第494回:ホームスクーリングからアンスクールへ
これでも、私は教育の一端に関わっていますが、こと学校のことになると、すぐに目がそちらを向いてしまいますし、私でもそれなりの意見を持っていますから、ツイツイ批判的に過ぎることになります。
何事につけてもアメリカでは"自由"という一言が、水戸黄門が持ち歩いていた印籠のように、魔術的な威力を発揮します。教育の自由、子供の才能を自由に伸ばす、などと大義を掲げると、それに反論できなくなってしまうのです。
アメリカで「ホームスクーリング(在宅教育、在宅学校)」が盛んになったのは2000年になってからのことでしょう。主に宗教に凝り固まっている人たちが、公立の学校に子供を入れると、神様を否定する悪い影響を受けてしまう、第一、公立の学校の先生たちからして神様を信じていないのが多いではないか、それに小中学校の中でさえドラッグがハコビッテいるではないか、それなら自宅で勉強させ、無菌状態で正しい道を歩ませる…と言うのがホームスクーリングの意図のようです。
2003年に100万人の子供たちがホームスクーリングしていましたが、2012年には170万人に増えています。アメリカ教育庁
(US Department of Education)の推定では、統計で掴んでいる数より多い230万人の児童が学校に通わず、自宅で勉強していることになります。
問題は自分の子供をしっかり勉強させ、教えることができる親ばかりではないことです。辺地に住み、どうしても学校に通うことができない条件の下で通信教育を受けるのとは全く違い、親の宗教観に基づき、その方面ばかり学習させ、物理、算数、科学などは置き忘れられる傾向が強いのです。
おまけに、ホームスクーリングをしている子供の50%は「アンスクーリング;Unschooling(適当な訳語がみつかりませんが、ガイダンスやテキストに沿った教育を全くせず、すべてを子供の自由意志に任せる教育)」だというのです。
この「アンスクーリング」は、ホームスクーリング(在宅学校)の派生とは言えないくらい増えてしまい、一種の社会現象、社会問題になってきています。
簡単なことですが、掛け算の九九もできない高校生や中学生の年齢になっても自国語である米語の本、新聞を読めず、簡単なレポートも書けない子供を量産する結果に繋がっているのです。
日本の教育制度からはチョット想像もつかないことかもしれませんが、アメリカではホームスクーリングのほか、一種のブームにように"児童教育法"が流行っています。
その一つが「モンテソリー学校」で20-30年前に大流行したことがあります。元々イタリアの児童心理学者のマリア・モンテソリーさんが始めた教育法ですが、すべての子供が持つ潜在的な能力を個々の違いを見極め、大いに伸ばす…という大そう聞こえのよい、自分の子だけは天才だと思いたがる親たちを惹きつける教育方法です。これがあっという間にアメリカ全土に広がり、私の甥っ子3人が3人ともモンテソリー学校に通うことになりました。
アメリカの近年の児童教育をみていると、教育はその社会の中で、社会人として生きていくための義務を果たし、社会に対して責任をとることのトレーニングの場であるという一番肝心なことを忘れているように思うのです。ある種の小さな才能と呼べないような特殊な能力に長けた子供もいるでしょうけど、皆が皆、天才であるわけがありません。
結果、社会意識が低く、無いに等しい自己中心的で、いつまでたっても自己を確立できない、独立した精神を持てない大人が充満することになってしまったのでしょう。私の甥っ子3人も、もう20代後半から30代になりますが、まだ乳離れできていません。
そんな子供たちが、どうして大学まで進むことができるのか大いに疑問なのですが、私のクラスに大量にいるので、それが平均、当たり前のことのように思えてしまいます。言語学、英文法のクラスでダントツに優秀なのはドイツからの留学生フランチェスカさんで、彼女の書くレポートの英語は論旨の展開の仕方、着眼点すべての面でアメリカ人の生徒さんから抜きん出ています。これは考えてみるまでもないことですが、とても悲惨なことです。
そのドイツ人学生は特別頭が良いわけでもなく、創造性が豊かでもないのです(これは長年教職にあるので、私は生徒さんの頭脳の程度をすぐに見抜くことができるようになってしまったのですが…)。ただ、フランチェスカさんは物事を真摯に学ぶ態度があり、勤勉な上、論理的にモノを考えるバックグラウンドを持っているのです。これは彼女の謙遜で勤勉な性格にもよりますが、小中高での基本的なトレーニングを経ているからできることなのでしょう。
アメリカでブームになり流行っては消える児童教育のやり方は尽きるところ、我が子可愛さが先行した親のエゴが生んだ、オダテ、褒め殺し、甘やかし教育なのです。厳しい躾(シツケ)など時代に逆行する、中世の考え方になってしまっています。
わが子に目を配るのは悪いことではないのですが、わが子中心の子離れのできない親、いつも我が子を自分の近くに置いておきたがる親を、自分の子供の上をホバリングしているところから
"ヘリコプター親"と呼んでいます。日本の教育ママと精神的には同じでしょうね。
私が通っていた小中学校(大昔の話を持ち出すのはどうにも年寄りじみているのですが…)はワンルーム・カントリースクール(一部屋だけの田舎の学校)でした。一人の先生、ミセス・ フードルマイヤー先生が1年生から9年生まで、一つしかない同じ教室で教えていました。
彼女が学年の異なる生徒をコントロールするための秘密兵器は"ハエタタキ"でした。それで、子供の頭をバチンとやるのです。それに抗議する親などいません。もし家に帰って先生に叩かれたことを親に告げたら、お前がチャントしていないからだと、もう一発親からお目玉を食うのがおちです。
漢字で"勉強"という文字は、勉=ツトメル、強=シイルことですから、"ツトメシイル"のは今のアメリカの教育に一番欠けている態度だと思うのです。
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