西の街から遠く離れた場所で月が薄く青い光とともに上った。
月が語った、沈んでしまった巨大な船の悲しくも哀しい物語。
船が波の上に乗り出したのは4月14日のことだった。
船は、明日に向かって、やがてくる黄金時代に向かって旅立った。
海は透き通り夜空は星たちの光で輝いていた。
船が影の中を進む、運命の時が迫っていた。
自らが立てる泡の上をなめらかに船は進路を保って進んでいた。
紳士淑女たちもみな、永遠(とわ)の居場所に向かっていた。
シャンデリアが揺れていた。
上階のベランダではオーケストラが儚い愛の歌を奏でていた。
ダンスホールでは踊り手たちがくるくる回り、見張り番は夢を見ていた。
タイタニックが海の底へと沈んでいく夢を見ていた。
レオがいつものようにスケッチブックを手に取り
目を閉じて心に映る景色を描いた。
一瞬、キューピッドの矢がレオの彼の心に触れた。
レオはすぐそばにいた女性に恋をした。
その時レオは騒音を聞いた。
何か良く無いことが起きている、ここにいてはいけない。
レオはよろめきながら後甲板へ向かった。
後甲板はもう3フィートも水に浸かっていた。
煙突が斜めに傾き、進もうとする足の運びが重くなった。
混乱の中で空がぐるぐる回って見えた。
船が沈み始め、宇宙が割れた。
向こうの方で助けを求める声がしたが、天使たちは取り合わなかった。
通路の照明が消え、小さな明かりが弱々しく点滅した。
船底には既に死体が浮かんでいた。
エンジンが爆発しプロペラが止まり
ボイラーが過熱し、船体が二つに割れた。
宙を舞う乗客たち、前へ後ろへ、あっという間に遠くへと。
つぶやき、手探りし、転落する乗客たち、刻一刻と誰もが力を失くしていった。
もはや明らかだった、12時から1時の間に何の変化も奇跡も起きず
起きてしまったことを、もはやどうにもできなかった。
見張り番は摂氏7度の部屋で横になって夢を見ていた。
タイタニック号が 崩れ落ちるようにして沈んでいく夢を見ていた。
眠っていたウェリントン氏のベッドが床を滑り始めた。
気丈にも彼は心臓が激しく打つなかでテーブルを押し退けた。
クリスタルガラスが割れてそこら中に飛び散った。
両手でピストルを構えはしたが、いつまでそうしていられるだろう?
ウェリントン氏の部下や仲間の姿はどこにもなかった。
彼はただ黙って事態が収まるのを待った。
狭い通路に陰鬱な気配が満ち
眼に映るのはあらゆる種類の悲しみ、至る所から悲鳴が聞こえた。
押し寄せる人の流れを止めるために警鐘が一斉に鳴らされ
友人たちも恋人たちも体を寄せ合い互いにしがみついてた。
母と娘たちは階段を降り、氷のように冷たい水の中に飛び込んだ。
祈りのなかで、愛と憐れみだけが後を追った。
金持ちのアスター氏は愛する妻にキスをした。
アスター氏は知る由もなかった、それが彼の人生最後の旅になるとは。
カルビン、ブレイク、ウィルソンは暗闇の中で賭けに出た。
が、誰一人として生き残って自分たちのことを語ることはできなかった。
そんな状況の中で兄弟たちがいさかいを起こし
争い、共に死の舞踏を踊った。
難破船から誰かが救命ボートを降ろした。
裏切り者もいれば外道もいた、誰かの背骨が首が折られた。
司教は彼を必要とする人たちのために船室を出て
天を仰いで言った、哀れな人々を救うことがあなたの役目でしょう。
船室から出てきた売春宿の持ち主のデイビーは女たちのことをすっかり忘れた。
彼が見たのはただ、増していく水かさ、一変する世界。
泳ぎを習ったことなどなかったジム・ダンディは微笑みながら
足の不自由な小さな子どもに救命ボートの自分の席を譲った。
ジムは東から流れる光り輝く星を見た。
死が猛威を振るう中で、しかし彼の心はすでに安らかだった。
ハッチは閉められたけれど役に立たなかった。
金色に磨き上げられた真鍮の階段で溺れた人たちもいた。
レオがクレオに言った、気が狂いそうだ。
でも、彼はすでに正気を失っていた。
レオは人々を災難から守るためにドアを閉めて水を塞ごうとした。
彼の開いた傷口から血が流れ、腕を伝って落ちた。
花々から花びらがこぼれ落ち、やがて全てが消え失せた。
長く悲惨な時の中で、なおも続く魔法使いの呪い。
接客係のチーフがブランデーをグラスに注ぎ、ゆっくりと飲み干した。
彼はそこにとどまり最後の最後までしっかりとその場にいた。
たくさんの、たくさんの名も無い人たち。
海を航海したことも故郷を離れたこともなかった人たち。
見張り番は横になってタイタニックが沈む夢を見ていた。
夢の中で彼はそれを誰かに伝えようとしたが事態は既に起きていた。
船長はかすかに息をしながら舵の前でひざまづいた。
彼の上にも下にも、真っ二つに割れた5万トンの鋼鉄の塊。
船長は羅針盤の針を食い入るようにじっと見つめた。
針は下を向いていた、船長は戦いに敗れたことを知った。
船長は暗い光の中で過ぎ去った日々を思い出していた。
ヨハネの黙示録を読んだ船長の心に涙があふれた。
死神が任務を終え、1600人が永遠の眠りについた。
善人も悪人も金持ちも貧乏人も、誰よりも愛らしい人も優れた人も、みんな。
こんなことになるなんて思ってもいなかった、誰もが上陸を待っていた。
神の手がなした采配のことなど、わかるはずもなかった。
必死で電報が打たれた。
愛はその炎を失い、全てが終わった。
見張り番は横になって夢を見ていた。
彼がしたのはただ、深く青い海にタイタニック号が沈んでいく夢を見たことだけ。
“Tempest” -Bob Dylan
|