第240回:現代的な顔と古い時代の顔
私が日本語の初歩を教えているせいでしょうか、自然と日本の情報が集まってきます。日本で今流行っているファッションとか、人気のアニメとか、私には縁遠い情報もありますが、日本のテレビ番組をそのままDVDにダビングして持ってきてくれたりします。
今、日本ではノスタルジア・ブームなのでしょうか。たまたま、戦時中、終戦後のテレビドラマが偶然に何本も手元に集まってしまっただけのことなのかも分かりませんが、立て続けに随分たくさん観てしまいました。昔の日本を知るのも面白いですし、少しは私の日本語のトレーニングにもなります。
ところが、一緒に日本のテレビドラマを観ていたうちの元日本人らしきダンナさんが、「どうにも、ウソ臭くて観ておれん」と言い出したのです。セットがミエミエの家の中シーンとか、安手即製の街の造り方のことではなく、俳優たちの顔が全然違うと言うのです。
なるほど、今の俳優さん、皆が皆、顔が小作りで、歯並びがよく、鼻筋がすっきりと通り、目がパッチリしています。そんな小作りな顔をした人間は、戦中、戦後の日本にほとんどいなかったはずだとダンナさんは言うのです。
言われてみれば、うちのダンナさんなどは、戦中戦後派の古い顔の作りの典型なのでしょうか、存在感のある……と言えば聞こえはいいですが、とてつもなく大きな顔、そして禿げた(これは時代に関係ないか?)大きな頭を持ち、デカイという表現がピッタリです。
それに歯並びの悪さは天下一品で、歯並びなど存在しない乱杭歯です。おまけに、上にも下にも銀色に光る入れ歯が散りばめられています。鼻も大きな顔の中央にデンと居座り、立派と言えば言えなくもありませんが、ともかく鼻の穴も煙突掃除ができそうなくらい大きいのです。目だけはパッチリと、ではなく、ギョロリと大きいのですが。
彼のようにデカイ顔の俳優さんなら、顔だけでテレビの画面全体を覆ってしまうでしょうから、とてもテレビドラマに出ることはできないでしょう。
彼と同世代の友達仲間もそれぞれにいい顔を持っているのですが、うちのダンナさんと大同小異で、前歯だけはどうにか見られるけど、大きな口をあけて笑ったら最後、奥は金銀ギラギラの世界だったり、頭が巨大扁平だったり、起きているのか寝ているのか判明できない細目だったりで、ダンナさんの言わんとする、古い顔の人が多いのです。
テレビに出るくらいですから、平均以上の顔形を持った俳優さんが登場するのは当たり前です。しかし、私の大学に留学してくる日本人の若者も、老世代のうちのダンナ族とは、はっきりと顔、頭のスケールの大きさが違うことに気が付きました。皆が小頭族なのです。
アルキメデスのように水を張ったオケに顔を突っ込み、溢れ出た水の量で頭部の体積を測り、比べたなら、日本の若者世代は老世代の60~70%くらいしかないのではないかしら。
ダンナさんは、テレビの俳優や現代的な顔をしている若者を評して、「あんな小さな頭じゃ脳ミソも大して入らないし、皆吹けば飛ぶように軽くて、安っぽい顔だ」とノタマッテいます。
言われてみれば、確かに50~60年前は、若者でも顔が違ったように見えます。それは、今の小頭族の若者が歳を取り、彼らが老人老女になったら、自然に顔が肥大し、今のダンナ族のようにデカ頭族なるだろうというような、生易しい差ではなく、質量、体積の差が歴然とあるのです。
これは、どちらが良いとか悪い、醜いというようなことではありません。うちのダンナさんの巨大な顔に馴れ親しみ過ぎただけなのでしょうが、ただ存在感という一点で、シッティング・ブルやジェロニモとまではいいませんが、古いデカイ顔族の方が雄大で、味わいと深みがあるように私には思えるのです。
それにしても、彼のお母さん、頭デッカチを生むのはさぞ大変だったろう……と同情を抑えることができません。
第241回:恋人なんかいらない。
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