ずっと音楽業界を支えてきた人物である。
10年前の映像であるが、新田和長、内山修、吉田光夫、常富善雄の4人のメンバーで、この『海は恋してる』を歌っているのを、今回見る機会を得た。歌唱も演奏も、往年のようにはいかない様子だったが、みんな良い年の取り方をしていると感じた。
-…つづく
第387回:流行り歌に寄せて No.187 「長崎ブルース」~昭和43年(1968年)
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